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2013年1月

2013年1月31日 (木)

教師の成長・発達とは何か その12

【実践研究を言語化する1】 

 省察は、様々な形で言語化されることが望ましい。
 私の場合は、初期の手段としては学級通信であったり法則化論文であったりした。
 後期はブログを活用しはじめた。ブログであれば、考察も詳細に書き込むことができるし、なんといっても、書いたことが他の教師に役立つからである。何らかの形で「反応」があるのはうれしいことだ。また、アクセス数が増えていくと、やりがいも感じられる。

 一方、「書いた方がいいけど、書くのが大変だ」というものの中に教育論文がある。
 論文のメリットは、自分の実践や考えが一つのまとまりとして示すことができるという点だろう。また、論理的・客観的な思考が求められるという点もある。さらには、書くためには、それなりに先行研究や関連する書籍等も調べなければならないので、書くことによって学習ができるという点はメリットだろう。
 しかし、デメリットもある。まず、反応が少ないことが挙げられる。学会誌に掲載されるような学術論文であれば反応もあるが、通常の教育論文では反応を得ることは難しい。それゆえに労力と時間の割には達成感が得にくい。また、書き方がよく分からない部分も少なからずあり、単なる実践報告になってしまうことにもなりかねない。

 そこで、論文を書くということについて少し考えてみることにする。(つづく)

2013年1月30日 (水)

教師の成長・発達とは何か その11

 昨年読んだ本の中でも特に印象に残った本が以下のものだ。
 F・コルトハーヘン編著、武田信子監訳
 「教師教育学」(学文社)

 Kyoushikyouikugaku

 4000円の本だが読み応えは十分である。決して易しい本ではないが、教師教育における「省察」の意味や理論と実践をつなぐための道筋が示されている。
 校内研修や教員研修ワークショップなどに携わる教師にも非常に役立つ内容になっている。

2013年1月28日 (月)

教師の成長・発達とは何か その10

 授業を構造化すると、授業の流れが見えてくる。
 たとえば、以下のように「縄文人と弥生人が戦ったら、どちらが勝つか。」という発問によって、いきなり子どもたちは二者択一に迫られる。
 次に結論を考えて資料集の中からその根拠を探そうとする。最後は、映像コンテンツによって、より具体的なイメージをもって理解することになる。

Jugyoukouzou2

 分かりやすい授業に共通することは、全体の構造が単純であり、なおかつ子どもたちが「根拠」を使って考える場面と時間が確保されている。図にするとすっきりする。
 逆に分かりにくい授業に共通することは、全体の構造が複雑でつながりに乏しく、子どもたちは思いつきや自分の経験だけで考えることが多い。教師の話も長いので、図にすることそのものが難しくなる。
 このように授業を構造化しながら見ていく技能も必要なのだと思う。(つづく)

2013年1月23日 (水)

教師の成長・発達とは何か その9

 構造化とは、「仕組み」を探ることである。
 授業においては、中心の発問に対して学習者はどのように受け取っているのか、といったことや発問と発問のつながりなどを図化していくと仕組みが見えてくる。
 たとえば、「この絵が描かれた時間はいつですか。」という発問に対して、子どもたちが「早朝」「午前10時頃」「正午頃」「午後3時頃」「夕方」「夜」「深夜」と回答したとしよう。
 次の発問で「この中で正解はどれでしょう。」と尋ねたら、この7つの中から子どもたちは正答を探すようになる。

 この授業を単純な図にすると以下のようなものになる。(つづく)

Jugyoukouzou

2013年1月21日 (月)

教師の成長・発達とは何か その8

 9月に野口芳宏先生の授業を参観させていただいた。
 ここで面白いのは、参観した側の多くの参加者の感想を大別すると三種類あったことだ。

 まず第一の種類の感想は「方法論だけを学ぶタイプ」である。
 たとえば、「ノートに○×をつけさせる方法を真似したい。」とか「子どもの頭をなでながらほめていたことを取り入れたい。」といったことを論じるタイプだ。若い教師の感想はこれが多い。自分にとって便利そうな方法論だけを取り入れようとする。この場合、違和感のあった方法論についてはどう考えているのだろう。

 第二の種類の感想は「自分の授業観で評価するタイプ」だ。
 たとえば、「教師主導型の授業で時代に合わない。」とか「指導すべきことをしっかりと指導されていて良い授業だ」といったものだ。これは、ある程度経験のある教師に多い。自分の授業観に合わないと否定し、合えば肯定する。代案を考察できればよいが、単なる評論になりやすい。

