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2017年6月24日 (土)

忘れられない言葉4

 「こんな授業をしてほしくない!」
という言葉の後に、その教務主任の先生は次のように語りました。

 「教師がお膳立てをしたレールの上を子どもたちが乗っかっていくような授業は、研究発表会ではしてほしくない!」

 きっぱりと断言された力強い言葉でした。
 私は、「では、教師がお膳立てしない授業とはどういう授業なのか」という反論をしたかったのですが、その時間もなく、悔しい思いがふつふつと沸き上がっていったのです。

 それから次の週、私は悔しさに身を任せて、新しい指導案を書いて職員室のすべての先生方の机の上に置いていきました。自主的な研究授業をやったわけです。別の教材で、教師が指示・発問をしないで自由に鑑賞ができるかどうかを試すという実験的な授業でした。今、思えば「どうせできないだろう」という気持ちがあったわけですから、とんでもなくひどい教師だったと思います。

 題材は、ピカソの「ゲルニカ」。最初のうちこそ、「こわい」「気持ちが悪い」という感想で盛り上がったのですが、やはり解釈までは行き着きませんでした。その研究授業を見に来た先生方もほんの数人でした。
 その日の授業研究会を図工室で開くことにしました。その研究会に参加してくれた先生は一人だけ。あの教務主任の先生でした。

 その教務主任の先生と、夕方の図工室で授業論について語り合うことになったのです。その先生は、おだやかな表情で自分の理想とする授業について語ってくれました。それは、「子どもたちが問いを発して、自ら考えていくような授業」です。
 たしかに、私の授業は教材も指示・発問も教師が準備してきたものです。子どもが問いを発したものではありません。1時間の授業としては成立しますが、自ら問いを出して考えていくような子どもを育てるという観点では、決して良いとは言えないわけです。私の「授業観」が、キュッという音をたてて磨かれたような感覚を覚えた瞬間でした。

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 それからは、子どもたちが問いを発するような授業を目指していくことになったのです。(つづく)

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