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2012年3月

2012年3月21日 (水)

教師のための思考術 15

【図にして考える プレゼンテーション】

 以前はプレゼンの準備をするときは、いきなりパソコンに向かっていた。
 今は、まずノートに図を描くようにしている。その方が効果的なプレゼンができることが多いことを実感したからである。
 基本は三点である。
 ガー・レイノルズは、「現状」に対する「期待」の間に生まれるギャップである「衝突」の三点でストーリーを作ることを主張している。そこに新しい提案が生まれるというわけである。
 また、永田豊志氏は、「現実」を「理想」の状態にするための「提案」の三点を図にすることを主張している。
 いずれにしても、現実から理想へ向かうための提案をもったストーリーが重要であることは共通している。
 考えてみれば、スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションはほとんどがこの形をとっている。理想を掲げつつ現状を分析した上で新しい製品を発表するというパターンである。

 そこで、まずは以下のような図を描くことにしている。(つづく)
Genjitsurisouteian

参考文献:ガー・レイノルズ「シンプルプレゼン」(日経BP社)
       永田豊志「プレゼンがうまい人の『図解思考』の技術」(中経出版)

2012年3月20日 (火)

教師のための思考術 14

【図にして考える マインドマップ】

 自分が話す内容を考えるときもマインドマップを使うが、人の話を記録するときにも使える。
 真ん中から書き始まるが、決まった形式はない。見開き2ページで見渡せるように記録するようにしている。
 要は、講話の内容を思い出せればよいので、キーワードだけを記録する。さらに抽象化した気付きや思いついたことなども同時に書いておく。(朱書きが多い。)また、「話し方」について学んだことも記録しておく。(青いインクで書くことが多い。)
Kouwamindmap2

 こうやって記録しておくと、ぱっと一覧で講話の内容が思い出せる。
 このやりかたで記録してみて気付いたことは、講話の構造が区別できるということだ。
 たとえば、「ひまわり型」。これは、「今から三つのお話をします。」という語り方である。真ん中に中心テーマがあって、それから外側に広がるような形になる。話が整理されており安心して聞くことができる。スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名なスピーチがこの型だ。
 また、「とぐろ型」というのがあることにも気付いた。「最近、こんなことがありましてね。」といった語り方で始まる。はじめは何がテーマなのかが分からないまま話が進むことが多い。まるで講談を聞くように、話が次々と展開していく。聞いている側は「この後、どんな話になるのだろう。」と、どきどきしながら話を聞くことになる。ノートは、蛇の「とぐろ」のような形になる。

 いずれも、講話を図にしてみて気付いたことである。このように、図化することは全体の構造を可視化することでもある。(つづく)

2012年3月19日 (月)

教師のための思考術 13

【図にして考える マインドマップ】

 先の例に示したように、自分の考えを整理するときにマインドマップを使うこともあるが、講話やスピーチのように話す内容を考えるときに使うこともある。
 真ん中にテーマを書いて、思いついたことを次々に記入する。以下に示すようなものである。一気に書くこともあれば、ちょっとした空き時間を使いながら書き加えることもある。
 自分に分かればいいので、字の汚さは気にしない。
Kouwamindmap
 ちなみに、私はA5サイズのノートをいつも持ち歩いている。一冊100円前後のノートである。思いついたことをとにかくメモするためである。軽くて薄くいのでスーツのポケットにも入る。ほぼ一ヶ月に一冊で使い切る。(つづく)

2012年3月16日 (金)

教師のための思考術 12

【図にして考える マインドマップ】

 図をブラッシュアップしてみた。「授業分析力」を「授業展開」の後にもってきた。
Jugyouryokutoha_2

 マインドマップをどう活用するかは、目的によって異なる。今回は「授業力の向上」への方向性をつかむことが目的だ。だから、文献や資料を読むことも極めて重要な作業になる。
 「オリジナルの物語を創ること」が目的の場合、むしろイマジネーションをかき立てるようなものがあった方がいいのかもしれない。
 綺麗に整理するか、描いたままにするかは、それをどう使うかによって異なる。

 今回の「授業力」に関しても、様々な人が様々な表現で主張している。だから、授業力を整理するのに3つにするか4つにするか、分ける人の視点によって異なって当然である。たとえば、「児童生徒の実態把握」を教材研究に入れる人もいれば、授業設計に入れる人もいる。「正しい整理の仕方」などは存在しない。

 今回は「授業力の向上」のための方向性をつかむために、そもそも授業力って何?と考えてみることが出発点であった。
 そうしないと、「『発問講座』『板書講座』『学級開き講座』といった○○講座を多く開設することで、授業力は高まるだろう」という短絡的な発想をする人に対抗できないのである。

 この後は、それぞれの力を高めるための具体的な戦術を考えていくことになる。

(つづく)

2012年3月14日 (水)