 第三の種類の感想は「行為の意味を考えるタイプ」だ。
 たとえば、「なぜ、授業者は少人数による話し合いをしないのだろう。」「あえて挙手指名型にしているのはなぜだろう。」といった疑問をもちながら、その意味を考えるものだ。野口先生のレベルになると、授業の中に「自分の主張」がこめられている。疑問をもって考察することで、その主張が見えてくる。

 自分が抱いている「授業の感想」がどのタイプにあたるかを自問自答してみると面白い気がする。
 そして、今回の感想の中には見られなかったが、もう一つの種類があるのではないだろうか。それは、授業を構造化して見るということだ。(つづく)

2013年1月18日 (金)

教師の成長・発達とは何か その7

 授業の準備もよくやっているし、研究会にもよく参加するのだが、授業には課題のある教師は存在する。方法論の獲得こそが、教師の学びだと思い込んでいるとそうなるのではないだろうか。
 新卒教師が、方法論の獲得に必死になるのは理解できる。しかし、それが長く続くと、授業の腕が上がったと思い込んでしまう。つまり、「新卒教師の一年目状態」がずっと続いていることになるわけである。これでは、自分の授業を変化させていくことは難しいだろう。

 教師教育の分野で現在中心的な概念となっているのが「省察」である。
 省察の意味は辞書的には次のようになる。

 【省察】(せいさつ/しょうさつ)
 自分で自分の生活・行為などを反省して、考えること。

 教師教育研究会代表の武田信子氏(武蔵大学文学部教授)は次のように省察を定義する。

 ①学校や授業においてある行為を行った際に、
 ②自分の行為に関する関心、不安や懸案事項をもとに実践経験を振り返り、
 ③そこで行為の非合理な面や不安な感情をもたらす原因に気づき、
 ④それ以外の行為を取る可能性を拡大して吟味し、
 ⑤新しい選択肢を選んで次の行為を起こす、
 という一連の手続きによる「変化を促す振り返り」を指す。
  授業づくりネットワークNo.8「教師のリフレクション(省察)入門」(学事出版)p25

 ちなみに、今回の「授業づくりネットワーク」は「先生のステップアップ」に焦点をあてているところがおもしろい。教員研修にかかわる人にとっては役立つ内容になるだろう。(つづく)
Jugyoudukuri08

2013年1月17日 (木)

教師の成長・発達とは何か その6

 新卒教師のように「方法」を全く知らない状態であれば、それを知る必要があるのは当然である。少なくとも授業を成立させるための責任があるからだ。
 問題は、「方法」を獲得することに重点が置かれすぎるところにある。「方法」は、目的を達成させるための「手段」である。したがって、「絶対に正しい方法」などはありえない。目的の適合性によって、方法は評価される。近所のスーパーに行く(=目的)のに、大型トラックで行く(=方法)のは適さないのである。

 方法が目的化されてしまう事例は多い。たとえば、「授業にはリズムとテンポが必要だ」と言われると「リズムとテンポを取り入れることが目的」となってしまったり、「学び合いが重要だ」と言われると「学び合いを取り入れることが目的」となってしまったりすることはよくあるだろう。ここ最近の「言語活動」も同様である。言語活動という活動が目的化されてしまう事例はよく見かける。

 このように、方法が目的化されてしまうと、本来の「目的」が見失われてしまう危険性が生じてくる。たとえば、リズムとテンポがあって一見良い授業のように見えるが、実は全員が理解していなかったりするような授業である。学び合いにしても、表面的な「少人数による話し合いの活動」だけを取り入れて、実際は、学習が成立していないこともある。これは、方法に問題があるのではなく、目的を意識せずに方法だけを取り入れた教師側に責任がある。つまり、適用の仕方に問題があると言えよう。

 ちなみに、最近の「『学び合い』への批判」は、「学び合い」という方法論そのものを批判しているのか、「学び合い」の適用の仕方を批判しているのかが、曖昧だ。大型トラックそのものを批判しているのか、近所のスーパーに行くのに大型トラックを使ったという適用の仕方を批判しているのかが分からないのである。
 (つづく)

2013年1月16日 (水)

教師の成長・発達とは何か その5

 ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」とは、子どもが一人で解決できる課題の水準(=「現下の発達水準」)と、他人との協同のなかで課題を解決する場合に到達する水準(=「明日の発達水準」)との差によって決定づけられる領域である。そしてヴィゴツキーは、他人の助けを借りて子どもが今日なし得ることは、明日には一人でできるようになるということを主張している。
 自分の「経験知」が、このような公の理論(=「学問知」)とつながったときに、「腑に落ちる」ことになるのだろう。こうした学問知を得ることによって、さらに応用が可能となる。国語や算数での実践にも広がっていった。
 そう考えてみると、教師が知見を得るためには以下のようなプロセスが必要になるのだろう。
(1)新しい(実験的な)授業実践
(2)振り返りによる言語化〜経験知の蓄積〜
(3)学問知の獲得〜さらなる新しい授業へ〜

