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写真活用術

2012年1月24日 (火)

写真の特性と授業への応用11

11 写真を並べるとストーリーができる

 写真は、見る人によって解釈が異なり、受け取り方に差が出ます。このことを上手に利用すれば、写真を並べることによって様々なストーリーを作ることができます。
 たとえば、ここに3枚の写真をならべた図があります。
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 赤い矢印の図の並びで見ていくと

 「健康で幸せな家族。検査でおじいちゃんの病気が見つかって、入院することになってしまいました。」

 といったストーリーが想像できます。
 そこで、一番上の写真と一番下の写真を入れ替えてみましょう。順番を入れ替えて見てみると、異なったストーリー展開になります。
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 青い矢印の図では、次のようなストーリーになるでしょう。

 「病気で入院中のおじいちゃん。治療を続けて、健康になりました。」

 写真が曖昧な表現物であるがゆえに、見る側が写真の文脈を想像して、自由に解釈できるわけです。また、写真の順番が後になれば時間的にも後をあらわすことになります。最後の写真は結末をあらわすことになるわけです。
 

 子どもたちが物語やプレゼンテーションなどでオリジナルのストーリーを作る学習があります。そんな時は、 子どもたちが撮影した写真を一覧印刷したものをばらばらにして並べるという活動は極めて効果的です。
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 子どもたちは、最初にストーリーがあって、それに合わせて写真をならべているのではなく、写真をならべながらストーリーを考えているのです。    (つづく)

2012年1月23日 (月)

写真の特性と授業への応用10

10 カラー・白黒、横長・縦長によって写真の印象は変わる

 現在は、カラー写真が当たり前なのですが、50年ほど前は白黒写真が一般的でした。カラーと白黒写真とでは、印象はどのように変わるのでしょうか。

 ここに長崎県の軍艦島の写真があります。
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 この写真の白黒のものもあります。
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 比較してみてください。白黒写真はどこか現実とは違う印象をもちませんか。まるで第二次世界大戦で攻撃されたビルのように、どこか現代とは異なった感じがします。
 飯沢耕太郎氏は次のように言います。

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「モノクローム作品は、どうしても現実世界とは異質の『虚構の世界というか別世界』をそこに出現させてしまう。」(飯沢耕太郎著「写真的思考」(河出書房新社)
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 たしかに、カラー作品の生々しさに比べると、白黒写真はリアルさに欠ける分だけ異なった世界の印象を受けます。超現実的であり、それは撮影者の世界観でもあります。見る人間をその世界に強く誘い込むことができるという点では白黒写真の良さがあるわけです。カラーにするか白黒にするかでも印象が異なるのです。

 また、同じ写真でも横長か縦長かでも印象が変わります。われわれは普段、横長と縦長の効果の違いを意識して撮影することはほとんどないでしょう。
 しかし、同じ被写体でも横長と縦長は違って異なった印象を与えることになります。
 たとえば,次のような横長の写真。
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 この写真も縦長にすると次のようになります。
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 横長の写真では、背景が広く見えるので人物が動きが想像できそうです。縦長の写真では、より人物が印象的に見えます。画面に占める人物の割合が大きくなるのもその理由の一つかもしれません。
 同じ写真なのにトリミングの仕方で異なった印象を受けるのはなぜなのでしょう。
 河野鉄平氏は言います。

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 基本,日常的な映像はすべて「横」です。そういった意味では,写真でしか存在しない縦位置の世界は非常に特殊なものだとも言えます。総じて横位置は,押し付けがましくない広がりを持った優しい印象になります。一方,縦位置の場合,その被写体を力強く印象的に捉える傾向があります。
  (河野鉄平著「写真の撮り方 ハンドブック」(誠文堂新光社))

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 カラーにするか白黒にするか、横長にするか縦長にするか、その違いによって伝わり方が異なってくるわけです。
 リーフレットやパンフレット、新聞などに使う写真を選ぶ際に、考える視点になるでしょう。また、教師がそのことを知っておけば、授業中に使う写真も意識して変化させることができるでしょう。(つづく)