教師のための思考術 11

【図にして考える マインドマップ】

 マインドマップで重要なことは、書き出した後に「整理」をしていくことだと思う。これができていないと、思いついたことを書き並べただけの図にしかならない。
 まずは、言葉の整理を行う。
 その時に重要なことは、参考になるような文献や資料を机に広げて、それを読みながら考えるということだ。こうすることで、インプットも同時に行うことができる。

 「授業設計力」は、漢字5文字でおさまりがいい。「授業デザイン」という言葉もあるが、設計とデザインの違いを私自身が説明できないので却下する。
 漢字五文字で統一するために、「教材を研究する力」も「教材研究力」に修正する。
 「授業を実際に行う力」は、「授業展開力」という言葉がぴったり当てはまるので採用する。
 難しいのは、「ふりかえる力」だ。最近は「リフレクション」という言葉が流行っているのだが、私自身が説明できないので却下する。「省察」が最もぴったりくるのだが、あまり一般的に使われない言葉なので、これも却下する。「反省」もいいが、なんだかぴんとこない。毎日自分の授業の悪いところを振り返って落ち込んでいるような印象を受けるからだろうか。
 「ふりかえる」には、授業を分析しないとならない。また、自分の授業だけではなく、他人の授業もふりかえらなくてはならない。そう考えると、「授業分析力」が自分にはおさまりがいい。説明も可能だ。
 このように言葉を修正していくことで、授業力を以下の4つに整理することができた。
1、教材研究力
2、授業設計力
3、授業展開力
4、授業分析力
Jugyouryoku5
 より自分なりに納得できる言葉に修正していくことが重要だと思う。特に「自分で説明できる言葉」にこだわる。他人が言っている言葉でも、真に納得していなければ採用しない。最近流行している「カタカナ言葉」も自分の言葉になっていなければ却下する。(つづく)

2012年3月13日 (火)

教師のための思考術 10

【図にして考える マインドマップ】

 「教材研究した後は、授業の設計をするよなあ。」と考える。もちろん、授業設計までを「教材研究」に含めることもあるが、そんなことは気にせずに、とにかく思いついたまま書く。
 書き出してみた後、順序性がある場合は、矢印も加えておく。
Jugyouryoku3
 あらためて図を見てみると、「しかし、なんだか足りないよなあ。」と感じてしまった。
 授業を振り返って反省する部分が抜けているのである。これがないと、授業のやりっぱなしになってしまう。そこで、さらに「ふりかえる力」を書き加える。
 すると、こんな図になってしまった。
Jugyouryoku4
 なんだか、ごちゃごちゃした図になってしまったが、かまわずに次の段階に入る。
 図をブラッシュアップしていくのである。(つづく)

2012年3月12日 (月)

教師のための思考術 9

【図にして考える マインドマップ】

 マインドマップは今では小学校の教科書に掲載されているほど、一般的な方法になっている。
 問題は、ワークショップなどの特殊な時だけではなく、それをいつでもやっているかどうか、ということだ。

 たとえば、「授業力の向上」などという言葉はよく使われるが、「そもそも授業力って何だろう?」と考えてしまう。
 そんなときは、まずノートの真ん中に「授業力」と書いてみる。
Jugyouryoku1
 そのあとは、思いつくものをそのまま○で囲んで書き出す。
 「指示や発問など、授業を実際に行う力は、いるよなあ。でも、その前に教材の選定や解釈もやらないといけないので、教材を研究する力もいるな。」
という感じで、とにかく書いていく。
Jugyouryoku2
(つづく)

2012年3月 6日 (火)

教師のための思考術 8

 【図にして考える】

 ここ数年は、様々なことを図にするようにしている。
 たとえば、あるテーマについて話をしなくてはならないときも図にする。
 3分間スピーチのように短いものでも、とりあえず図にして考えてみる。
 人の講演を聞くときも図にしながら聞いている。(ちなみに、パソコンで克明に記録をとりながら聞いている人もいるが、後でどうやって使うのだろう。)
 数名で話し合いながら、何かを決めなくてはならないときは、A3の紙を置いてそれに書き込む。
 もう自然とそのような習慣になってきた。
 では、具体的にはどのようにしているのか。(つづく)

2012年3月 5日 (月)

教師のための思考術 7

 要は、何事も言葉の意味をしっかりと理解するという考え方を重視しているということだ。
 「構成主義」とか「構造主義」とか、日常ではあまり使わないような言葉だと調べるのだが、「学ぶ」とか「学習」とか日常で頻繁に使っているような言葉だと、ついつい分かった気になってしまう。
 「言語活動」も「学び合い」も、分かったつもりで使ってはいないだろうか。
 「そもそも、それって何か?」と考えてみると、案外と本質的な部分を見逃している「自分」に気がつくものである。
(つづく)

2012年3月 3日 (土)