 教師の中には、現職教師として大学院へ進学するものもいる。私もそうであった。それは、おそらく(3)の学問知を獲得したいと考えるからではないだろうか。授業技術を獲得するためではない。経験知の意味を知りたいと欲してくるのだと思う。

 明日の授業の準備のための方法(=ハウトゥ)の獲得で終始していては、(1)(2)(3)のプロセスをたどることはできない。ややもすれば、本来、「手段」であった「方法」が目的化されてしまうこともある。
(つづく)

2013年1月15日 (火)

教師の成長・発達とは何か その4

 誰かの実践を追試していた頃に比べると、まだ誰もやっていない授業実践をどきどきしながらやっていた頃の方が記憶に残っている。
 今回、同窓会に集まってくれた教え子たちも、その頃の子どもたちだ。

 失敗しない授業よりも、成功するか失敗するか分からないような授業のほうが自分にとっては魅力的だった。もちろん、失敗もあった。うまくいかない場面も多々あった。
 しかし、そこから学んだことも多かった。たとえば、協同学習においては課題のレベル設定が重要な要素となる。難しすぎてもダメだし、優しすぎてもダメだ。難しすぎると、子どもたちはあきらめてしまうし、優しすぎると「出来る子」がすべて解決してしまう。外国との交流のために日本の昔話を協同紙芝居版画にしたり、外国人留学生のために英語でプレゼンテーションをしたりといった活動は子どもたちの活動を活性化させていった。そのような、「全員が自分の役割を意識して力を合わせながら解決していくような課題」が有効に働いていくのである。
 こういったことは「経験知」として自分の中に蓄積されていったように思える。追試では、そのような実感は伴わなかっただろう。もっとも、追試が不要であるということではない。追試しながら、発問の効果や授業構成の技術を学んだことは間違いない。しかし、それだけでは不十分だ。試行錯誤しながらオリジナルなものを創り出して、そこから知見を得ることは、自分の授業の改善につながっていくからである。
 さらにおもしろいことは、それから理論書を読むと、ぴったりとつながっていくことだ。たとえば、ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」の理論。書かれていることがストンと腑に落ちたのである。
(つづき)

2013年1月10日 (木)

教師の成長・発達とは何か その3

 私にとって、何らかの形で授業の記録をとることは、当たり前になっている。

 新卒教師の頃、教育技術の法則化運動が全国的に広がっていた。
 法則化運動に賛否両論があることは十分承知の上で言いたいのだが、あの運動の大きな効果は、法則化論文を書くことそのものだったように思える。法則化論文を書くためには、自分の授業を思い出さなくてはならない。指示や発問が長いと書けないので、当然短く洗練されたものにしていった。子どもたちの意見も細かく覚えておく必要があった。
 帰宅して授業を思い出しながら学級通信として書いていったことを思い出す。新卒の頃は、一番苦手だった国語の授業が多かった。教職4年目に入ってからは、自分の専門分野である図画工作の授業記録をとっていった。当然、写真が必要になった。まだフィルムの時代であったので、現像代も印刷代もそれなりにかかったが、そのおかげで、20年前の子どもたちの作品は今でも残っている。
 そのうちに法則化論文だけではなく、雑誌の原稿の依頼もくるようになってきた。そうなってくると、ますます授業記録は重要性を帯びていった。授業記録に考察を加えないと雑誌の原稿にはならないからだ。

 目的は「法則化論文を書く」ということだったのだが、結果的には「授業を振り返る」という習慣が形成されていったのである。

2013年1月 9日 (水)

教師の成長・発達とは何か その2

 今回の同窓会で出席した教え子たちは、口々に授業のことを熱心に話してくれた。「外国と交流しましたよね。」「授業の途中で先生はよく三国志のことを話してくれたのを覚えています。」「張り子で郷土玩具を作りましたね。」「先生は私に、センスがあるねって、と言ってくれました。覚えていますか?」
 私が忘れていたこともあれば、私があえて話したこともあった。とにかく、そのような会話をしていくうちに、大人になった同窓生がみんな「子どもの顔」にもどっていく。不思議な時間だった。 

