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授業方法

2012年8月 9日 (木)

板書の技術 その5

板書の基本原則4【人間性の原則】

 教師の人間性は、そのまま板書に現れる。
 たとえば、一つの四角形を描くのに、歪んだままで平気で描く教師と、定規を使って正確に描く教師とでは、子どもに与える影響は大きく異なる。

Ningensei

 子どもの文字が担任の文字に似てきたりするので、教師の責任は重大である。しかし、何も美しい文字でなければならないというわけではない。分かりやすく丁寧な文字を心がけることで、その真意が子どもたちにも伝わるということだ。

2012年8月 8日 (水)

板書の技術 その4

板書の基本原則3【根拠提示の原則】

 子どもたちに考えさせるためには、その根拠となるものが必要である。国語であれば「言葉」であるし、社会では「資料」、算数では「数や図形」、理科では「物」ということになるだろう。それらのモノが、黒板の上に提示されることが望ましい。子どもたちは、同じモノを見て、一緒に考えることができるからである。
 たとえば、社会科の授業においては、黒板に一枚の地図を貼って、様々な意見を求めることができる。もしも、子どもたちがもっている手元の地図だけだと、地図のどの部分を言っているのかが分かりにくくなる。
Konkyoteiji  

 「望ましい」としたのは、現実的には実施困難なことがあるからだ。たとえば、国語の教科書にある本文をそのまま提示することは難しいだろう。しかし、ここ数年は、デジタル教科書や実物投影機の登場によって、それも可能になってきている。

2012年8月 6日 (月)

板書の技術 その1

 すべての教師が毎日にようにやっているし、上手下手があるにもかかわらず、あまり研究の対象にならないのが「板書」である。
 もちろん板書は方法にすぎないので、それが前面に出ないのは理解できる。しかし、「板書は重要である」と考えている教師は多いはずだ。しかも、板書に自信がないと思っている教師も多いと思う。
 多くの教師が、大学でも現職研修でも、板書そのものについて習った経験がないからだろう。
 電子黒板やデジタルテレビが教室に登場してからも板書の重要性は落ちていない。むしろ、そのような電子メディアとの役割分担が明確になってきたと言える。
 板書とは何か。しばらく考えていきたい。
Banshonogijutsu

2012年2月24日 (金)

話し合えば「学び合い」なのか? その3

 話し合っても、考えてなければ意味がない。
 話し合うことが目的になってしまっては、本末転倒だ。

 文科省から「言語活動の充実」が掲げられると、多くの学校が「言語活動の充実」を研究テーマにしてきた。「友達と話し合うことができました」といった項目の数字が上がったので、研究の成果があったという主張も見受けられる。

 ここでいう「充実」とは量的な充実ではないはずだ。たくさん話し合えればいいというものではない。記録、要約、説明、論述などの活動が思考力・判断力・表現力の育成に寄与するように質的な充実を図るということだ。

 「言語活動」がそのまま研究テーマになるのは、私にはどうにも理解できない。自分の目の前にいる子どもたちの「問題の所在」からテーマを見出すべきだと思う。
 たとえば

 「子どもたちは図表やグラフから読み取る力が足りない」という「問題」を解決するために、
 情報を分析・評価したり論述したりするという「言語活動」を効果的に組み込むためにはどうすればいいか、

というテーマの絞り方が妥当なのではないだろうか。このような研究テーマだと、「図表やグラフを読み取る力」を実践前と実践後で比較すればいいので、検証も客観的になる。

2012年2月20日 (月)

