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2013年2月

2013年2月20日 (水)

教師の成長・発達とは何か その17

【実践研究を言語化する7~結果を客観的に記す~】
 現場の教師にとって、一つ一つの毎日の授業に対して、その成果を客観的に評価していくのは不可能なことだろう。また、研究者の論文のような統計学の基本を踏まえた客観的なデータを示すことも難しい。
 しかし、自分が中心的に研究している授業に対して、可能な限り客観的なデータを残せるシステムを作成することは可能である。
 たとえば、子どもたちの自己評価カードに「やるき(=学習意欲)」「グループでの話し合い(=協同学習)」「自分の考え(=個々の思考)」で毎時間4段階で自己評価をさせていく。その平均値の変化を見ると、学習過程のどの段階でどの要素が高まっているのかを知ることはできる。
 また、学習前に「グラフの読み取りのテスト」を行い、学習後に同じ内容のテストを行ったことがある。結果の比較を行えば、学習の成果を知ることができる。
 要は、授業実践を構想する段階で、成果を客観的に残せるシステムまで考えておくことが重要なのだと思う。
 そう考えると、研究テーマが大きすぎるとその成果を客観的に示すことができないだろう。「思考力・判断力・表現力を伸ばす授業」「子どもたちが生き生きと学ぶ学習」といった研究テーマの場合、授業実践報告のみということになり、客観的な成果は曖昧になりがちだ。(つづく)

2013年2月19日 (火)

教師の成長・発達とは何か その16

【実践研究を言語化する6〜実践の具体的な方法を記す〜】

 現場の教師からすれば、研究者の論文には不足している部分がある。
 それは、実践の具体的な方法である。たとえば、学習課題や教師の具体的な指示・発問といったものだ。研究者にとっては「結果の客観性」が優先されるのであろうが、現場の教師にとっては「実践の具体的な方法」を知りたいはずだ。
 そのためには、教師である「自分」が何を子どもたちに語ったのか、どのようなモノを提示したのか、子どもたちはどんな言葉でそれに応じたのか、といったことを記録しておかなければならない。
 このようなものは意図的にやらない限り、案外と残らない。自分が語った言葉は、すぐに消えてしまうのである。(つづく)

2013年2月 4日 (月)

教師の成長・発達とは何か その15

【実践研究を言語化する5〜研究の目的を明らかにする〜】

 現在ブログで書いているようなことは、研究者にとってはあまりにも常識的なことだ。しかし、学校の研究論文では常識とはなっていないことが多い。

 今回の「研究の目的」も、研究者の論文には必ず書かれているものだ。たとえば、「本研究では、○○という教育方法が、学習者の学習成果に及ぼす効果に関して、定量的・定性的な調査によって実証的に検討することを目的とする。」「情報モラル教育において、学習者に著作権の概念を理解させるための効果的・効率的な教授法の分析を目的とする。」といったものである。

 学校の研究論文の場合、研究テーマの後に仮説があって、そのまま実践というパターンが見受けられる。研究論文ではなく実践報告になってしまうのは「研究の目的」がしぼられていないからではないだろうか。

 だから「研究テーマのために、これもやりました。あれもやりました。」的な「実践てんこもり」状態に陥ってしまう。結局、何が言いたいのかが曖昧になりがちだ。(つづく)

2013年2月 2日 (土)

教師の成長・発達とは何か その14

【実践研究を言語化する3〜先行研究について述べる〜】

 問題の所在を明らかにしたら、その問題について、今までに誰がいつどのようなことを研究したのかを述べなくてはならない。研究者による論文には必ず記されている内容だ。たとえば、「鈴木(2001)は、情報モラル教育を系統的に行うためのカリキュラムを提案している。」「田中(2005)は、鑑賞の能力を評価するための評価指標を作成した。その結果、○○ということが明らかになった。」といったものである。

 研究者から見れば当然のことなのだが、現場の教育論文では必ずしも先行研究が述べられているとは限らない。参考文献として最後に示されていることはあるが、本文中に出てくることは多くはない。だから、問題についての取組が浅いままになってしまう。

 研究とは新たな知の構築作業である。実践のためには、まずは先人達の研究の成果を学ぶことが望まれる。それは論文だけではなく、書籍や資料なども含まれる。過去の研究の成果をふまえずに実践しても同じことの繰り返しになってしまうだろう。先行研究を学ぶ過程で教師は成長する。(つづく)

2013年2月 1日 (金)

教師の成長・発達とは何か その13

【実践研究を言語化する2〜問題の所在を明らかにする〜】

 学会誌に掲載されるような学術論文から学ぶことは多い。
 大学の研究者は論文によって評価される。そのような「論文を書くプロ」の文章は分かりやすく論理的である。その文章を読んで学んだことを挙げてみよう。

 まず、「問題の所在」が明確であることが挙げられる。今、何が問題なのだということが端的に述べられている。たとえば、「情報モラルの必要性が高まってきているが、その授業を系統的に実施している学校は少ないという調査結果が報告されている。」「鑑賞教育の重要性が指摘されており実践も広がっているが、鑑賞の能力の評価方法については広がっているとは言えない現状がある。」といったことである。

 一方、教育論文はこの「問題」が曖昧であることが多い。決まりきったように「現代社会の課題」「児童の実態」「今までの研究の流れ」などが書かれており、何が「問題」なのかがよく分からない。「21世紀における知識基盤社会化やグローバル化によって,確かな学力,豊かな心,健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことがますます重要になっている。」などと書かれたりしているが、これでは学習指導要領の内容そのままである。

 実践研究を行うにあたっては、実践を行う側に何らかの「問題意識」が働いているのではないだろうか。「系統的な情報モラル教育はどう進めればいいのだろう。」「鑑賞の評価方法ってどうすればいいのだろう。」といった実践者の素朴な問題意識をまずは言語化する必要がある。(つづく)

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