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2011年9月30日 (金)

学校の研究はなぜ実践報告になってしまうのか 8

【証拠を残す力】

 何らかの実践を行ってみて、それが効果があったのかどうかを主張する場合、何もデータがなければ調べようがない。だから、「子どもたちの興味関心は高かった」とか「活発な議論ができるようになった」といった甚だ主観的な表現で効果を語らざるを得なくなってしまう。
 そこで必要なことは「証拠を残す力」である。
Shoukowonokosuchikara
 実践の足跡を何らかの形で残すことであり、できればそれが授業の中に組み込んであることがのぞましい。たとえば、単元の終了時に「学習のまとめ」を書かせて、その横の枠に「今回の学習は楽しかったですか」「メンバーと話し合いながら報告書を書くことができましたか」といったアンケートをとるようなワークシートを作っておくようなことだ。
Tangensyuuryoujinoishiki
 それを集計すれば、少なくとも単元間で子どもたちの満足度を比較することができるようになる。このように、可能な限り簡単に意識調査ができるような仕組みを作っておけば年間を通して調査することができる。

そうすると、
「子どもたちの興味関心は高かった」
といった主観的な表現ではなく
「24名中24名の学習者が『今回の学習は楽しかった』と回答している」
といった客観的な表現にすることが可能となる。(つづく)

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