 われわれは、小学校3、4年生の出来事をどれほど覚えているだろう。
 私には、ほとんど記憶がない。40年以上も時がたっているのでしかたがない部分もあるだろう。
 ただ、3年生のときに担任の教師が作ってくれた文集だけが、それを思い出すきっかけとなっている。文集の表紙は、子どもが作った版画の作品。私の作品も候補に残ったが、最後には別の子の作品が表紙として採用された。子どもながらもちょっぴり悔しかったのを覚えている。また、裏表紙には白黒の集合写真が貼られている。私は3年生の頃から快活になったので、自信ありげな表情で写っている。肝心な作文では、苦手なスケートのことが書かれている。それを読むと、当時のスケート場の様子まで思い出してくる。たった一冊の文集なのだが、当時のことが様々に蘇ってくる。
 一方、4年生のときの記憶はない。担任の先生が替わり、叱られた記憶と授業のことがうっすらと記憶に残っているくらいだろう。文集はもちろん、写真さえもない。
 (つづく)

2013年1月 8日 (火)

教師の成長・発達とは何か その1

 正月に教え子たちの同窓会に出席することになった。
 平成9年度と10年度、小学校の3、4年生のときに担任した子どもたちである。
 出席するにあたって、当時の写真を探して持って行くことにした。倉庫には、おびただしい量の写真があった。すべては運べないので、抜粋して5冊のミニアルバムにして持って行くことにした。ビデオも1年ごとに2時間程度に編集したものまで作成している。(2時間に編集したということは、それ以上に撮影していたことになる。)
 ちょうど、総合的な学習が始まろうとしているときであり、全ての実践が今までにはなかったようなものばかりであった。これは、研究教科でも共通していた。おもいきりデジタルのものもあれば、伝統工芸を生かした郷土玩具作りのようなものまであった。
 毎日、わくわくしながら学校に通っていたことを思い出した。
 そのときの子どもたちが集まるという。

 そして同窓会当日。
 私は驚いてしまった。
 25名もの教え子たちが集まっていたのである。
(つづく)

2013年1月 7日 (月)

平成25年に入って、はじめてのブログ書き込みです。
今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年末は、ブログを書く時間もないほど、七転八倒しておりました。
今年は、可能な限り書いていきたいと考えます。

さて、教育研究会のお知らせです。

おかげさまで、残席2名となりました。
お申し込みはお早めに。

Mact130126
*****************************
 
熊本大学教育学部情報教育研究会
会長 塚本光夫(熊本大学教育学部教授)

熊本大学教育学部情報教育研究会+D-project九州
<表現力錬成一日講座>

定員28名
【情報発信の中身を考える】

 巷には、スマートフォンやタブレット端末やあふれかえっています。だれもがデジタル機器を使いこなしているように見えますが・・・。本当にそうでしょうか。どんなに機器の操作ができても、発信する情報が貧弱であれば、情報活用能力が高いとは言えません。
 そこで、今回の一日講座は、思い切ってアナログ作品を作成します。
 午前中は「はがき新聞」。

 「はがき新聞」は、授業や学校行事などで学び・体験したことを限られたスペースでまとめ、表現し、相手に伝えることが必要なため、児童生徒の思考力・表現力・コミュニケーション力を育むことにつながります。今回のセミナーでは、はがき新聞に取り組んだ事例紹介と、実際にはがき新聞づくりを体験・評価することで、すぐに実践・活用できるエッセンスを提供します。

 講師:宮前嘉則・群馬県桐生市立境野中学校教諭


 午後からは「広告小学校」。

 「広告小学校」は、㈱電通が社会貢献活動として、学校に無償提供している授業プログラムです。CM劇づくりを通じて、思考力や判断力、表現力、グループによる課題解決力を培うことを目指しています。今回は、テレビCMの基礎を学び、実際に身近な商品をテーマにCM劇づくりを行っていただき、発想方法や表現方法、コミュニケーション力を高める授業について、共に探っていきます。

 講師:大熊雅士・東京学芸大学教職大学院特任教授


 理想教育財団、電通、日本教育新聞社による社会貢献活動のためのコラボ企画です。機器から離れて情報の中身を練り上げていきます。
 滅多に体験できない講座となります。デジタルはちょっと苦手という方も今回は自信をもってご参加ください。28名限定のレア講座です。お申し込みはお早めに。

■日付:2013年1月26日(土)

■時間:午前9時30分〜午後4時30分
■場所:熊本大学くすの木会館(附属小ではありません。)
■主催:熊本大学教育学部情報教育研究会
        D-project(デジタル表現研究会)九州
共催
              日本教育新聞社
協力
              理想教育財団、電通
会費
■参加費:100円(茶菓子代)
■懇親会:午後6時〜午後9時(会費:3500円)
■準備物:
コンピュータやタブレット端末、デジタルカメラなどをもっている方はご持参ください。

*お弁当(500円)も注文可能です。


■参加申込み:メールで山口修一副会長までお知らせください。懇親会参加不参加もお知らせ下さい。
         yamashu2jp@yahoo.co.jp
「Mac-T130126.pdf」をダウンロード

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