2012年1月20日 (金)

写真の特性と授業への応用8

6 人の顔は印象に残る

 ここに一枚のニューズレターがあります。

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 同じものでも写真だけを変えてみましょう。

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 上と下のニューズレターでは、どちらが目を引きますか。
 人によっても意見は異なるでしょうが、下を選ぶ人が多いはずです。なぜならば、人間は無意識に「人の顔」に注目してしまうからです。
 これは宣伝広告でも利用される原則です。宣伝する品物がテレビのような家電製品であっても、ポスターやチラシではイメージキャラクターが登場します。だから、印刷物に注目させたいのであれば、できるだけ人物の写真を使用した方がよいということになります。しかし、どんな写真でもよいわけではありません。表情が大きくものを言います。
 下の写真を見てください。
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 どんな人物像を想像しますか。にこやかで明るい好人物という印象をもつでしょう。なんとなくやさしくてユーモアもありそうなお年寄りというイメージです。ジャージを着ていることからも、健康そうな感じがします。
 では、別の写真を見てみましょう。
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 同じ人物なのですが、明るさというものが感じられません。どちらかといえば、人生に悲観しているようにも見えますし、ちょっと頑固なお年寄りにも見えます。パジャマを着ているところから病気にも見えます。
 人間は時と場合によって表情を変えます。常に同じ顔をしている人はほとんどいないはずです。ところが、写真に写った一瞬の表情で、その人物の人柄までイメージされてしまうことがあるのです。
 新聞や週刊誌で掲載されている政治家の写真などは憮然とした表情のものが多いのではないでしょうか。何かしら怪しげにも見えます。それに否定的な文章が入れば、人物の印象はさらに悪くなることでしょう。
 だから、写真を使った学習においては「人物の表情」も重要な要素となります。子どもたちが新聞やリーフレット作りの場面で人物の写真を選ぶことがあります。そのとき、「どちらの人物の写真の方が伝えたい内容に合うかな。」などと課題を投げかけることも必要でしょう。(つづく)

2012年1月18日 (水)

写真の特性と授業への応用7

5 同じ出来事でも視点が変われば写真は異なる

 同じ出来事であっても、視点が変われば写真も異なります。
 たとえば、われわれ熊本大学教育学部情報教育研究会の活動の様子を取材して新聞記事にするとしましょう。伝える視点が変われば、新聞に掲載される写真も違ったものになるはずです。
 研究会全体の様子を伝える場合は、次のような研究会全体の写真が選択されるでしょう。研究会全体の目的や会の流れが記載されます。「情報教育を大学で学ぶ」といった見出しになるでしょう。
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 もしも電子機器に視点を当てれば次のような写真が選択されるでしょう。電子機器を操作する教師の姿が対象となるわけです。「先生方もiPadに挑戦!」といった見出しになるでしょう。
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 「協同学習」がテーマになれば、以下のような写真になるかもしれません。グループで対話しながら作品を練り上げる活動にスポットをあてた記述がなされます。「現場教師が協同学習を体験」といった見出しが考えられます。
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 このように、同じ場所、同じ時間に起きた出来事も、視点によって使われる写真が異なります。スポーツ記事でも、勝者に視点を当てるか敗者に視点を当てるかでは、使われる写真は当然異なってきます。われわれが日常的に見ている報道写真は、発信者が意図的に選択したものなのです。 前述したように写真は意味が曖昧なメディアですので、言葉をつけることによって、さらに意味が定義されます。

