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2011年7月20日 (水)

授業を撮影するということ10

【授業撮影の視点】

 授業撮影の視点をまとめる。上下の軸を「授業者の意識」。左右の軸を「学習者の意識」で表にあらわすと以下のようになるだろう。
Jugyouwotoru
 板書やノートは授業者本人が意識して撮影しておくと、振り返りで活用できる。
 子どもたちは、意識していないが、学習活動などは撮影しておいて、学期末などに提示して見せると効果がある。また、学習環境は授業者が意図していないことが多いので、あえて撮影しておくべきだろう。

 また、授業者の表情や学習者と授業者のかかわりなどは誰かに撮影してもらうように心がけることだろう。

 授業を観察する側としても、これらの視点を意識して撮影することで、授業を見る目も変わっていくはずだ。

2011年7月14日 (木)

授業を撮影するということ9

【学習者と授業者のかかわり】

 授業者が机間巡視をしながら個別指導をしたり、グループへアドバイスを行ったりするときの様子は、授業者にも学習者にも分かりにくい。撮影してもらえるから、授業者にも客観的に分かる。ときどき、撮影してもらうと面白い。自分自身がどのような表情で子どもたちに語りかけているのかが分かるからである。
Kyoushitokodomo
 しかし、写真の場合、言葉が記録できないのが難点である。授業者がどのような言葉を使うかで、その後の学習が大きく異なってくるからである。
 私自身、国語での詩の授業を行うときの個別指導の記録をしていなかったので、一人一人にどのような言葉をかけたのかが正確に思い出せなかった経験がある。そのような場合は、ICレコーダを使うという方法もあるだろう。いずれにしても、授業者と学習者のかかわりを記録しておくことは重要である。

2011年7月11日 (月)

授業を撮影するということ8

【教室設営】

 授業参観のついでに教室の掲示物等を見ていくことはよくある。できれば、授業者の許可を得て撮影させてもらうといいと思う。なぜならば、教室設営には授業者の授業観が反映されていることが多いからだ。たとえば、国語の指導に熱心な教師の教室では、今までの授業の足跡が教室のあちこちに貼られていることが多い。また、図画工作指導に熱心な教師の教室は、作品を大切にあつかっていることが分かる。子どもたちの自主的な取組を重視している教師の教室にはコンピュータが設置してあって自由に使える状態にしてあった。
Kyoushitsusetsuei
 教室設営は、授業者本人が無意識に行っていることが多い。だから、自分の教室設営をあらためて写真に撮ってもらうと、客観的に見ることができるようになる。(つづく)

2011年6月28日 (火)

授業を撮影するということ7

【授業者の所作や表情】

 重要な要素として授業者の所作や表情がある。授業者本人ではリアルタイムで撮影できないので、意識しづらい。しかし、学習者である子どもたちにとっては、非常に重要な視覚情報になっている。「先生」がにこっと笑ったり驚いて見せたりすることが、そのまま学習活動への評価になっているからである。たしかに、授業の上手な教師は、ほんの数秒の間に様々な表情を子どもたちに見せることができる。
Jugyousha
 これは意識してそうしているのではなく、子どもたちの発言や態度に反応を返すことで学習活動がスムーズにいくからであろう。勘と経験によるものが大きい。
 「いいよ!」という評価を笑顔で伝え、「すごい!」という評価を驚きの表情で伝えている。教師の所作や表情もメディアなのである。(つづく)

2011年6月26日 (日)

授業を撮影するということ6

【学習活動】

 子どもたちは自分たちの学習活動を客観的に見ることはできないが、授業者と観察者は注意深く見るところだろう。
 学習者の立場から授業を考察するとなると、子どもたちの活動そのものが評価の対象になってくるからである。