話し合えば「学び合い」なのか? その2

 まずは、現在の学習指導要領の元になった中央教育審議会答申の中から「言語活動の活動例」を抜粋する。

***************************

(1)体験から感じ取ったことを表現する

(例)・日常生活や体験的な学習活動の中で感じ取ったことを言葉や歌,絵,身体などを用いて表現する


(2)事実を正確に理解し伝達する

(例)・身近な動植物の観察や地域の公共施設等の見学の結果を記述・報告する


(3)概念・法則・意図などを解釈し,説明したり活用したりする

(例)・需要,供給などの概念で価格の変動をとらえて生産活動や消費活動に生かす

   ・衣食住や健康・安全に関する知識を活用して自分の生活を管理する


(4)情報を分析・評価し,論述する

(例)・学習や生活上の課題について,事柄を比較する,分類する,関連付けるなど考えるための技法を活用し,課題を整理する

   ・文章や資料を読んだ上で,自分の知識や経験に照らし合わせて,自分なりの考えをまとめてA4・1枚(1000字程度)といった所与の条件の中で表現する

   ・自然事象や社会的事象に関する様々な情報や意見をグラフや図表などから読み取ったり,これらを用いて分かりやすく表現したりする

   ・自国や他国の歴史・文化・社会などについて調べ,分析したことを論述する


(5)課題について,構想を立て実践し,評価・改善する

(例)・理科の調査研究において,仮説を立てて,観察・実験を行い,その結果を整理し,考察し,まとめ,表現したり改善したりする

   ・芸術表現やものづくり等において,構想を練り,創作活動を行い,その結果を評価し,工夫・改善する


(6)互いの考えを伝え合い,自らの考えや集団の考えを発展させる

(例)・予想や仮説の検証方法を考察する場面で,予想や仮説と検証方法を討論しながら考えを深め合う

   ・将来の予測に関する問題などにおいて,問答やディベートの形式を用いて議論を深め,より高次の解決策に至る経験をさせる

  さらに,これらの学習活動の基盤となるものは,数式などを含む広い意味での言語であり,言語を通した学習活動を充実することにより「思考力・判断力・表現力等」の育成が効果的に図られることから,いずれの各教科等においても,記録,要約,説明,論述などの言語活動を発達の段階に応じて行うことが重要だとしている。

  また,先述の通り,我が国の子どもたちにおいては,引き続き解釈,熟考,評価といったプロセスに課題があること(平成21年PISA調査結果)からも,各教科等の目標の実現のために言語活動の充実が必要であることを再確認したい。

(つづく)

2012年2月17日 (金)

話し合えば「学び合い」なのか? その1

 最近、授業研究会などでよく聞く言葉が、「言語活動」と「学び合い」だ。
 授業を見てみると、授業の途中で子どもたちが3人〜4人で話し合う活動が設定してある。
 この活動が「言語活動」であり「学び合い」なのだろう。

 しかし、話し合いの内容をよく聞いてみると、子どもたちが自分の意見を言い合っているだけのことがある。
 たとえば、教師がある課題を示し、「まずは一人で考えてみよう」という指示を出す。子どもたちは、ワークシートに自分なりの意見を書く。その後、教師は「(ペアまたはグループで)話し合ってみましょう。」という指示を出す。子どもたちは、そのワークシートの意見を述べるだけといった展開だ。

 これでは、思考力・判断力・表現力等ははぐくまれないだろう。

 では、どうすればよいのだろう。(つづく)

2011年9月25日 (日)

学校の研究はなぜ実践報告になってしまうのか 3

 職員側が「年に一回の研究授業だけに全力投球」では、年間を通した研究にはならない。
 一人一人の教師が「学校での研究とはそのようなものだ」と捉えているうちは改善はできない。
 そこで,そもそも研究とは何かということを考えてみたい。
 辞書的な意味は以下のようになる。

 研究:深く考えたり、調べたりして、真理を明らかにすること

 目的があるから、深く考えたり調べたりして真理を明らかにする必要がある。その目的とは「問題」に他ならない。学校の児童・生徒に何らかの「問題」があるから研究をするはずである。「生き生きと学び合っていない子ども」が現在の状態(=問題)だから「生き生きと学び合う子どもの育成」が研究テーマになるはずだ。現在も「生き生きと学び合っている子ども」の状態であれば、研究テーマにする必要がない。
 その「問題」を解決するために、深く考えたり、調べたりして、真理を明らかにする。これが「研究」なのである。

 その問題を解決するためには、その方略を考えなくてはならない。そのために、書籍や論文等を読んで先行研究を調べなくてはならない。
 たとえば、「生き生きと学び合う」ための問題解決の方略として以下の3点を考えたとしよう。
(1)協同学習の場の設定(があればいいのではないか。)
(2)学び合う必然性のある課題の設定(があればいいのではないか。)
(3)自らの学びを振り返る自己評価の場の設定(があればいいのではないか。)

 極めて大まかな方略ではあるが、これが研究の仮説となる。したがって、学校で取り組む研究授業は、この「仮説」に沿った形で授業を行わなければ検証ができない。(このあたりが、焦点化された大学の研究と学校の研究との違いかもしれない。授業には多くの教師が携わるし、児童生徒も同一ではないからだろう。)

 ところが、実際に研究授業直前になって問題が起こることが少なくない。
 一番多いのが、仮説の意味が職員に十分に共有されていないということだ。
 上記の例でいえば、「協同学習」の意味が共有されていないといったことだ。
 研究主任が述べている「協同学習」が、職員には「グループでの話し合い活動」という意味で伝わっているような場面である。
 年度当初の研究主任からの「提案」では、職員からの質問も反対意見も出なかったのに、研究授業の直前の指導案検討の段階で問題がわき上がってくる。

 これは、われわれが「言葉一つ一つ」に鈍感であるからだ。(つづく)

2011年9月21日 (水)

授業の理論をつくる8

 再重要度評価を行ったら、問題を焦点化する。最も重要度の高い問題から話し合うことになる。
 たとえば、「なぜ、西尾先生の授業のときは、意見がたくさん出たのだろう。」という問題を話し合うことにしよう。そこから、また付箋紙を出して、その回答となるアイデアを出し合う。

