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2010年11月

2010年11月30日 (火)

研究について思うこと 3

 一般的な「教育研究」の基本形式は次のようになることが多い。

1 今までの学問的成果の検討を行う。

2 新しい仮説を立てる。

3 実践を行う。

4 その裏付けによって仮説を検証する。

 学校でこれを行う場合、124は研究主任が一人で行うことが多い。
 そうすると、他の職員は3だけを行うことになる。
 ここで問題なのは、「仮説に沿って実践を行う」ということだけに意識が向かいがちになってしまうことだ。つまり、「研究主任が考えた仮説に従って、何かしらの研究授業を行う」という部分にだけエネルギーが注がれてしまい、124には関係しないという事態が起こってしまう。極論すれば、研究とは「仮説に沿って実践を行うこと」という意識が定着してしまうのである。

 一方、研究主任が担っている1、2、4に関しても、十分にやられているかといえばそうでもない。「今までの学問的成果の検討」を行ったり、「新しい仮説」を立てたり、「実践の裏付けによって仮説を検証」したりしているだろうか。
 少なくとも、「新しい仮説」というものを、私はあまり見たことがない。たいていは、「指導過程の工夫を行えば、子どもたちの自ら学ぶ力が育つだろう」といった抽象的なものに終始している。(つづく)

2010年11月27日 (土)

日本国語教育学会熊本支部研究会12月25日

 日本国語教育学会熊本支部研究会は、12月5日。
 毎年参加しているが、非常に面白い研究会だ。

http://www.meijitosho.co.jp/kenkyukai/shosai.html?bango=5891

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第18回日本国語教育学会熊本支部研究会
みんなで国語教育について考え、語り合いましょう!これからの国語科教育
地域: 熊本県
主催: 日本国語教育学会
講師: 田中耕治 鶴田清司 中洌正堯
対象: 小 中 他  ジャンル: 学習指導要領・教育課程・国語 他

みんなで国語教育について考え、語り合いましょう!
これからの国語科教育
熊本支部支部長 河野順子(熊本大学)

主催 日本国語教育学会 

共催 熊本県小学校教育研究会国語部会
   熊本市小学校国語教育研究会  
   熊本県中学校教育研究会国語部会
   熊本市中学校国語教育研究会

後援 熊本大学教育学部 
   熊本県教育委員会 
   熊本市教育委員会 
   国語教育湧水の会

日時 平成22年12月25日
場所 熊本大学教育学部附属小学校
受付 9時から

【授業研究会】
対話型授業で「習得」「活用」を目指す授業づくり! 
みんなで一緒に議論しましょう!

9時30分~10時15分授業 
「海の命」(立松和平) 
授業者 熊本市立帯山西小学校 大塚真実先生

10時20分~11時40分 
授業検討会及び対話型授業創造について討議
コーディネーター 河野順子(熊本大学)
コメンテーター  中洌正堯(兵庫教育大学名誉教授)
         鶴田清司(都留文科大学)
         岩根 浩(合志市立西合志中央小学校校長)

【分科会・ワークショップ】12時40分~14時
第1分科会
若い先生方も、ベテランの先生方も一緒に学び合いましょう!
熊本大学教育学部国語科学生による授業アイデア提案-実践と理論の統合を目指して-

・北島智博「場の設定に着目した創構指導の研究」
・後藤真弥「読みのつまずきにおける教師の支援の研究」
・今西由佳「からだを通した読むことの研究」
・奥田芙沙子「国語科教育における文学的文章の価値に着眼した研究」
・安永優里「自立した読み手を育てる文学的文章教材の授業研究―<解釈>と<分析>の観点に着眼して―」
・濱田小百合「読解指導における『比べ読み』の研究」
・白井雄大「物語文を教材とした学習者に学びの起こる発問研究」
・木下絵美子「入門期におけるコミュニケーション能力の育成に関する研究」
・坂本万葉「既有知識を生かした説明文読解の研究」
・中井雅和「説明的文章における『習得』と『活用』に関する研究」
・古賀洋一「説明的文章における読みの方略に関する研究」
・平坂千明「論理的な説明表現の研究―『話すこと・聞くこと』を中心に―」
・坂田光「入門期の『話すこと・聞くこと』教育における学習材開発の研究」