事実は視点によって、どうにでも異なった情報として伝えることができるわけです。


 これを授業で応用すれば、同じ出来事や同じ人物を違った視点で新聞記事を作ることが可能です。たとえば、学校内の先生方の仕事を伝える学習であれば、あえて一人の先生に対して複数のグループに取材させてみるのも面白いでしょう。同じ人物の仕事を取材するにしても、その視点を「仕事で使う道具」にするか、「仕事の苦労」にするかでは、使われる写真は異なるわけです。出来上がった新聞記事を比較することで、伝わり方の違いや写真の効果が分かります。これはメディアリテラシーを学ぶ授業として応用できます。(つづく)

2012年1月17日 (火)

写真の特性と授業への応用6

6 写真は抽象的な概念は表せない

 報道写真家の名取洋之助は次のように言います。

「『犬』というような抽象的な概念を与えにくいということがあげられるのも、写真が「物」に忠実な記号であり、抽象化されていない記号だからです。」 名取洋之助著「写真の読み方」(岩波新書)

 われわれに備わっている【犬】の概念は、「食肉目イヌ科の哺乳類。嗅覚・聴覚が鋭く、古くから猟犬・番犬・牧畜犬などとして家畜化。多くの品種がつくられ、大きさや体形、毛色などはさまざま。(大辞泉より)」といった辞書的な概念です。
 しかし、写真で表されるのは概念ではなく、ブルドックやシェパードといった、そこにある「物」としての犬です。総体としての【犬】は写真ではあらわせないのです。
 これは、われわれ人間が、生まれてから現在に至るまでに、様々な犬の実物や映像を見て、そこから共通する要素を取り出して概念形成をしていったことを意味します。

 つまり、写真の特性として

 

具体的な「物」を表すことはできても、抽象的な概念は表せない。

ということが挙げられるわけです。
 このことは、

 

複数の写真があれば、概念形成に役立つ

ということも意味します。
 名取洋之助は次のようにも述べています。

 「写真を何枚か並べると、抽象的な概念が表現できるということは、写真によって物語ることを可能にしました。」(同掲書)

 複数の写真があれば、共通の要素が強調されるようになります。先ほどの「犬」の写真をならべて見てみると、「四つ足」「鼻が長い」「耳が大きい」といった特徴が見えてきます。このように、複数の写真があれば、概念形成に役立つというわけです。
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 だから、学習においては、集団で調査をするような場合に、手分けをして写真を撮影して集めてみることが考えられます。たとえば、ユニバーサルデザインの写真を集めて、複数ならべて見てみると、ユニバーサルデザインに共通した要素が強調されるようになるわけです。そのことによってユニバーサルデザインの概念が形成されていくことになります。

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また、理科で「季節ごとの自然の様子」を撮影し集めることで、それぞれの季節に特徴的な自然の様子が明確になるでしょう。社会科では「暮らしに関わる道具」を撮影し集めることで、「昔から変わらない人々の願い」を考えたりすることもできるでしょう。(つづく)

2012年1月16日 (月)

写真の特性と授業への応用5

5 写真それ自体がメッセージとなることもある

 宣伝用や報道用の写真は、情報発信者からのメッセージを受信者に伝えるという目的があります。しかし、そうでない写真もあります。撮影することそのものが目的となるような場合です。

 たとえば、記念撮影などは、人々の生活の瞬間を記録に残すことに目的があるので、メッセージ性は低くなります。今、その瞬間を撮影することそのものが目的だからです。自分たちが見ることが前提であって、誰かに見せることを前提とはしていないからです。

 また、芸術写真もそうです。メッセージそのものを写真で表現するわけです。表現するときは、撮影すること自体が目的となります。
 たとえば、ここに、四年生が「美しいと感じた光」を撮影した写真があります。
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 コップの中に落としたガラス玉を光にあてて上から撮影したものです。きらきらと縦横に輝く微妙な光に感動したのでしょう。「美しい」と感じた瞬間にシャッターをきったのです。このような写真は、それ自体が受信者へのメッセージとなるので、受信者は自らの感性に従って写真を見て味わえばよいことになります。

