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図工・美術教育

2009年7月26日 (日)

教育美術賞

 財団法人 教育美術振興会が主催する教育美術賞で入賞し、佳作賞をいただきました。

 テーマ「コミュニケーションを志向する図画工作科授業の展開」

 現任校に移動してからは、三年間国語専科であったために図画工作の授業が全くできず、さびしい思いをしておりました。昨年度から学級担任になり、作品主義でも放任主義でもない図画工作の授業を模索しておりました。あえて名付けるならばコミュニケーション主義と言えばいいかもしれません。
 関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

 論文の冒頭は次のように書き出しました。少しだけ紹介させていただきます。
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Ⅰ 問題の所在
1,コミュニケーション教育としての図画工作美術教育

 美術作品はメディアである。
 物理的に見れば、絵画は「紙や布の上に絵の具を塗ったもの」にしかすぎないし、彫刻は「石や木材、粘土などを何らかの物体の形にしたもの」にしかすぎない。それらの作品そのものを味わうのは、鑑賞者の能力にゆだねられる。
 鑑賞者は作品を漠然と眺めていても、新しい意味は生まれない。「表現者は、なぜこの絵を描いたのだろう。」「ここに描かれている物体は、一体何なのだろう。」「季節はいつなのだろう。」「朝なのだろうか、夕方なのだろうか。」などと、自分自身に問いかけ自分なりの答えを出していくことによって、鑑賞者と表現者の間に「新しい意味」が生まれてくることになる。つまり、鑑賞者は、自分自身と対話することによって、表現者とのコミュニケーションを行うことができるのである。

 表現者は、自分の感動したものや伝えたいイメージをどのように表現すれば、鑑賞者とのコミュニケーションができるかという思考を行う。そこにも、また自分自身との対話が欠かせない。様々な試行錯誤を行うことで、自らの感性に働きかけながら,表現活動は行われていく。
 つまり,美術とは、鑑賞者と表現者と間に成立するコミュニケーションそのものなのである。そう考えると、美術教育は、表現の能力だけを高めていても不十分であり、鑑賞の能力をも高めることによって、成立する教育だと言える。
 本実践研究では、美術教育を「表現者と鑑賞者の間に成立するコミュニケーション教育」という視点で捉えなおしてみたい。「作品」を、「表現者による自己表現の産物」と見るのではなく「制作者と鑑賞者の間に存在するメディア」として見てみる。つまり,表現者と鑑賞者の間に、新しい意味を生み出すことをアートと捉えるのである。
 「新しい意味」とは作品や人によって異なる。「美しい」「きれい」といった「美的な感動」である場合もあるし、「面白い」「すごい」といった「驚き」である場合もあるだろう。あるいは、「画家の主張」を感じ取ることもあるし、「これ、何だ?」という疑問を感じることもあるだろう。画家の卓越した技術や独創的な表現に心を動かす場合もある。
 もしも、表現者と鑑賞者の間に何ものも生まれない場合は、アートとしての価値は低いことになる。逆に、両者の間に生み出されるものが多ければ、アートとしての価値は高いことになる。両者の間に生み出されるものを多くするためには、表現のための力と同時に鑑賞の力も高める必要がある。美術教育において教師が行うべき仕事は,特定の美意識に沿った「立派な作品」を子どもたちに作らせることではなく,表現者でもあり鑑賞者でもある子どもたちにコミュニケーションの場と力を与えることである。

2008年8月29日 (金)

「分析批評」による名画鑑賞の授業 締め切り直前

 以前お知らせしました「『分析批評』による名画鑑賞の授業」の注文が、あと2日で締め切られます。復刊であるがゆえに、2520円と少々高めの値段になっていて申し訳なく思っています。

http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D709608%2D6

 図工美術の本ですが、発問の方法は国語教育からヒントを得たものです。非連続型テキストを読むような国語科授業を創る上でも参考になると思います。

 Bunsekihihyoniyorumeigakans

2008年8月20日 (水)

「『分析批評』による名画鑑賞の授業」復刊決定

 昨日、復刊投票のお知らせをしましたところ、いきなり復刊が決定いたいました。あらためて、ネットの力を実感しているところです。
 皆様のおかげです。大変、ありがとうございました。

 現在は、明治図書のサイトでは追加注文を受け付けているようです。あと11日で締め切られます。興味のある方がいらっしゃいましたら、お早めにご注文下さい。

http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D709608%2D6

 18年前の授業ではありますが、今でも通用する内容だと思います。

2008年8月19日 (火)