第2分科会 <ワークショップ形式>
ICTを用いた国語科学習指導のあり方…平成23年度からの授業設計のあり方…
熊本市教育センター指導主事 前田康裕

第3分科会 
低学年における思考力・表現力の育成を目指す説明的文章の学習指導
玉名市立大野小学校 高山裕子 
司会 (玉名市立玉水小学校 坂梨廣文)
助言(兵庫教育大学名誉教授 中洌正堯)
  (玉名市立玉水小学校 高森秀一)

第4分科会 <ワークショップ形式>
演劇を取り入れたコミュニケーション能力の育成
熊本市立城西小学校 坂本貴美子

第6分科会  
読みの再構築を意識した国語科学習指導の工夫―書く活動の工夫を通して―
阿蘇市立波野小学校 福山 元
司会(阿蘇市立波野小学校 高鷹昭治)
助言(阿蘇市立波野中学校 椙山範夫)
  (熊本市立白川小学校 倉橋宏明)

第7分科会 
自ら学び、自ら考える授業づくり
熊本市立江原中学校 出口文雄  
司会(熊本市立帯山中学校 桃崎佐知子)
助言(都留文科大学 鶴田清司)
 (熊本市立五霊中学校 米岡峰男)

第8分科会 
伝統的な言語文化を言語生活につなぐことができる主体的な学習者の育成
阿蘇市立南小国中学校 熊谷潤一
司会(熊本市立白川中学校 北川純子)
助言(熊本市立出水中学校 本田惠典)
  (熊本市立江原中学校 岩下 眞)                   
【講演】14時15分から15時30分
京都大学 田中耕治  「これからの新しい教育評価のあり方」

【講師紹介】 
〈田中耕治〉
京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育方法学・教育評価論。日本著書は、『学力評価論の新たな地平』、『指導要録の改訂と学力問題』、『人物で綴る戦後教育評価の歴史』(編著)(以上、三学出版)、『新しい教育評価の理論と方法』Ⅰ・Ⅱ(編著)、『学力と評価の今を読みとく』、『時代を拓いた教師たち』(編著)(以上、日本標準)、『教育評価の未来を拓く』(編著)、『よくわかる教育評価』(編著)(以上、ミネルヴァ書房)他多数。

〈鶴田清司〉
博士(教育学)。東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。都留文科大学教授。全国大学国語教育学会常任理事。日本教育方法学会理事。著書は、『文学教育における〈解釈〉と〈分析〉』、『「ごんぎつね」の〈解釈〉と〈分析〉』、『「読解力」を高める国語科授業の改革―PISA型読解力を中心に―』(以上、明治図書)、『<解釈>と<分析>の統合を目指す文学教育』(学文社)など多数

〈中洌正堯〉
広島大学大学院教育学研究科修了。兵庫教育大学名誉教授。前兵庫教育大学学長。 全国大学国語教育学会常任理事。日本国語教育学会理事。著書は『国語科表現指導の研究』渓水社、『ことば学びの放射線 「歳時記」「風土記」のこころ』(三省堂)、『子どもとひらく国語科学習材 音声言語編』(明治図書)など多数。

【問い合わせ先】
●熊本大学教育学部 河野順子    
〒860─8555 熊本市黒髪二丁目40─1
電話・FAX(096)342─2583
E-mail kawano@educ.kumamoto-u.ac.jp

●熊本大学教育学部附属小学校 井上伸円
〒860─0081 熊本市京町本丁5─12
電話(096)356─2492
FAX(096)356─2499
E-mail shinen@educ.kumamoto-u.ac.jp

●熊本大学教育学部附属中学校 田上貴昭
電話(096)355─0375
FAX(096)355─0379

【会費】  
一般3000円 学生1000円(当日受付でお支払いください)12月10日までにお申込みください。

※半日の研修参加も大歓迎です。一般1500円、学生500円です。当日参加も可能です。

※昼食のお弁当を700円程度(お茶付き)でお世話いたします。申し込みに○×を!

