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2009年10月

2009年10月27日 (火)

4年「一つの花」その9:2009

Hana  いよいよ第10時。最後となる。

 朝から、保護者の方からコスモスの花束をいただいた。なんというタイミング!!感動してしまった。

 私は「○○さんのお母さんから、コスモスの花をいただきました。○○さんのお母さんがなぜ今日、コスモスの花をこのクラスに送ってくれたのか、その『意味』を考えてみるのもいいですね。」と告げた。

教室の前にしっかり飾って授業を進める。

 「まだ、二つの課題が残っていました。最後の場面です。
 一つは『なぜ、たくさんのコスモスの花があるのか』ということ。もう一つは『なぜ、ミシンの音が出てくるのか』ということでした。
 まず、『なぜ、たくさんのコスモスの花があるのか』から考えましょう。」

 最後の場面を指名読みさせた後、一斉音読。1分間、個人で考える時間をもうけた後、グループの中で話し合わせた。

 次のような意見が出た。
○お父さんの気持ちが伝わって、自然と育っていった。
○お母さんが、お父さんからもらったコスモスを大切に育てた。
○ゆみ子も育てた。

 この問いに対しては、多くの子どもたちが、お父さんの気持ちを分かったお母さんが育てたと考えているようであった。

 間髪を入れずに次の課題。
 「『なぜ、ミシンの音が出てくるのか』では、ちょっと考えるのが難しいので、『ミシンの音は、何を表すのか』とう問いに変えてみましょう。」

 4年生には、ミシンの音が出てくる理由を問うよりも、ミシンの音の意味を問うべきだと考えたからである。

 グループでの話し合いの後、次の意見が出た。
○お母さんが生きているということ
○一の場面を比べてみると、ミシンが使えて肉や野菜もあるということなので、平和になったということ

 場面を比べていることをおおいにほめていく。

○一の場面でお母さんは防空頭巾をつくっているので、ここでは防空頭巾ではない何かをゆみ子のためにつくっている。

 ある男の子が次のように言いかけた。

○10年の年月が流れ、『とんとんぶきの小さな家』なので、お金持ちではないけれど・・・・

 ここで言葉が見つからずに、発言が途切れてしまった。

 私は、「○○君は『お金持ちではないけれど・・・・』まで言ってくれました。いいですねえ。その後にどんな言葉が続くか考えてみましょう。」と指示した。

 グループでの話し合いの後、次の意見が出た。

○「コスモスの花」にかこまれていて幸せな生活
○「肉や魚」があるので、物は豊かになった
○お母さんがはたらけるようになった

 「なるほど、平和になっておかあさんもはたらけるようになったんだね。では、『お金持ちではないけれど・・・・』ゆみ子はどんな子になったのでしょう。」

 これもグループでの話し合いの後、次の意見が出された。

○自分で買い物に行けるようなたくましい子
○お母さんのお手伝いができるのでやさしい子
○「小さなお母さん」になれるくらい自立している子

 ここで残り時間が20分になったので、原稿用紙を配布して、「『一つの花』を学習して〜終わりの感想」を書くように指示した。
 ここで反省点が一つ。ここでは、「一つの花」についての感想を書いてほしかったのだが、「学習についての感想」を書いている子が多かった。指示が曖昧であった。

 この作文には10分ほどしかかからなかった。その後、まとめのワークシートを記入して授業を終えた。

「hitotsunohana_matome.pdf」をダウンロード

 このブログでは割愛したが、一つ一つの発言に際して、子どもたちが「○の場面の○○という言葉から〜 」ということを述べていたのがうれしかった。言葉を根拠にして考えていることがよく分かったからである。(つづく)

2009年10月25日 (日)