「自分の感想を出せばよいので気軽に意見が言いやすいから。」
「映像が一つのテーマだけだったので、分かりやすかったから。」
「映像そのものが楽しい内容だったので、心地よい気分になれたから。」

といったことを自由に話し合う。さらに、その中から「論理的につながりの高いもの」を選んでいくようにする。また、「なぜ、映像の場合、感想が出しやすいのか。」というさらに深い問題を話し合ってもよいだろう。
 このように、話し合いの後半部分は、「問題の解決案」に焦点化するべきなのだろう。つまり、スライド作成前の話し合いの段階では、「問題点を明確にする」「問題の解決案を出し合う」「解決案を決定する」という順番で行うと効率的になるはずだ。
Mac7110910
 では、プレゼンテーションのスライドを作る段階では何が必要なのだろう。今回のプレゼンテーションでは3分間という制約があった。3分だと、内容にもよるが、あまり多くを語ることはできない。全てを言おうとすると、インパクトは弱くなる。誰もが気づいていないような内容にしぼることも重要だ。意外性のある内容にしぼって、シンプルにまとめていくことも考えなくてはならない。今回の渡辺先生、西尾先生の「教育技術」は極めて優れていたものだった。やさしい語り口調や表情などは、子どもたちの発言を促すのに有効に働いていただろう。しかし、それは誰もが気づいていたことだ。そのことを取り上げても、聞いている側にとっては新鮮味に欠ける。聞いている側にとっても、「なるほど、そんな見方があったのか。」と感じられる情報に洗練していくべきだろう。情報を羅列しても、良いプレゼンテーションにはならないのである。

 それにして、このワークショップは極めてハードルが高い。校内の授業研究会で行うことは、まず不可能だ。このメンバーだからできることなのだろう。しかし、トレーニングとして継続していけば、相当大きな力になっていくだろう。まさに、「一人では解決できない高いハードル」のあるワークショップだと思う。

2011年9月20日 (火)

授業の理論をつくる7

 何かの主張をする場合、そこに根拠が伴わないとならない。
 授業の理論をつくる場合、その根拠とは授業の事実に他ならない。
 そのために、今回は教師と児童生徒役の発言記録をしてもらった。これは、通常の授業研究会であれば行うだろう。それと同時に、写真での撮影もしてもらった。これは重要だ。なぜならば発言記録には残らないものがあるからだ。もっとも、ビデオで残す方法もあるし、今までも授業ビデオから分析する手法も考案されてきた。しかし、ビデオ分析はそれを再生するための時間がかかるという問題点もある。
 いずれにしても、映像で授業記録を確かめながら、授業の事実を根拠にしていく作業は欠かせない。実際、参加者はよく写真を見ながら授業を振り返っていた。
Mact110910pc

 では、付箋紙ではどのような手順で話し合えばよかったのだろう。問題解決のオーソドックスなパターンでいけば、まずは「問題となる点のブレーンストーミング」から始めるべきだろう。
 今回のプレゼンテーションのテーマは、「授業を説明する」ことが問題解決となる。
 だから、単純に「なぜ、○○なのだろう。」ということを話し合う。たとえば、「なぜ、西尾先生の授業のときは、意見がたくさん出たのだろう。」「渡辺先生の4つのエピソードはそれぞれどんな意味があったのだろう。」といったことを、思いついたまま出し合うことになる。
 次に行うことは、出された付箋紙をグルーピングして、大きなまとまりにしていく。これによって似たような問題が統合されたり、重要度の高いものや低いものが分かってくる。
 そして、それをさらに「重要度評価」を行う。どの問題が最も重要であるかを決めるのである。
Mactt110910b
 このように、話し合いの前半部分は「問題点の明確化」に焦点化するべきなのだろう。(つづく)

2011年9月17日 (土)

授業の理論をつくる6

 授業を図にしてみると、構造の違いが明確になった。
 渡辺先生の授業では、複数の文章を考える根拠として提示し、「エピソード」を意味づけるために「一番感銘を受けたのはどれか。」という問いを発していたのである。
 西尾先生の授業では、動画映像を考える根拠として提示し、多様な意見を引き出すために「どんなところがおもしろいですか。」という問いを発している。

 図にしてみると、授業の骨格が分かっておもしろい。だから「意見は少なかったがまとまった渡辺先生の授業と、まとまらなかったが意見が多かった西尾先生の授業の違いは何か。」という問題に対しては、「二人の授業の構造がこのように異なっているからである。」と述べて、詳細を具体的に語ればよいのだろう。
Jugyounochigai

 しかし、実際のプレゼンテーションでは余計なことを言い過ぎてまとまりに欠けたものになってしまった。まだまだ私自身も「説明」ができていない。反省しなければならない。(つづく)

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