※当日は午後5:00〜午後7:00で懇親会をひらきます。申し込みに○×を!( 一般4000円、学生3000円)程度です。お待ちしております。

2010年11月26日 (金)

国語と情報教育を追究するセミナー 1月29日(土)

 「国語と情報教育を追及するセミナー」が開催される。今年の話題は「デジタル教科書」。
 ぜひ、ご参加を!!

 申し込みは以下のサイトから

http://www.media-kokugo.com/seminar2010/

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 今回で3回目となりました「国語と情報教育を追究するセミナー」。今年は、話題の「デジタル教科書」をテーマに開催します。海外の情報、国内での活用例の紹介や活用方法のワークショップなど、「デジタル教科書」に関する情報が盛りだくさんの1日となります。どうぞご参加ください!

(国語と情報教育研究プロジェクト 代表 中川一史)

日時
2011年1月29 日(土) 午前10:00~午後16:30 (受付開始9:30~)
テーマ
国語科教育におけるデジタル教科書の現在、未来
会場
株式会社 内田洋行 新川オフィス地下1階 CANVAS 東京都中央区新川2-4-7
参加料
1,000円(資料代)
定員
75名(定員になり次第申し込み受付は終了いたします)

プログラム
10:00~10:20
■ 趣旨説明
中川一史(放送大学ICT活用・遠隔教育センター教授)
10:20~11:30   
■ 総括パネルディスカッション
 「 国語科教育における各国のデジタル教科書事情」
コーディネーター :
 中川一史(放送大学ICT活用・遠隔教育センター教授)
パネリスト :
 藤森裕治(信州大学教授)
 黒川弘一(光村図書出版株式会社 取締役 企画開発本部長)
11:30~12:00   
■ ワークショップの説明
12:00~13:00   
■ 昼休み
13:00~15:00   
■ ワークショップ
A:デジタル教科書を活用した国語科の授業 
 西田素子(金沢市立犀川小学校)
B:デジタル教材を活用した小学校古典
 青山由紀(筑波大学附属小学校)
C:映像と言葉で情報をつくる新聞制作のツボ
 佐藤幸江(横浜市立高田小学校)
15:15~16:25   
■ 実践パネルディスカッション
「大解剖!デジタル教科書活用」
コーディネーター :
 石川 等(甲府市立大国小学校)
パネリスト :
 鈴木 彰(横浜市立大綱小学校)
 前田康裕(熊本市教育センター)
 森下耕治(光村図書出版株式会社 企画開発本部)
16:25~16:30   
■ 事務連絡

2010年11月25日 (木)

研究について思うこと 2

 研究とは「深く考える」「広く調べる」ということだ。
 ところが、学校における研究では、

「研究テーマに沿って、何かの実践を行う」

 と捉えられていることが多い。
 だから、教師にとって、研究主任が立てた仮説に合わせた「研究授業」を行うことが研究のメインになってしまいがちだ。

 たとえば、「対話」が仮説の中心となれば、自分の研究授業にどうやって「対話」の場面を入れようかと考えてしまう。
 本来、「そもそも対話とは何か」「なぜ対話が必要か」「本当に対話が必要なのか」といったことを深く考えるべきではないか。そんなことを考えたり、対話に関する文献を調べたりしていくうちに、対話の本質が見えてくるはずだ。(つづく)

2010年11月24日 (水)

研究について思うこと 1

 そもそも「研究」とは何だろう。
 大辞林には次のように書いてある。

 「物事について深く考えたり調べたりして
  真理を明らかにすること」

 日本語大辞典(講談社)には次のように書いてある。

 「広く調べ、深く考えること」

 いずれにしても、「調べる」「考える」という言葉が出ている。

 学校における「研究」は、この「調べる」「考える」があるのだろうか。
 学校の研究紀要を見てみると、ほとんどが以下のような構成になっている。

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1、研究テーマ
 以下のような遠大な言葉が含まれているものが多い。