教師のための思考術 6

 私は、子どもたちには「それってどういう意味だろう。みんなで話し合ってごらん。」ということをよく言っていた。
 「学ぶってどういうこと?」
 「国語の力ってどういう力?」
 「学校で掃除をするってどういうこと?」
 「なぜ、グループで学習するの?」
 そんなことをグループでわいわいやって話し合っている子どもたちを見るのがとても好きだった。
 子どもたちは、「学ぶ」ということに対して「自分で考えること」という意味合いのことを言っていた。なかなかいいセンスだと感じた。
 それらを全て肯定しつつ、こんな話をした。
**********************
 先生は『学ぶこと』は、『何かに気付き、自分が変わること』というふうに考えています。
 だから、失敗から学ぶこともあるし、友達から学ぶこともあります。
 失敗をしても「同じ失敗をしないように、自分のここをなおそう」というふうに考える人は学ぶ力の高い人です。
 一方、失敗をしても何も考えずにまた同じ失敗を繰り返す人は学ぶ力が低い人です。
 だから、学ぶ力の高い人は、どんなことからでも学ぶことができます。
 どんどん自分が良くなっていきます。
 きみたちに「学ぶ力」の高い人になってほしいと思っています。
**********************
 こんな話をする時は、なぜか子どもたちは真剣に聞いていた。
 「自分の未来」に関わる話は、本当によく聞いていた。
 宿題には「学びの日記」というものを出していた。今日一日で「学んだこと」を短く書くのである。

 「今日は○○さんの掃除の仕方を見て、早く綺麗にぞうきんがけをするやり方を学んだ。」
 「今日の風はあたたかだった。風からも季節を感じることを学んだ。」

 それらを読んで、帰りの会で数名の子どもたちに発表してもらう。「学び方」が全体に共有されていく。(つづく)

2012年3月 2日 (金)

教師のための思考術 5

 「学習と学ぶの違いを力説される意図が分からない」という趣旨のメールをいただいた。
 このような反応は大変ありがたいし、うれしいと感じる。自分もまたさらに深く考えることができるからだ。

 ここでの主張は「学習と学ぶの違いを明確にする」ということではなく、「そもそもそれって何だろう?」と考えることの重要性の話である。「学ぶ」って何だろう、と考えてみて、その意味を考えるための一つの方法として「学習との比較」を用いたにすぎない。要は、「学ぶ」ことが自分の中でストンと落ちればいい。だから、考える主体の「自分」にとって意味がある。ほかの人に意味が無くてもかまわない。自分にとって「何だかすっきりしないこと」を、辞書やネットで調べたり他人の定義を知ることによって、すっきりすることに意味がある。
 日常の生活においては「学ぶ」ことと「学習する」ことを区別することはほとんどないだろう。重なる部分も多くある。だから、「学習」の辞書的な意味の中に「まなびおさめること」という言葉が入っているのである。気にならない人にとっては、その差異はどうでもいいことなのである。そう考えると、「この授業では、どれが学習で、どれが学ぶか」といった問いこそ私にとっては意味がない。

 多くの学校が行っている研究主題の中で何気なく使われている「自ら学ぶ」とか「学び合い」といった言葉が自分にとっては何だかすっきりしない。その学校の先生方に「学び合いって何ですか?」「どのようなことを学び合うのですか?」と問うても明確な返事が返ってこないことが多い。この曖昧さが自分は嫌いなのである。(つづく)

2012年3月 1日 (木)

教師のための思考術 4

 「学ぶ」とはどんなことなのだろう。
 「学習」とはどう違うのだろう。
 それぞれどのような使われ方をしているか考えてみる。

 ・「あの人の生き方から学ぶ」とか「失敗から学ぶ」といった言い方はするが、「あの人の生き方から学習する」とか「失敗から学習する」といった言い方はしない。

 ・「計算の学習」とか「漢字の学習」といった言い方はするが、「計算の学び」とか「漢字の学び」といった言い方はしない。

といったことをあれこれ考えながら、書籍やインターネットなどで人の定義なども調べてみる。
 どうも、「学ぶ」の根底にあるのは「気付く(aware)」ことであり、「学習」の根底にあるものは「身に付ける(learn)」ことであるようだ。だから、辞書でも「学習」を「まなびおさめること」と記してあるのだろう。
 そう考えると、学ぶは極めて能動的な行為だ。「学習」では「学習の内容」が先にある。「計算」も「漢字」も「身に付けるもの」として先に決まっているのである。それに対して、「学ぶ」では「学ぶ内容」は学び手の内側にできあがる。だから、同じ失敗であっても、様々なことを学ぶ人もいれば、そうでない人もいる。

 しかし、「学ぶ」ことが「気付く」だけでは弱い気がする。自分に変化が起きなければ「学ぶ」とは言えないだろう。失敗からその原因に気付くことができても、同じ失敗を繰り返していては学んだことにはならないはずだ。

 そこで「学ぶ」を以下のように定義してみる。

 【学ぶ】何かに気付き変わること

 かなりすっきりしてきた。(つづく)

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