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2017年5月 1日 (月)

研究主任がつらい理由

 こんにちは。吉良良介です。
 研究主任ってつらいと思いませんか。私は何度も研究主任をやりましたが、なかなか「うまくできた」という経験がありません。どうして、研究主任ってつらく感じるのでしょう。その理由を考えてみました。
 まず、その一つ目は、自分がまず研究テーマについて勉強しないとならないということです。そうでないとリーダーシップを発揮することができません。たとえば、次期学習指導要領のキーワードである「主体的・対話的で深い学び」について、研究主任がまったく勉強していなければ、先生方も安心してついていくことはできないでしょう。ただでさえ忙しい日常の業務に加えて勉強するには、プライベートな時間を削ることになります。また、研究会に参加したり本を買ったりすれば、それなりに費用もかかってしまいます。だから、研究主任は「勉強好き」でないと務まらないのです。
 二つ目は、研究を先生方にやってもらわなければならないということです。自分が勉強して授業実践をやる分に関しては意欲的にできるとしても、他の人たちにそれをやってもらうためにはお願いをしなくてはなりません。研究熱心な先生方ばかりだといいのですが、そうではない先生方もいるので、当然温度差が生じます。研究授業の依頼をすると「研究授業をやることで負担が増えます」「自習が増えると学級が落ち着かなくなります」などと反対されてしまいます。また、研究テーマに沿った形で授業方法を提案すると、「それって、絶対やらなくてはならないんですか?」などと不満を言われることもあるでしょう。同僚から、反対されたり、不満を言われたりすると、心が折れてしまいます。

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 そして、三つ目は、成果が問われるということです。そもそも、研究の目的は「問題の解決」ですので、どのような問題がどのように解決されたのか、という研究の成果を出さないと何を研究したのかが曖昧になってしまいます。学校によっては、教育論文という形で成果物をつくるところもあるでしょう。そのためには、子どもたちの実態調査などをすることになります。学校によっても異なりますが、5月くらいに研究主任から学校全体の研究テーマの提案があって1回目の実態調査をとることになるでしょう。教育論文を書くためには、11月には2回目の実態調査をとり比較したりしますが、わずか6ヶ月でそう簡単に実態が好転することはないでしょう。だから、わずかな「伸び」で成果を語ることになってしまうので、どうしても教育論文は「問題は解決したのか」ということよりも、「こんな授業実践をやりました」という「実践報告」の内容が多くなってしまうのです。論文を書くために膨大な時間と労力をかけたにも関わらず、書き上げたものへの満足度は低く感じられてしまいます。
 とまあ、こんなことを考えてみましたが、研究主任の経験がある先生方、いかがでしょうか。

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コメント

校内研究の最後の落とし所を予定して研究を始めます。そこに届くように、授業者と一緒に考えたり教材を作ったりします。それらの経験は彼らを育てます。そして、私の助言の脆弱性を自覚させます。自分が決めてスタートしているのですから、研究の落とし所に必ず届かせますが、授業者を必要以上に遠回りさせてしまったことや子どもの負担が大きい授業の存在がある場合、それは私の良心を攻撃します。胸が痛いことは毎年のことでした。
実は、昨年は、若者一人から反発を受けました。そして、私の提案とは全く違う授業をされました。彼は、私の言葉を理解できなかったのではなく、理解したくなかったのだということは分かっていました。それでは彼は伸びないし、私は前任校にいる限りずっと研究主任だと言われていましたので、異動しました。私は、私の授業をすることが大切です。若者を育てることも仕事の一つですが、それで精神的苦痛を受けていては、一番大切な仕事に支障が出ます。申し訳ないのですが、ともに学ぶ意欲がない方にかける時間や気持ちの余裕はありません。
学びたい方には、とことん協力してきました。それは、いつの勤務校でも同じです。

投稿: るうc | 2017年5月 1日 (月) 21時51分

 るうcさん、ありがとうございます。共感できる部分が多々あって、胸が痛みます。同僚からの反発を受けると、かなりつらいです。
 一方、「学びたい人には、とことん協力してきました」というところは、まさに私も同じです。

投稿: 吉良良介 | 2017年5月 2日 (火) 03時46分

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