 「学びを育む」「豊かな学び」

2、研究の仮説
 たとえば、こういうものが多い。

 「興味関心を高める指導過程の工夫を行えば、子どもたちの自ら学ぶ力が育つだろう。」

 当然といえば、当然すぎる文脈だ。重要なのは「工夫」の内容だ。

3、授業の実際
 実践報告というか授業事例がいくつか掲載される。
 単元名があって、指導過程が記述されている。

4、成果と課題
 研究の前後の子どもたちの実態が数値で示されていることもあれば、文章で「以前よりも、積極的に考える姿が見られるようになった。」と記されていることもある。
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 このようなの流れの中で、教師が「調べる」「考える」ということを行っているだろうか。ひょっとしたら、考えているのは研究主任だけで、あとの教師は年に一度の研究授業を文章化しているだけではないだろうか。
 だとすれば、学校の研究は「研究」ではなくて、「実践」を報告しているだけではないだろうか。(つづく)

2010年11月18日 (木)

教科教育とICT活用 5

 「内外教育」(11月5日)の中で、大久保昇氏(内田洋行教育システム事業部長)が、電子黒板について次のように表現している。

「ただの便利な道具」
「劇的な効果を発揮する武器、道具」

 一見矛盾するようだが、なかなか正鵠を射た表現だと思う。使い方によっては、「ただの道具」にもなるし「劇的な武器」にもなるということだ。プリントを実物投影器で拡大投影するような使い方もできるし、遠く離れた外国の子どもたちとリアルタイムで会話をするような使い方もできる。

 そして、それはどちらの使い方も必要である。教師にとっては、日常的にICTを使っていないと子どもたちの反応が分からない。それに、何と言っても、日常的に使わないと、機器操作がスムーズに行えない。それと同時に、ICTならではの使い方の研究も行う必要もあるだろう。
 ICT授業を広めるためには前者が必要だし、ICT授業を深めるためには後者が必要だ。
 ICTにはコストがかかる。しかも、その額は莫大だ。コストに応じた効果が求められるのは当然のことだ。

2010年11月16日 (火)

教科教育とICT活用 4

 数年前に、20秒程度の動画コンテンツが、教師によってどのように使われ方が異なるかを調査したことがあった。動画コンテンツは、戦後まもなくおこった「米よこせデモ」の映像である。米不足に不満をもった民衆がデモ行進をするという動画であり、一見すると何の映像なのかが分からない。
 経験年数10年以上の10人の教師にお願いして指導案を作成してもらった。ICTを授業ではあまり使っていない教師5人と日常的に使っている教師5人である。

 ICTを授業では使っていない教師は、この動画を授業の導入に使う傾向が見られた。子どもたちの興味・関心を高めようとすることが目的である。映像の提示後は、通常の授業の形態となった。

 ICTを授業で日常的に使っている教師は、この動画に含まれる情報を読み取らせて、これが何の映像なのかを教科書や資料を元にして考えさせるという授業の形態となった。したがって、映像を編集・分割して見せたり数回見せたりといったことを行う。

 どちらの教師もICTの必要性は認めている。しかし、両者に違いが生じたのは、日常的に使っている教師は、動画コンテンツから教材としての情報を読みとることができるからだろう。また、その映像を提示した時の子どもの反応をあらかじめ予想できるはずである。しかも、編集ができるというデジタルデータの特性も知っているので、動画コンテンツを授業の中心に位置づけることができたのではないだろうか。同じICTの活用でも、教師によって活用の仕方が異なるのである。(つづく)

2010年11月15日 (月)

教科教育とICT活用 3

(1)ICTの使い方もよくて、授業もよい。
(2)ICTの使い方もよくないし、授業としてもよくない。

 これらの場合、ICTの使い方と授業の文脈のかかわり方で意味が異なる。
 たとえば、授業の導入数分間にフラッシュ型教材で英単語の読み方を反復練習して、あとは、通常の英語の授業を行うという場合が考えられる。これは、ICTと授業の文脈の関連は薄い。日常的な授業ではよくあることだろう。

 それとは別に、ICTが授業の文脈と大きく関わる場合も考えられる。たとえば、英会話練習では映像にネイティブスピーカーが現れて発音を指導したり、英文を大きく投影してポイントをチェックしたりするような使い方である。