「分析批評」による名画鑑賞の授業

 今から18年も前に「『分析批評』による名画鑑賞の授業」という本を出版しました。
 パソコンもプロジェクタも教室に普及していない時代に、スライドやOHP、カラーコピーなどを駆使して「鑑賞の授業」を実践してきたものです。
 内容としては、教師が解説をするのではなく、子どもたちに視点を与えて絵を読み取らせていこうとするものです。たとえば、「絵を見た感想を言いましょう。」という発問から出発して、「絵の中にどんなものが見えますか?」「どんな音が聞こえてきそうですか?」「季節はいつですか?」という問いかけによって、絵を見る視点をもたせていきます。
 しかし、当時の図工美術教育界では、ほとんど鑑賞は注目されていませんでした。ですから、初版本も売り切ることはできませんでした。

 ところが、ここ数年は鑑賞の授業は注目を浴びるようになってきました。今から5年前、NHKが私の「雪舟と水墨画」の授業を取材にきたこともあります。美術とは、制作と鑑賞が一体となって生まれるものです。制作だけに偏った授業から、進歩していったのかもしれません。

 この「『分析批評』による名画鑑賞の授業」は、絵を言葉にしてそれぞれの読み方の違いを交流するという意味で、おそらく当時としてはめずらしい実践だったのだと思います。ここ数年になって、この本がほしいという意見を聞くようになりました。すでに絶版となっております。私自身も、たったの一冊しか持っておりません。

 そのようなご意見を活かすために、明治図書では「復刊投票」というものを行っております。先日、ランキングを見たら、「『分析批評』による名画鑑賞の授業」が第5位になっておりました。驚きました。
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D709608%2D6

 あと15票が入ると、18年ぶりに復刊ということになります。当時1450円だった本が復刊では2520円にもなってしまいます。また、授業実践としては、かなり問題のあるものもあります。著者名も旧姓のままです。
 それでも、興味のある方がいらっしゃいましたら、投票いただけると幸いです。
 映像と言語を往復することの面白さがご理解いただけると思います。Bunsekihihyoniyorumeigakans

2008年8月 8日 (金)

感性はなぜ必要か?

 前述したDeSeCo(Definition and Selection of Competenites)は、キーコンピテンシーを3つに区分している。
 その3つとは以下である。
1、Use tools Interactively(道具を双方向的に使用できる能力)
2、Interact in heterogeneous groups(異質な人々と相互に関わり合う能力)
3、Act autonomously(自立的に行動する能力)

  InSEAのシンポジウムでも、このDeSeCoの主張が話題になっていた。「感性」といった美的な能力が、この中に含まれていないのも要因であろう。

 一方、新学習指導要領の図画工作の目標では,「感性を働かせながら」が新たに加えられた。

 感性とは何だろう。大辞泉では次のように説明してある。
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1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」
2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。
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 また、新学習指導要領解説では次のように述べられている。
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「感性を働かせながら」は,今回新たに加えた文言である。これは,表現及び鑑賞の活動において,児童の感覚や感じ方などを一層重視することを明確にするために示している。
「感性」は,様々な対象や事象を心に感じ取る働きであるとともに,知性と一体化して創造性をはぐくむ重要なものである。表現及び鑑賞の活動においては,児童は視覚や触覚などの様々な感覚を働かせながら,自らの能動的な行為を通して,形や色,イメージなどをとらえている。これを手がかりに児童は発想をしたり,技能を活用したりしながら,自他や社会と交流し,主体的に表現したり,よさや美しさなどを感じ取ったりしている。「感性を働かせながら」とは,このような児童の感覚や感じ方,表現の思いなど,自分の感性を十分に働かせることを示している。

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 「感性」を否定する人はいないだろう。しかし、「感性」は、DeSeCoが主張するキーコンピテンシーには含まれてはいない。
 図工美術科は、感性がなぜ必要なのか、ということに関して説得力のある説明を行っていく必要がある。

2008年8月 6日 (水)

国際美術教育学会世界大会で

 国際美術教育学会(InSEA)は刺激的な会である。世界の美術教育学者が、心理学や教育学の視点から様々なアプローチをしているからである。

 10年前、InSEAは東京で開催された。その時、DBAEについて発表する人を事前に調べて、学会の前にメールを出した。Melanie Davenport先生という。彼女とInSEA東京で出会って、意気投合した。ずっと語り合って、国際交流プロジェクトを企画した。そのプロジェクトは成功。その翌年の春休みにワシントンDC開催されたNAEA(全米美術教育学会)に参加することになった。そのような経緯もあって、InSEAは忘れられない思い出を創ってくれた場であった。

 そして、昨日のInSEA大阪大会。Melanie Davenport先生が発表するのを知って、いそいで発表会場に駆けつけた。おたいがいを見つけるとその場で抱き合い10年ぶりの再会を喜んだ。本当にうれしい瞬間であった。Melanie先生も私を捜していたという。
 彼女の発表は、メキシコの小さな村に昔から伝わる民話を、現地の高校生がクレイアニメーションにしたというものだ。彼女が準備したのはiMacとビデオカメラ。高校生は、協同してストーリーボードを作成してすばらしいアニメーションを作り上げた。この実践は伝統とテクノロジーを融合させたばかりではなく、粘土の造形、音楽、台詞など様々な要素が統合されたものであった。彼女のアイデアから学ぶことは多い。
 昼食は、寿司屋さんで2時間ほど情報交換した。おたがいの作品がデジタルなので、すぐに交換できるところが便利である。また一緒に何かやりましょう、ということで別れを惜しんだ。Insea