ETV50学ぶ冒険

 10月25日(日)放送の「ETV50 学ぶ冒険〜もう一度見たい教育テレビ第4弾〜」は面白かった。

 瀬戸内寂聴氏、蜷川幸雄氏、養老孟司氏の3人が、新たに「学ぶこと」について語っていた。
 他にも、すでに他界した著名人(湯川秀樹、寺山修司など)のインタビューもあって、あらためて教育放送の歴史を感じた。
 これらの人々に共通することは、「現状維持を好まない」ことなのだろう。言い換えれば、いつも現状に不満を感じてるのである。だから、もっと何かできそうだと思いながら考えている。だから、いつまでも若々しく生きていられるのだろう。
 特に印象に残ったのは、養老孟司氏の言葉「学ぶことは自分が変わること」だ。だから、学ぶことが好きな人は、いつも変化している。また、「考えるために身体を使う」という言葉にも納得した。
 また、寺山修司氏の「物語は半分つくって、後の半分は観客が補完して一つの世界になっていく」というのも面白い。授業も半分は教師がつくって、後の半分は子どもたちがつくって、一つの世界になっていくのだと思う。

 この番組を見たことで、自分の中の何かが変わった気がする。

2009年10月20日 (火)

第7回NHKミニミニ映像大賞第1次審査通過作品

 今年の8月22日(土)、熊本大学情報教育研究会では、「NHKのミニミニ映像大賞に応募しよう」という課題で研修を行った。
 今日、その第一次審査通過作品が発表された。

第7回NHKミニミニ映像大賞第1次審査通過作品

 応募総数は、なんと1253作品だったそうだ。
 教師が集まって映像作品を作るという研修会では、ネットワークの利用、協同的な学習、ICTの活動、メディアリテラシー、など様々なことを学ぶことができた。
 教職員の研修としても、利用できると思う。
 

2009年10月16日 (金)

デジタルメディア時代の授業術10月18日

 以下のテレビ番組があることを知った。
 とかく,ICTやメディアの活用といった話題になると,「そんなものは,授業の補助的な手段だ」なとど批判されることが多いが,私はそうは思わない。
 現実問題として,教室にプロジェクタやデジタルカメラが導入されて,授業の方法はおろか内容まで変わったことが多い。
 今の国語科の教科書では,デジタルカメラで撮影して学習を進めることが前提になっている単元も少なくないはずだ。また,インターネットで情報を収集していく学習もある。

 どんな「授業術」が紹介されるのか,楽しみにしておきたい。

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■『デジタルメディア時代の授業術』
10/18(日)16:00-16:44 NHK教育

※地域によっては、スポーツ中継などのため、放送日時が変更になる場合がありま
す。
 18日(日)新聞朝刊のテレビ欄や、NHKオンライン(www.nhk.or.jp/hensei/)
の番組表 でご確認ください。)

■番組では、先進的な取り組みをしている全国の学校を取材。
 デジタルメディアの活用によって、より楽しく、より分かりやすい授業を実践している先生方、学校の取り組みを紹介します。

■登場するのは、仙台、松山、広島の小学校と、愛知県岡崎市の高校です。
 電子黒板が入ったばかりの学校や、4年前から活用している学校。
 デジタルカメラを授業や学校生活のさまざまな場面で活用している学校。
 放送番組と電子黒板を組み合わせて授業を実践している学校です。

■詳しくは下記サイトをご確認ください。
  http://www.nhk.or.jp/school-blog/100/27933.html

どうぞよろしくお願いいたします。

2009年10月12日 (月)

なぜ協同学習なのか〜社会的構成主義〜6

 kinnkazann先生から以下のコメントをいただきました。
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 対話ということは、例えばペアや小集団を意味するのでしょうか。最終的には学級集団レベルでの話し合いが深まるまでの手段としてペアや小集団を活かしていくという考えには賛成ですが、個人同士で話し合いそれでうやむやになっているようなものが(話す技術を身に付ける経過の中にそれはあっていいと思いますが)多いように思います。でもやはり、話したいと思うきっかけ作りと聞く力を育てることにほとんどを使わざるをえない実情です。
 家庭でも聞いてなくて会話が成立していなくても、やり直すことが減っています。基本的な「あいさつ」や「返事」にしてもです。(皆無といってもいいところもあります。)そういう状況の子どもが集まってまずは、落ち着いて聞くことを繰り返し行っている状況です。愚痴だけ言ってもしょうがないですが。すいません。

