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2010年12月 1日 (水)

研究について思うこと 4

 そもそも「仮説」という言葉が分かるようで分からない。

 簡単に言えば、「○○すれば□□になる。」という「原因」と「結果」をむすびつけて、その関係性を述べること。これが「仮説」だと言えよう。
 そう考えると、われわれは日常的に「仮説」を立てて行動している。
 たとえば、「西の山が雲で隠れているので、今日は雨が降る。」と考え、「傘をもっていく」というようなことはけっこう多い。

 一方、教育研究の仮説は、やたらと大きいものが多い。「興味関心を高める指導過程の工夫を行えば、子どもたちの自ら学ぶ力が育つだろう。」などは、その顕著な例であろう。その「結果」になるような「工夫」を行うわけなので、当然と言えば当然の文脈となる。「ごはんをたくさん食べれば、おなか一杯になるだろう。」と言っているようなものである。
 だから、「仮説の検証」の段階になれば、そのほとんどが「検証された」ということになり、子どもたちは見事に「自ら学ぶ力が育った」ということになる。
 教育研究のような社会科学においては、授業一つとってみても、教師の指導技術・子どもの人間関係・学級経営・教室環境などの様々な要因があって、簡単に「検証」はできないはずだ。

 そう考えると、教育研究においても、対象を焦点化し具体的な仮説にしなければ、「研究」にはならないのではないだろうか。(つづく)

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