 そう考えると、メッセージそのものを写真で表現するような活動は、図画工作や美術教育の分野で生かせることになります。また、写真は意味が曖昧であるという特性を逆手に取って、写真を見ながら撮影者の意味付けを解釈し合うという活動も面白いでしょう。一枚の写真を見ながら、どうして撮影者はこの写真を撮ったのだろうと考えて意見を述べ合ったり、写真が撮影された状況を想像して感想を交流するような活動です。あるいは、みんなで写真の題名を考えるような活動もあります。たとえば、下の写真に題名をつけようと問いかけてみるわけです。
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 「透き通る夏」とつけた場合と、「激流」とつけた場合とでは写真の見え方が異なりませんか。受信者(ここでは鑑賞する側)が意味付けを行うことで作品鑑賞を楽しむわけです。
(つづく)

2012年1月15日 (日)

写真の特性と授業への応用4

4 写真と文字が組み合わされるとメッセージは伝わりやすい
 誰かがメッセージを相手に伝えようとした場合、何らかのメディア(媒体)を使うことになります。たとえば、修理中のトイレの中に誰にも入ってもらいたくない、というメッセージを伝える場合、「立入禁止」という言葉が書かれた札をドアにはるでしょう。これがメディアです。
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 発信する側は、メッセージを日本語のきまりにしたがって「立入禁止」という記号に変換しているわけです。メッセージを受信する側は、それを日本語のきまりにしたがって解読します。このトイレには入ってはいけないのだな、と理解できるわけです。


 このように、メッセージを伝えるためには、発信者と受信者に共通の「きまり」が存在します。この「きまり」のことをコード(code)とよびます。したがって、コミュニケーションには、情報の発信者と受信者の間に共通のコードが存在していなければなりません。


 日常生活では、われわれはコードを意識することなくコミュニケーションを行っています。しかし、共通のコードがなければコミュニケーションは円滑に行われないはずです。たとえば、漢字を知らない幼児には、「立入禁止」のメッセージは伝わりませんし、日本語を読めない外国人も同様です。


 言語が記号とよばれるのは、そのためなのです。


 言語は、一つ一つの意味をもつ言葉を自由に組み合わせることで、抽象的な概念を操作できるという長所をもちます。しかし、情報の発信者と受信者に共通のコードがなければコミュニケーションが成立しないという短所もあります。したがって、言語はコードに依存した記号だと言えます。


 一方、写真は具体的であるがゆえに、共通のコードがなくても被写体が何であるかは理解できます。幼児も外国人も、前述した「公衆トイレの写真」を見れば、それが「公衆トイレ」であることは理解できます。しかし、情報の発信者がその写真にどのようなメッセージをこめようとしているのかは理解できません。写真のコンテクストが分からないとメッセージは読み取れないのです。そう考えると、写真はコンテクストに依存した記号だと言えます。

 ここに三枚のポスターがあります。
 次の写真だけを見せられても、発信者のメッセージは正しく伝わってきません。
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 もしも、次のように「くつがないています。」 「くつばこにしまいましょう。」という文章だけを画用紙に書いて、ポスターにしたらどうでしょう。発信者の意図は伝わりますが、効果的には伝わりません。少なくとも、注目はされないでしょう。
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 次の写真は、ポスターとしての完成品です。「くつがないています。」という言葉が入れられています。ここで受信者は、「この写真は、靴箱の横に放り出されている運動靴の気持ちになって撮影されたのだな。」ということが理解できます。そして、その下にある文章「くつばこにしまいましょう。」というメッセージが印象深く伝わることになるわけです。
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 このように、写真と文字が組み合わされるとメッセージは伝わりやすいのです。
メッセージは正確さと同時に、「いかに伝えるか」ということも重要なのです。新聞や雑誌、テレビなどの日常生活にあふれる多くの情報が、写真(映像)と文字(言語)を組み合わせて伝えられているものが多いのはこのためです。写真と文字のそれぞれの特性が生かされているわけです。