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 私は「対話」は、ペアや小集団を指すというものではなく、自己の中に内面化していく活動(内化)を指すと考えています。だから、レクチャーの過程の中にも「対話」が生まれることはあるし、小集団でおしゃべりをしていても、それが生まれないこともありましょう。
 実際の授業でそれを検証することは難しいですよね。小集団での話し合いでうやむやになっているところが多いと思います。だから、私は、毎時間毎に「何を学んだのか」ということを書かせることにしています。(「書く」ことも対話には重要だと思っています。)

 しかも、集団を構成する要員によっても、対話の成立の度合いが異なると思います。たとえば、深い読みができる子ども同士の話し合いと、そうではない子ども同士の話し合いでは、読みの深さも異なってくるはずです。だからこそ、教師も含めた「対話」も重要だと考えています。たとえば、「一つの花」の読みの学習において、子どもたちが「『この花をお父さんだと思って、忘れないでね。』と父親が考えている」という結論に至ったとしましょう。その場合、教師は「本当にそうなのか。」と問うようなこともあってよいと思うわけです。教師の役割は重要なのです。

 いずれにしても、kinkazann先生が指摘されるように、内化の条件として「聞く」ということが絶対に必要なわけです。これは、子どもにも教師にも当てはまると思います。

 それにしても、コメントをいただけると私もよく考えます。これこそがまさに「対話」ですね。(^_^)

2009年10月11日 (日)

Mac-T例会10月10日

 10月10日、熊本大学教育学部情報教育研究会+D-project主催の定例会が行われた。
 3連休の初日にもかかわらず、23人の方々に集まっていただいた。

Mact091010  キーノート講座とミニテクニック講座。授業実践が4名。さらに、実物投影機の授業での活用法の話があった。非常に内容の濃いものとなった。
 授業実践に共通することを考えていくと、「メディアの特性」という言葉に行き着く。われわれ教師は、経験則から「動画」と「静止画」を使い分けている。なぜ、使い分けているのかを考えながら、実践を聞いていくと面白い。


Option091010  午後のオプション研修会には、19名の方々が残って下さった。私は共同研究としての、教育実習生の授業編集による研修の報告を行った。また、西尾先生が図画工作科における映像の活用の実践を話して下さった。

 実践報告を聞いていると、様々な共通事項が思い浮かぶ。メディアの特性を探究するのはホントに面白い。
 毎回、企画・参加してよかったと実感している。来月の11月7日も楽しみだ。

2009年10月 8日 (木)

総務省「テレビの見方を学ぼう」

 中村純子先生(川崎市立宮前平中学校所属・連合大学院博士課程)より以下のサイトを教えていただいた。

 総務省「テレビの見方を学ぼう」

 総務省が、メディアリテラシーのサイトを制作している。「放送記者坂井マヤ〜ストーリーをさがせ〜」はアニメーションだが、閲覧している側が自由に撮影をしたり並べ替えたりできるようになっている。これをどう授業化するかは教師次第だが、面白い取組だと思う。

2009年10月 7日 (水)

なぜ協同学習なのか〜社会的構成主義〜5

 最近の授業研究では、しばしば「対話」という言葉が用いられます。
 「話し合い」ではなくて「対話」です。
 「『もの』との対話」という言い方はしますが、「『もの』との話し合い」という言い方はしません。
 「対話」とは何でしょう。
 人によって定義はばらばらでしょうが、ここでは以下のように定義しておきます。

 情報の交換による新しい意味の創造

 新しい意味が創造できなくては対話とはよべないわけです。つまり、雑談やおしゃべりは「対話」とはよびません。
 ある課題に対して、自分なりの考えを相互に説明するような活動は「対話」とよべるでしょう。
 重要なことは、対話によって、より自分の考えが深まっていくということです。たとえば、漠然としていた自分の意見を他人に話してみることによって、より考えが明らかになるということはあるでしょう。あるいは、人に読んでもらう文章を書いてみることで、「自分はこういうことを考えていたのだ」と発見することもあります。(このブログもそうです。書くことで、自分の考えを明らかにしていくことが目的です。)
 また、相手の意見を聞いてみて「なるほど、そうだな。相手の意見にも賛成できる。」とか「たしかにそうだが、自分の意見とはここが異なるな。」と自分の考えが更新されていくこともあるでしょう。

