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2009年1月18日 (日)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 3

 デジタルイミグラント(移民)に共通することもあるのではないだろうか。たとえば以下のようなことだ。
 ○ デジタルとアナログ を 区別する
 ○ ネットの世界 を バーチャル(仮想)な世界だと思う
 ○ ICTと自然を相対するものと考える
 ○「アナログの良さもあるよね」といった言葉に安心する

 教育研究会などで「デジタルの良さも大事ですが、やはりこのような場面ではアナログの良さも忘れてはいけませんよね。」とか「子どものうちは、ICTに触れることではなく、自然や人間に直接ふれていくことこそが大切なのです。」といった言葉を聞くと、「そうそう」と頷いてしまう。私自身もそうだ。

 このような「デジタルとアナログ」「ICTと自然」を相対するものとして考えていることそのものが、すでにデジタルイミグラントの証のような気がする。

 デジタルネイティブには、はなからそのような発想がない。アナログであるかデジタルであるかといったことはどうでもよく、ICTと自然は相対するものなどとは考えたこともないだろう。ICTによって自然を守るといった事例は山ほどある。
 彼らにとっては、すでにICTが手足のように使われているのだ。われわれが手足を意識して使っていないのと同様で、彼らはICTを使って「何か」を創ろうとしているのである。

 一方、ICTを使った経験がないデジタルイミグラントには、その「何か」の発想が出てこない。使うことが目的となってしまうからである。

 人は自分に経験のないことを教えようとは思わない。

 たとえば、国語科の授業の中で、映像を編集してニュース番組を制作するような単元がある。
 実際に映像編集の経験のない教師は、設備が整っていないことを理由にその単元をとばしてしまうこともあるだろう。たとえ指導できたとしても、「映像の編集」そのこと自体が目的となってしまうこともあるだろう。そうなると、極めて重要な「ニュース番組の内容」の部分が希薄になってしまう。子どもの学びも希薄になってしまうだろう。
 一方、ワープロ感覚で映像編集も行える教師にとっては、「番組の質」をどう高めるかということを考える。彼らにとっては、映像編集そのものは極めて簡単な作業なので、むしろ「映像の内容」の方に興味・関心がいくからである。(つづく)

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