 だから、学習においては、リーフレット・パンフレットなどを制作しながら写真や文字の効果をそれぞれに検討するような学習が必要なのです。文字だけを作成して、空いたスペースに適当な写真を貼るような学習では、写真と文字の関連性を検討することは不可能です。その意味では、コンピュータを活用して、写真や文字を自由に操作しながら試行錯誤する学習は極めて効果的だと言えましょう。(つづく)

2012年1月14日 (土)

写真の特性と授業への応用3

3 写真は具体的だが、意味は曖昧である

 この「公衆トイレの写真」のように、相手に見せることを前提にして撮影された写真には、撮影者の「意味づけ」が行われています。したがって、見る側はそれを解釈しようと試みることになります。
 写真のように、「見る側(読む側)が何らかの意味を引き出すべき表現体」をテクスト(テキスト、text)とよびます。テクストは、文章だけではなく写真、絵や図なども含まれます。

 しかし「公衆トイレの写真」だけを見せられても、子どもたちが意味づけたものを解釈することは難しいはずです。なぜならば、見る側は、写真が撮影された背景を知らないからです。
 つまり、

 写真は具体的だが、意味は曖昧なのです。

 ここに写真の一つの特性があります。
 写真の解釈をするためには、次のことを知る必要があります。


○この写真は、6年生の単元「みんなで生きる町」の学習中に撮影された。


○この写真は、子どもたちが学校の周囲を見回して、課題があると感じて撮影した。


 このことが分かれば、解釈は容易になります。見る側は「トイレの入り口がこんなに小さくては車椅子の人が入れない、という意味づけを子どもたちは行ったのだろう。」と解釈することができます。


 このように、写真が撮影された背景(なぜ、撮影されたのか。誰が撮影したのか。そのときの状況はどうだったのか。)をコンテクスト(コンテキスト、context)とよびます。テクストの「文脈」とよばれるものです。
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 写真は極めて具体的なものを記録することができますが、受信者にとってはその意味づけられたもまのでを読み取ることは難しいはずです。写真の解釈には、コンテクストが必要になるのです。
 そこで、発信者は、写真を見せると同時に、そのコンテクストを示しながら、自らの「意味づけ」を語る必要が出てきます。たとえば、「これは、公園のすみにある公衆トイレです。でも、入り口がこんなに小さくては、入れない人がいるのではないでしょうか。」といった具合です。
  この段階で、人間の内部で行われた「意美づけ」が、コミュニケーションの場という外部に出て言葉になります。言葉をともなって、メッセージは受信者に伝わっていくことになるのです。
 このことを、授業で応用するためには、自らが撮影した写真を見せながらメッセージを伝えるという学習活動を仕組むことです。そのことは、〈意味づけ〉された自らの体験を言語化するということであり、言語活動としての学習になるわけです。欧米でやられているショー&テルのように、自分の家族やペットの写真などを見せながら話すことや、国語の学習として写真を使った新聞やリーフレット作り、写真を使ったプレゼンテーションも効果的です。(つづく)

2012年1月13日 (金)

写真の特性と授業への応用2

2 撮影することは意味づけること

 対象に対する人々の意味づけ方は異なります。
 たとえば、「あなたにとって学校とは何ですか。」という質問に対して、ある子どもは「勉強するところです。」と答えるでしょう。また、ある子どもは「友達と遊ぶところです。」と答えるかもしれません。あるいは、「勉強を強いられる地獄です。」と答える子どももいるかもしれません。また、教師だったら「自分の大切な仕事場です。」と答える人も多いでしょう。対象は同じ「学校」であっても、その意味するところは人によって異なるはずです。

 ここに、子どもたちが撮影してきた一枚の写真があります。
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 公園のすみにある公衆トイレです。撮影の対象になったものは「公衆トイレ」ですが、撮影してきた子どもたちにとっては「意味」があるのです。そうでなければ、わざわざ公衆トイレを撮影したりはしません。子どもたちは、あるメッセージを伝えようとしてこの写真を撮影したのです。では、あなたは、そのメッセージが分かりますか。 