 つまり、対話という社会的な相互作用によって学習は促されていくのです。ここに、対話が重要視される理由があるわけです。(つづく)

2009年10月 5日 (月)

なぜ協同学習なのか〜社会的構成主義〜4

 具体的な学習の場面で考えてみます。
 国語科の文学教材の学習では,子どもたちが文章を読み解き,その文脈を想像しながら新たな意味を創造していくことが重要視されます。
 たとえば,「一つの花」を読んで,多くの子どもたちが「お父さんがかわいそうだ」という初発の感想をもったとしましょう。
 その後の一般的な学習の進め方では,「どうして,お父さんは『一つの花』を,ゆみ子にあげたのだろう。」という問いに対して,それぞれの読みを語り合うことが多いでしょう。つまり,一つの花にこめられた父の思いを想像していくことになるわけです(文脈の想像)。このような学習を進めていくうちに,一つの花の意味を見いだしていくことになります(意味の創造)。
 それは,「やさしさ」であったり「美しさ」であったり,子どもによって子どもたちの読みは異なります。他の子どもたちの意見を聞きながら,子どもたちは「なるほど,そうか。」「ぼくの意見と同じだ」「そんな見方もあったんだな。」という新たな解釈を知ることができるようになります。そのようなやりとりを通して,「読みを深める」という学習が成立していくわけです。

 もっとも,そのような学習を成立させるためには,学習者である子どもたちが,言葉に対して共通の意味をもっていなくてはなりません。ここでは「コスモスの花」や「ごみすて場」といった言葉に対して脳の中で映像をイメージできていなければ,新たな意味を創造することは難しいでしょう。(つづく)

2009年10月 3日 (土)

なぜ協同学習なのか〜社会的構成主義〜3

 今から5年前,私はハワイ大学で英語教育の研修を2ヶ月間受けました。その2ヶ月間の研修の中でも「構成主義」が取り上げられました。

「構成主義」が,個の中で知識の構成を行うという立場をとるのに対して,「社会的構成主義」(または「社会構成主義」)は,社会的な文脈の中で知識の構成を行うという立場をとります。簡単に言えば,人と人とのかかわりの中で知識は構成されていくと論じます。
 つまり,協同活動を行うことによって他者と相互作用を行い,その過程の中で知識の再構成が可能となると考えるわけです。この場合の「他者」とは,学校教育においては「同じ学習集団のメンバー」を指すのは当然なのですが,「教師」も含まれます。

 相互作用のためには,それぞれの子どもたちが自らの考えをもち,それらを出し合いながら学習を進めることになります。その場合に必要になるのが「対話」であり,その道具となる「言語」です。(つづく)

2009年10月 1日 (木)

なぜ協同学習なのか〜社会的構成主義〜2

 認知心理学では「構成主義」という考え方があります。
 構成主義を簡単に説明すると以下のようになりましょう。

 学習を,
 学習者が「白紙」の状態で知識や情報をインプットし受動的に蓄えていくものだと見るのではなく,
 学習者が主体的にかかわりながら,体験や既存の知識と関連づけながら知識や情報を構成していく過程としてとらえる。

 学習者が「白紙」の状態で知識や情報をインプットしていく存在であるとする考え方を「客観主義」とよぶことがあります。客観主義では,教える側(教師)が,効率的に知識や情報を伝達する方法を開発することが重要になります。いわゆる「教え方」が問われるわけです。

 一方,「構成主義」では,学習者(子ども)が,主体的に世界(人,もの,こと)にかかわっていくことが重視されます。つまり,学習者の「学び方」が問われるわけです。ここ最近の研究発表校のテーマを見てみると,「学び」や「かかわり」といった言葉がふんだんに盛り込まれていますが,構成主義の影響を受けているものと考えられます。(つづく)

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