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2009年1月 6日 (火)

「授業の準備の時間」を確保する 4

 私があえて「授業の『準備』の時間」と書いたのは、「授業には準備が必要である」という当然のことを主張したいためである。一般的に「研修」とよばれる時間は、教材研究に直接役立つためのものである。これはこれで絶対必要なのであるが、授業には「直接役立たないこと」も必要なのだと思う。

 授業は、教師と子どもたちでつくる創造的な営みだ。ある決められた「方法」があって、それを上手にこなせばよいというものではない気がする。もちろん、そういう場面もあるが、それではあまりにも面白くない。
 教師には創造性が必要なのだと思う。授業の中身を一生懸命に考えている時間が私にとっては至福の時間である。そのためには、専門性も高めながらも、人間としての総合力のようなものも必要だと感じる。

 昨年12月の教育委員会の学校訪問があった。私は図工の授業を指導主事の先生に見てもらった。授業の導入の5分間で名画を見せることにした。そこで、どの画家の名画を見せるべきか、かなり迷った。指導案そのものは1ヶ月前にはできていたのであるが、授業前日まで悩みぬいた。子どもたちが描くのは想像画である。この導入の時間は、子どもたちが「ぼくたちも画家も同じなんだ」と実感できるような時間にしたかった。
 候補にあげた画家は、ミロとクレーとマチス。結局、前日にクレーに決定した。結果としては成功だった。子どもたちはクレーの絵に興味を示して、多くの感想を述べることができた。指導主事の先生からは「よくぞクレーを選びました。」とお褒めの言葉をいただいたので、苦労が報われた気がした。
 たった5分間の導入のために一ヶ月も悩んだことになる。
 だが、振り返ってみれば、授業を構想する段階において様々な絵画を見るという経験が教師側になければ、「名画を見せる」という発想もなかったはずである。資料になったのは、1990年に定期的に購入していた週間グレートアーティストという雑誌であった。今から18年も前のものだ。ゴッホやピカソといった一般の人にも知られている画家以外にも様々な画家の作品を紹介しているものである。当時は、ぱらぱらと眺めていただけなのであるが、18年後、結果として授業の発想に役立っている。

 教師が、直前にせまる授業のために「誰かがすでに考案したうまい方法」を習得することだけに没頭するようになれば、専門性は高まるのかもしれないが、なんとも薄っぺらい人間になってしまうような気がしてならない。自分の創造性を活かしながら一生懸命に様々なことに興味をもって吸収していく姿勢が、結果として子どもたちに良い影響を与えていくのではないだろうか。(つづく)
 

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