 実は、この写真は、6年生の国語科の単元「みんなで生きる町」(光村図書6年上)の学習中に撮影されたものです。子どもたちが学校の周囲を見回して、ここに課題があると感じたところを写真にしたわけです。おそらくは、入り口がこんなに小さくては車椅子の人が入れない、と感じたのでしょう。この場合、子どもたちにとっては「車椅子の方が入れないという課題をもった場所」として公衆トイレは意味づけられたことになります。
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  このように、ある課題意識をもって撮影をするということは「現実から何かを意味づける」という行為なのです。だから、学習においては、子どもたちが実際にカメラで撮影をするということそのものが重要です。撮影者は写真の情報には含まれない背景(=コンテクスト)を理解しているからです。だから、被写体がどのような空間にどのように設置されていたのかを述べることができます。
 一方、インターネットや図書の中から探してきた写真をそのままコピーアンドペーストしても、写真に含まれない情報は分からないので、自らの言葉で写真の説明をすることはできにくいでしょう。同じ写真であっても、子どもたちが実際にその場にいって自ら意味づけを行いシャッターを切るという行為がその後の学習の展開に大きな影響を及ぼすのです。(つづく)

2012年1月12日 (木)

写真の特性と授業への応用1

 われわれ熊本大学教育学部情報教育研究会では、「教師のための写真活用術」という電子書籍作成を計画している。そこで、その原稿執筆を兼ねて、自分の担当分をアップしていきたい。

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1 写真が学習の中に登場してきた

 写真やビデオなどの映像メディアが教科書にも多く登場するようになってきました。たとえば、国語科の教材「アップとルーズで伝える/仕事リーフレットを作ろう」(光村図書4年下)は、子どもたちがテレビの映像を題材とした説明文を学習して、その後に実際に自分たちで写真を撮影してリーフレットを作成するという単元です。
 ほんの数年前では、なかったタイプの学習です。国語といえば文学教材と生活作文が定番だった時代とは隔世の感があります。だから、このような映像メディアの学習には違和感をもつ教師も多いのではないでしょうか。また、写真やビデオでは、国語力の向上につながらないではないか、という懸念もあるでしょう。
 しかし、学習指導要領解説国語科編の中の3、4学年の言語活動例には、このような記述があります。

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ウ収集した資料を効果的に使い,説明する文章などを書く言語活動
 資料を使い,説明する文章などを書く言語活動である。
 「収集した資料を効果的に使い」とは,説明する相手や目的に応じて,本や文章,図表,絵画,写真,具体物などの資料を収集し,考えを高めることと,構成や記述のためにこれらの資料を活用することとである。書くべき「説明する文章など」には,文章だけでなく,図鑑や小冊子などの形も考えられる。ここでは,例えば文章を図解する資料となっていることや,写真やグラフなどを具体的に解説した文章となっていることなど,文章と図表などの資料とが相互に密接な関連をもつものであることを意識できるようにすることが大切となる。
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 つまり、学習指導要領では、子どもたちが写真などの資料を収集して、構成や記述のためにこれらの資料を活用することが求められているのです。
 ところが、実際の教育現場では、写真は文章の「付け足し」程度に扱われていることが多く、その写真そのものを検討して考えを高める学習は充実しているとは言えないように思えます。たとえば、先生が撮影した写真を、いわばカット的に貼り付けてあるような新聞などをよく見かけるからです。これでは、文章と資料とが密接に関連をもつことを意識させることはできません。
 これは、学習における写真の特性の理解が十分になされていないためではないでしょうか。教師は子どもの時にこのような「写真を使った学習」を経験していないのです。
 そこで、この章では、写真の特性と授業への応用について考えていきます。(つづく)

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