 前者のようなICTの使い方は、私は日常的な授業ではごく当然のように行っていた。実物投影機を使って、社会科の時間に地図を、音楽の時間に鍵盤ハーモニカーなどを投影していた。子どもたちが「見て分かる」場面においては有効に使えるからである。言わば、ICTに自分の授業の「補助」をしてもらう使い方と言える。また、ICT活用を推進する立場からすると、このような活用をどんどん推奨した方がよい。教師側も、その便利さを実感するはずだ。

 後者のようなICTの使い方は、教師側のICTに関する知識・技能と学習を関連づける力量が要求される。ICTと授業の文脈の関わり方が大きいだけに、授業がうまくいかなかった場合、「ICTに振り回される授業」「活動あって学びなしの授業」などという批判を受けることになる。だから、ICT活用を始めたばかりの教師にはハードルが高い。しかし、ICTならではのすぐれた活用法を開発できれば、授業の在り方そのものが変わることになる。

 教師に求められるのは、どちらなのだろう。基本的にはどちらの使い方もできるようになるべきだと考える。なぜならば、教師には自らの授業を常にリニューアルしていく力も求められているからである。前者の使い方のみだと、いつまでも「ICTは授業の補助的なもの」という考え方で終わってしまう。自分の授業の在り方はずっと変わらない。

 ICTを活用すれば、「未来の授業になる」とか「授業の大革命が起きる」などとは全く思わない。しかし、自らの授業をリニューアルするためのきっかけにはなるはずだ。(つづく)

2010年11月13日 (土)

書籍から学ぶ 9

中村東吾著
「孫正義のデジタル教育が日本を救う」
角川SSC 新書 780円

 基本的には著者の意見に賛同できる。少なくとも田原総一朗氏の「デジタル教育は日本を滅ぼす」よりもはるかに前向きで明るい。
 ただ、デジタル教育とは何なのか、具体的には教育がどのように変わるのか、授業はどう進められるのかが分からない。デジタルコンテンツに動画などのマルチメディアが豊富にクラウドから提供されるとしても、それをどのような授業の文脈にのせるのかは教師の授業の進め方にかかっている。電子教科書になれば、おそらくは授業の方法までも変わるのかもしれない。
 しかし、少なくとも旧態依然とした授業論を盾にして電子教科書を批判する方々には、一度呼んで欲しい本ではある。
*評価「4」
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2010年11月12日 (金)

教科教育とICT活用 2

 授業には流れがある。ストーリーや文脈という言い方にしてもよい。したがって、授業でICTを活用している部分だけを根拠にして授業全体を批評することはできない。
 映画の一場面だけを理由にして、映画全体の評価ができないのと同じである。しかし、その逆は可能である。映画全体の出来はよくないが、「あの場面」は実に美しかったという評価は可能である。
 授業においても、「本時のねらいは十分に達成できたとは言えないが、実物投影機で子どもたちのノートを提示させたのは効果的だった」という言い方はできるだろう。
 前回の「(2)ICTの使い方はよいのだが、授業としてはよくない。」という批判がこれにあたる。
 そう考えると、「(3)ICTの使い方はよくないが、授業としてはよい。」という批判もできる。映画にたとえると、「あの場面の役者の演技は最低だったが、映画全体の出来としてはよい。」という言い方ができるのと同様である。
 (2)と(3)は、授業の文脈がICTの活用に大きく依存していない場合となるだろう。
 (1)と(4)は大きく二つに分けられる。(つづく)

2010年11月11日 (木)

教科教育とICT活用 1

 「ICTを活用した授業」というものを見る機会がある。たしかに、ICTを使ってはいるが、授業のねらいに沿っているかどうかは疑わしいものもある。

 その後の授業研究会。教育界には、何となく「ちょっとだけICTのデメリットをおさえておくと共感を得られる」という雰囲気があって、授業者も助言者もそのような発言を述べることが多い。たとえば、「デジタルだけではなくアナログも必要なのです」とか「ICTは道具なのであり、使い方を誤ると逆効果になります」といったものである。聞いている方は、何となく頷いてしまうのだが、正直言うと、聞き飽きた感がある。
 このような言葉が飛び交うときは、まだましなほうで、たまに「ICTを使った方がよい」とか「ICTを使わない方がよい」というような言葉が出ることもある。この場合は、「ICTそのものの批判」なのか「ICTの使い方の批判」なのかがごちゃ混ぜになっている。
 そもそもICTは技術にしかすぎないのだから、使い方次第なのは当然のことだ。もう、そろそろこのような「当たり前の批判」からは抜け出したいと考える。