Katsudou

 ちなみに、私は子どもたちが協同的に考えている場面を撮影して、学期末に子どもたちに視聴させていた。男子も女子も一緒になって、一つの問題を色々と話し合いながら考えているような映像である。子どもたちは、非常に興味をもって、その映像を見ていた。
 今、振り返ってみると、教師が「望ましい学習活動」として協同学習の映像を視聴させることが、子どもたちへの評価だったように思える。「このような学習場面が大切である」という子どもたちの自覚を促していたのではないだろうか。月日がたつにつれて、協同学習がスムーズに行えるようになったのは、映像による振り返りの影響もあると思う。

 「変化を起こしたければ記録をとれ」という言葉がある。スポーツ選手の記録やダイエットのための体重・体脂肪率の記録などに用いられる。学習活動や学級経営にも応用できるように思える。男女が協力して学習している場面や一生懸命に掃除している場面、仲良く遊んでいる場面などを意図的に視聴させることは、学級そのものを良い方向へ導いてくれるはずである。(つづく)

2011年6月24日 (金)

授業を撮影するということ5

【学習形態】

 机の向きやグルーピングといった学習形態も撮影可能である。
Keitai
 学習形態は、子どもたちにとっては視覚情報としての意味は大きくない。
 教師の場合は、温度差がある。常に全部の机が前を向いた一般的な学習形態で授業を行っている教師は、学習形態には意識が向かない。
 しかし、話し合いのときは「コの字型」、協働学習のときは「三つの机を合わせた配置」といった具合に、授業の目的に応じて机の配置やグループの人数を変更している教師にとっては、学習形態も重要な視覚情報になる。(つづく)

2011年6月23日 (木)

授業を撮影するということ4

【ノート・ワークシート】
 子どもたちのノートやワークシートも多く撮影される。
Note
 子どもたちの思考がそのまま反映されるからであろう。また、ワークシートは、授業者の授業設計の現れでもあるので、記録にとるのであろう。
 これは、授業者自身が日常の授業の中で撮影していくこともあれば、研究授業などで授業観察者が撮影することもある。
 いずれにしても、極めて重要な視覚情報である。(つづく)

2011年6月22日 (水)

授業を撮影するということ3

【板書・教材】
 自分自身が撮影してきた授業記録(自分のも他人のも含めて)の中でも多くあるのが、板書や子どもたちに提示してきた教材の写真である。
Banshokyouzai
 子どもたちにとっては考えるための根拠になるし、思考の足跡にもなる。教師自身も最も注意をはらうところである。授業における視覚情報として、授業者も学習者も授業を観察している者も重視しているのが板書・教材なのである。
 授業記録として自分の板書を撮影していくこともある。これは、やってみると分かるのだが、自分自身の悪筆に愕然となることもある。逆に言えば、自分の板書を改善しようと心がけたいのであれば、意図的に板書の撮影をしていくことである。
(つづく)

2011年6月21日 (火)

授業を撮影するということ2

 研究授業などで授業を撮影すると、どうしてもこのような写真になりがちである。
Ippanjugyou
 授業者の位置も板書も分かるし、この写真そのものに問題があるわけではない。
 しかし、これ以外の写真はどうなのだろう。
 撮影者は、どのような視点で授業を撮影しているのだろうか。
 自分で撮影した写真を元にして、「授業撮影者の視点」について考えてみたい。
 このことを考えることで、われわれ教師が、授業の何に注目しているかが分かるはずである。(つづく)

2011年6月20日 (月)

授業を撮影するということ1

 6月18日の情報教育研究会のテーマは「授業を撮る」であった。
 附属小の2名の先生方にわれわれ相手に15分間の模擬授業をしてもらって,その様子をみんなで撮影するという企画であった。
Mogijugyousatsuei
 子ども役と撮影役は二つの授業で交代する。
 子ども役で授業を見る場合と撮影役で授業を見る場合とでは,授業の見方が全く異なってしまうので実に面白い。

 それにしても,なぜ我々教師は授業を撮るのだろう。
 撮影することで何をしようとしているのだろう。
 撮影するとどんなメリットがあるのだろう。
 何気なくやっていることでも,その意味を考え直してみると色々と面白いことが分かってくる。(つづく)

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