2008年8月 5日 (火)

国際美術教育学会世界大会2008in大阪

 8月5日の午前中は、全国図画工作・美術教育研究大会。大会運営委員長の山本啓介先生の提言が心に残った。紀要から引用させていただきたい。

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 ここ十数年、子どもの「思いのままに」流の授業が展開され、一つの儀式・やり方として流行した。教師は支援に、子どもには主体性の名のもとに「思いのまま」を求め、文字通りの何でもあり、子どもの育ちを置き去りにしたいわゆる「楽しい授業論」である。
(中略・・・前田)
 また、この時期を過ごした現在の大学生にメダカを描かせると、3分の1は無限大記号の線描となり、朝顔の葉は桜葉と類似し、蝶を描かせると軍配の図柄となった。
 生活の中で見取ること・感じ取ることを心の中の形象に高める力が弱く、自らの心に描きつづけもつイメージ力の「育ち」の残薄さがその背景にあると考えられる。
 子どもの「思いのままに」流の授業が引き起こした一つの教育結果であり、学校教育はこれら時代を過ごした全国の子どもたちに謝らなければならない。
(後略・・・前田)
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 あるデータによると、小学校の教師がもっとも教材研究に時間をかけるのが「国語」であり、全体の3分の1をしめていた。その次が「算数」。次が「社会」と続く。そして、一番最後に申し訳程度に残っていたのが「図工」であった。「図工」は図工美術の専門以外の教師にとっては「もっとも教材研究に時間がかからない教科」となっているのである。
 このままでは、図工の教科としての時間は残っていても、その教育内容はどんどん薄っぺらなものになっていくのではないだろうか。図工美術教育は、もっと自らの教科の重要性を主張しなけらばならない。

 この日の午後は、場所を変えて国際美術教育学会世界大会。さすがに世界レベルになると内容が幅広い。
 全体会の基調講演の中で、米国のBrent Wilson氏は視覚文化としての日本のコミックを取り上げ、台湾のLin Mun-Lee氏はCGを駆使したアニメーションを紹介した。
 各部屋で行われる発表内容も、漫画や映像などがテーマとなっているものが多い。8月9日までの全ての発表を聞きたいところだが、6日の夕方には東京に戻らなければならない。残念!!
 

2008年8月 4日 (月)

全国図画工作・美術教育研究大会 in 大阪

 今日は大阪。昨日までは東京で国語のワークショップをひらいていたのに、今日は、大阪で図工のコメントをするという変な役回りだ。

 国語科の学習指導要領の解説と図画工作科のそれとを読み比べてみると面白い。それぞれの教科が、表現や鑑賞(情報の受け取り)の対象としているものの違いが分かる。

 国語科は以下である。
 古事記,日本書紀,風土記などに描かれたものや,地域に伝わる伝説
 実際の本の紹介文,本の帯,広告カード(ポップ)などの実物
 本や文章,パンフレットやリーフレット,
 雑誌や新聞,音声や映像,
 インタビューやアンケートなど
 図表や絵,写真などの資料
 インターネットなど様々なメディア
 実物や映像
 コンピュータのプレゼンテーションソフト

 一方、図画工作科は以下である。
 楽しい入れものや家族や知人へのプレゼント
 印刷物や絵ハガキ
 食器や家具,
 ポスターやネオンサイン,造園,建物,工芸品や衣服,様々な用具などの身近にある造形品
 写真やアニメーションなどの児童が興味や関心をもてる映像メディアなど

 もっとも図画工作科の場合、材料や道具は細かく記してあるものの、表現する対象については、あまり限定されていない。そこは自由度が高いとも言える。

 しかし、以下のようなことは図画工作でも扱えるのではないか。

 パンフレットやリーフレット,
 雑誌や新聞,音声や映像,
 図表や絵,写真などの資料
 インターネットなど様々なメディア
 実物や映像
 コンピュータのプレゼンテーションソフト

 少なくとも、これらのことは、伝えるため文字情報だけではなく、美しくレイアウトする工夫や、映像などの非言語情報を活用する工夫も必要だろう。

 なんだか、国語科は、文字情報を超えて、ぐっと「拡張」してきているのに対して、図画工作科はぐっと「遠慮」しているように思える。実生活で使われているメディアをもっと取り入れるべきではないのか。
 図画工作科は、このままでいいのだろうか。教科としての「戦略」が私には見えない。図画工作の存在価値が、どんどん薄くなっていくように思える。

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