 授業研究会である以上は、授業そのものが検討される。教科の本質論から批判すれば次のような場合が考えられるだろう。

(1)ICTの使い方もよくて、授業もよい。
(2)ICTの使い方はよいのだが、授業としてはよくない。
(3)ICTの使い方はよくないが、授業としてはよい。
(4)ICTの使い方もよくないし、授業としてもよくない。

 問題は、「授業がよい」と判断される要因がICTの使い方にあったかどうかということだ。(つづく)

2010年11月10日 (水)

ICTと表現力 5

 コンピュータの音楽ソフトは面白い。聞かせたい部分を即座に指摘して聞かせられるからである。楽譜として表示させたり鍵盤の位置や波形で表示させたりもできる。私自身も、音楽の授業ではこのようなソフトを活用していた。(写真は上から、GarageBand、PrintMusic、Soundit)

Garageband2

Soundit  

Printmusic

音楽のように「見えないもの」であっても、ソフトと使って可視化できれば根拠を示すことができる。「重なった三つの音」を別々に再生したり、音の長さや強さを目で見える形で提示することができるからである。
 しかし、これらのソフトはあくまでも教師が音楽の演奏を助けるためのものにしかすぎなかった。もしも、子どもたちが何らかの形で音楽を目に見えるようにした映像を元にして話し合うことができれば、また違った授業ができるはずだ。(つづく)

2010年11月 9日 (火)

ICTと表現力 4

 学会発表では、グラフや表などを使ってプレゼンテーションが行われることが多い。これは、研究結果の根拠を示す必要があるからだ。もちろん、学会に限らず、何らかの主張を行う場合に、その根拠を示すことは有効に働く。

 来年度から採用される国語科の教科書においても、グラフや表などを用いて報告文を書く単元が増えている。たとえば、給食の人気メニューをアンケートで調べてグラフ化するといったものだ。私が担当した4年生の子どもたちは「あげパン」が圧倒的一位であることを棒グラフで示していた。なんとなく感じていたことが棒グラフという根拠を示すと、説得力が増してくる。グラフや表は数値化された視覚情報なのでである。

 グラフや表だけではなく写真や図・絵なども根拠となりうる。自分が感じたことをそれらの中から指摘することができるからだ。たとえば、ムンクの「叫び」を見て「気持ちが悪い」と感じた根拠を絵の中から指摘することができる。うねうねとした曲線を挙げることもできれば、中央の人物の異常な表情を挙げることもできる。また、超現実的な色づかいも根拠となるだろう。
200pxthe_scream

 これは、学習者の表現力を高める場合、根拠の有無が重要であるということでもある。逆に言えば、根拠を示すことができないと表現力が高まらない。たとえば、音楽の鑑賞の授業において、学習者が「三つの音が重なっていて綺麗に感じる」と指摘したとしよう。その部分を即座に再生できればよいのだが、現実的にはなかなかそうはいかない。少なくとも、カセットテープやCDでは、「この部分」を的確に取り出して聞かせることは容易ではない。(つづく)

2010年11月 5日 (金)

ICTと表現力 3

 当たり前のことではあるが、人は体験したことを語ることができる。だから、学習者が写真を撮影するということに大きな意味がある。
 たとえば、ユニバーサルデザインについて調べたことをプレゼンテーションすることを考えてみる。もしも、学習者がインターネットから収集した写真をそのまま提示したとしよう。その場合、そのモノの説明はできるかもしれないが、そのモノの大きさやそれが置かれてる空間的なものを語ることはできない。文脈が分からないからである。しかし、デジタルカメラをもって実際に現場に行ってユニバーサルデザインを撮影してきた場合、このモノがどれくらいの大きさでどんな場所に設置されていてどのように使われているかといった文脈を語ることができるようになる。
 学習者の表現力を高めるためには、学習者が体験を語れるような状況を設定することが必要だ。だから、「写真を見せながら話す」という活動だけで学習を設計するべきではない。「ある意図をもって情報としての写真を収集し、目的に応じてそれらを選択して、文脈をつなぎながら話す」という一連の活動を学習に位置づけなければならない。それは容易なことではない。目的や相手によって語るべき文脈は異なってくるからである。かなりの思考力が要求される活動となる。(つづく)

