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2008年8月22日 (金)

岡原小学校の校内研を終えて

 あさぎり町立岡原小学校の校内研に招聘された。いつになくものすごく緊張してしまった。
 しかし、職員の先生方から「英語のイラストカードを使っています。」「先生の本をもっています。」などと声をかけていただいて大変感激してしまった。このような学校でお話をさせていただくことは大変光栄なことであり、幸せなことだと思う。心よりありがたいことだと感じた。

 帰りは研究主任の先生にインターチェンジまでわざわざ送っていただいた。車中で「どうやって新しい授業を創られるのですか?」と質問を受けて、答えに窮してしまった。「同じことをやりたくないから。」といった内容の返答をしてしまったが、自分でも納得がいかないので、帰り道で考えてみた。

 コミュニケーションを「互いの間に意味を生み出すこと」と定義すれば、授業もまたコミュニケーションと言える。子どもと子ども、教師と子どもの間で意味が生み出される活動であるからだ。
 そう考えると、授業とは「教師が何かを上手に伝える行為」ではなく、「教室の全員が意味を生み出していく行為」と言えるかもしれない。
 私にとっては、授業は「武道」や「書道」のようなものではなく、どちらかといえば演劇やコンサートなどの「芸術」に近いものに感じる。(だから、「段位」はぴんとこない。)オーケストラの楽器演奏者のそれぞれの個性が入り交じりひびきあい、それがまた観客を感動させていく。教師は指揮者のような存在なのかもしれない。
 芸術では、技能だけではなく、創造性も要求される。常に新しい何かを創り出そうとしていくエネルギーが教育にも必要なのである。過去に「うまくいった方法」を再現してやってみると、今ひとつ盛り上がりに欠けることは多い。むしろ、うまくいくか分からないが、ぎりぎりまで考えてやった授業の方ががうまくいくことが多い。
 だから、いつも新しい授業を考えているのだと思う。過去にうまくいった方法も繰り返さない。どこか変えてやってみる方が楽しい。だから、授業の記録はできるだけ正確にとっておく。そして、自分の知識・技能と他の方法をあれこれと組み合わせて考えていく。このようなことをわくわくして考えながら授業を創っている。

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