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2011年10月 3日 (月)

学校の研究はなぜ実践報告になってしまうのか 10

【数値で残す力】
 私自身は文系出身なので、統計用語が出てくると、つい引いてしまう。慣れていないからだろう。「尺度」などという言葉が出てくると「私とは関係なさそうだ」ということになってしまう。「平均」という言葉が出たら何となく安心するのだが、「標準偏差」という言葉で、ちょっと不安になってきて、「検定」「分析」といった言葉が並んでくると、逃げ出したくなってくる。
 でも、そこから逃げてばかりもいられない。そうしないと、いつまでも「平均」でしか話が出来なくなってしまうからである。これを「平均依存症」とよぶことにする。

 学校の研究が実践報告になってしまう一つの要因は、研究する側が平均依存症から脱することができないからだろう。研究を実践報告で終わらせないためには、児童生徒の実態を数値で残しておいて、それをデータ化する力が必要になってくるのである。
Suuchidenokosuchikara
 統計用語の言葉の意味を少しでも理解しておくと、実態が見えやすくなってきて面白くなる。まさに「それって何?」という気持ちでその意味を理解しておく必要があるのだと思う。(つづく)

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