2010年11月 4日 (木)

ICTと表現力 2

 ニュージーランドからの高校生のホームスティを引き受けたことがある。彼は日本語を習ってはいるものも会話はほぼできない。こちらも英会話は得意というわけではない。
 私と彼が向かい合って英語で話していても、会話が続かない。話題が途切れてしまうのである。何となく重苦しい空気が流れた。しばらくして、彼はおもむろにデジタルカメラを取り出して、その画面を見せながら話し始めた。見ると、日本に到着してから印象に残ったものを次々に撮影してある。日本人から見ると、それほどめずらしいものではない物、たとえば、祭りの山車のような物である。彼は、「これは何なのですか?」「どんな時に使うのですか?」などと尋ねてくる。すると、とたんに話がはずみはじめた。写真というメディアを通すことでコミュニケーションが活性化されたのである。
 写真は、ある意図をもって現実を切り取った映像である。したがって、そこには撮影者の意図が含まれている。だから、撮影した場所、時間、意味といった「文脈」を語ることができる。学校の授業でも「写真を見せながら話す」という活動を行うことがあるが、写真というメディアがあることで、俄然話しやすくなるのはそのためであろう。(つづく)

2010年11月 3日 (水)

ICTと表現力 1

「ICT活用」は最近とてもよく聞くようになった言葉である。そもそもICTとは情報通信技術全般の総称であり、コンピュータやネットワーク、デジタルコンテンツ等の全てを含んでいる。だから、授業でそれを「活用」するとなると、様々な場面が想定される。授業者がパワーポイントで要点を示しても「活用」であるし、学習者がインターネットで検索して調べる活動を行っても「活用」となる。おそらく、ここ数年のうちに、それらのことは当たり前のものとなり、ことさら「活用」などと言わなくても、授業の一部として取り入れられるようになっていくだろう。

 問題は、「活用」の目的である。たとえば、学習者の「表現力」を高めるための「活用」となると話は違ってくる。授業者が一方的に情報をパワーポイントで提示するだけの授業方法であれば、目的に沿わなくなってしまう。

 そこで重要なのは、ある視点の導入である。私は授業でのICT活用を検討する場合、「コミュニケーションにおけるメディアの働き」という視点を用いることにしている。なぜならば、授業は、授業者と学習者、あるいは学習者同士のコミュニケーションによって成立するからである。そこで重要な働きをするのがメディアである。(つづく)

2010年11月 2日 (火)

電子黒板と授業 3

 同じ教材でも、まず「何だろう型」で提示し、学習者の興味・関心を高めて、それから言葉で説明するという「なるほど型」提示にすると、学習者の納得度を高めることができる。
 たとえば、まずピカソの「ゲルニカ」を提示して、「何が見えますか?」「どんな音が聞こえてきそうですか?」と問いかけて学習者に考えさせた後に、「ゲルニカ」の意味を伝えるのである。
Gerunika

 しかし、これは授業者が提示する教材の意味を熟知しておくことが条件となる。また、教材の条件として、情報の一つ一つの意味を読み取ることで、全体の持つ意味をつなげていくことができるという「文脈」をもつものでなければならない。
 これは、授業の根幹に関わる部分である。国語科でも社会科でも同様だ。教材が一見何だか分からないようなものほど、授業では面白い教材となりうる。

 面白いデジタル教材が一見どんな使い方をするのか分からないものが多いのはそのためである。逆に分かりすぎるデジタル教材は、授業としては面白くない。だから、ある教師にとっては非常に使いやすいデジタル教材であっても、それが他の教師にすぐに使えるようになるかといえば必ずしもそうではないのである。(つづく)

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