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2012年3月 2日 (金)

教師のための思考術 5

 「学習と学ぶの違いを力説される意図が分からない」という趣旨のメールをいただいた。
 このような反応は大変ありがたいし、うれしいと感じる。自分もまたさらに深く考えることができるからだ。

 ここでの主張は「学習と学ぶの違いを明確にする」ということではなく、「そもそもそれって何だろう?」と考えることの重要性の話である。「学ぶ」って何だろう、と考えてみて、その意味を考えるための一つの方法として「学習との比較」を用いたにすぎない。要は、「学ぶ」ことが自分の中でストンと落ちればいい。だから、考える主体の「自分」にとって意味がある。ほかの人に意味が無くてもかまわない。自分にとって「何だかすっきりしないこと」を、辞書やネットで調べたり他人の定義を知ることによって、すっきりすることに意味がある。
 日常の生活においては「学ぶ」ことと「学習する」ことを区別することはほとんどないだろう。重なる部分も多くある。だから、「学習」の辞書的な意味の中に「まなびおさめること」という言葉が入っているのである。気にならない人にとっては、その差異はどうでもいいことなのである。そう考えると、「この授業では、どれが学習で、どれが学ぶか」といった問いこそ私にとっては意味がない。

 多くの学校が行っている研究主題の中で何気なく使われている「自ら学ぶ」とか「学び合い」といった言葉が自分にとっては何だかすっきりしない。その学校の先生方に「学び合いって何ですか?」「どのようなことを学び合うのですか?」と問うても明確な返事が返ってこないことが多い。この曖昧さが自分は嫌いなのである。(つづく)

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