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ICTを活用した授業

2012年10月 1日 (月)

授業におけるICTの活用とは? その9

【ICT活用における授業設計方略の変化 3】
 同じ学校のB教諭も、授業設計に変化が生じている。
 1年目のB教諭(5年担任)は、まずワークシートを拡大して記入方法を示している。ここまでは教師側からの情報提示であり、児童からの反応は求めていない。
 次の場面ではスピーチの動画を二つ提示して問うている。
 最初の動画は「よくないスピーチの例」である。児童は「このスピーチは豊かな話し方ではないと思います。なぜならば、○○だからです。」という言い方で回答している。教師は、それらの意見を黒板にまとめていった。
 二番目の動画は「よいスピーチの例」である。児童は「このスピーチは豊かな話し方だと思います。なぜならば、○○だからです。」という言い方で回答する。教師は、同様にそれらの意見を採り上げながら、黒板にまとめている。
 児童の意見は「声」や「表情」「態度」といった「話し方」に注目する傾向にあった。「話の内容」も触れないことはなかったが、動画の特性としてはどうしても「話の内容」よりも「話し方」に意識が向いてしまうのだろう。
 最後は、児童のワークシートを拡大して提示して終了である。

 2年目のB教諭(6年担任)は、授業最初の段階で動画からスタートしている。5年生に6年生の集団宿泊の様子をビデオで見せた後に、その反応を録画したものである。5年生からの「こんな情報を教えてほしい」というメッセージが動画で伝わるようになっている。それをパンフレット制作につなげようというものである。
 そして、パンフレットで使用する写真を9枚提示して、「どの写真を使うべきか。それはなぜか。」を考えさせている。印象的だったのは、9枚の写真を一つの映像の中に提示しているところである。この状態であれば、直接比較が可能となる。意見を聞いている児童は、その写真をあらためて見ることになる。これが1年目の授業ではなかったところである。
 授業の最後に、児童のワークシートを拡大して意見を述べさせているところは1年目と同様である。

 B教諭の二つの授業は、ともに映像を比較させるものであったが、以下のように違いがあった。
1年目:動画を一つずつ見せて問いを出す
2年目:静止画を複数同時に見せて問いを出す
 動画は、流れてしまうので、その根拠となる部分をあらためて示すのは難しい。したがって、児童の意見を聞くときにはどうしても「記憶」にたよってしまうところが出てしまう。その点で、静止画はその根拠を確かめながら意見を聞くことが可能となる。(つづく)

2012年9月27日 (木)

授業におけるICTの活用とは? その8

【ICT活用における授業設計方略の変化 2】
 あるICT活用の研究指定校の授業を振り返ることにする。
 その学校のA教諭は研究指定を受ける前のICT活用は0に近かった。研究指定を受けたことをきっかけにして、ICT活用を自分の授業に取り入れることになったわけである。
 1年目のA教諭の授業ビデオを観察してみる。
 ICTの活用は2カ所だけである。1番目の活用は、児童のワークシートを実物投影機で拡大し、書き方を見せて指導するといったものである。2番目の活用は、児童が説明している対象となる物の写真を拡大して投影するといったものである。
 一方、2年目でのA教諭のICT活用は明らかに異なっていた。
 ICT活用の活用は、大きく3カ所。1番目の活用は、デジタル教科書のひらがなの筆順アニメーションを映し出して、それを見ながら空書きするように指示を出す。2番目の活用は、デジタル教科書の挿絵だけを拡大提示して、「同じように手を動かしましょう。」と指示したり、「この絵にはどんな説明がついていましたか。」といった問いを出したりしていた。つまり、単純に提示して理解させようとするのではなく、映像に伴った問いを出して考えさせようとしているのである。そして、3番目の活用は、本文に関連する動画を見せるといったものである。それによって本文の内容をより深く理解できるようにするためである。
 1年目と2年目での違いとして印象的なのは、黒板の使い方の変化である。1年目は黒板が中心となっており、従来の授業に映像が補助的に使われるというスタイルである。2年目は、デジタルテレビと黒板が組み合わさった板書となっており、映像を根拠に考えさせ、学習者の意見は黒板にまとめていくようなスタイルに変わってきている。デジタルテレビと黒板の役割を明確にした授業スタイルと言えよう。
 本人が意識してそうしたわけではなく、1年間の中で教師自身がICTの効果的な活用を模索していくうちに、このような変化が生じたのである。(つづく)

2012年9月25日 (火)

授業におけるICTの活用とは? その7

【ICT活用による授業設計方略の変化】
 少し話が変わるのだが・・・。
 ICTを活用することで授業設計方略は変化すると思う。
 たとえば、電子黒板やデジタルテレビが授業の道具として入ったことで黒板の役割がより鮮明になったということはあるはずだ。これらの投影装置は、変化のある映像を提示したり、教材の一部を拡大投影したりできる。これは、従来の黒板ではできなかったことだ。一方、黒板にしかできないこともある。たとえば、学習者の意見を整理して記録したり、地図や絵などの静止画を常時提示したりすることである。黒板しか使えないときは、黒板の役割をそれほど意識しないが、別の道具が加わることで、双方の利点を生かすようになる。これは、ICTを活用することで、授業者側の授業設計の方略が変化することを意味する。
 具体的な授業の場面で考えてみよう。国語科デジタル教科書を使えば、教科書の中の一部を拡大して投影することが可能となる。拡大して投影するということは、拡大しない部分を隠すことにもなる。これは、教科書見開きに書かれている情報を、限定して提示している状態である。つまり、紙媒体ではできなかった「情報の制御」が可能になる。
 この機能を使えば、発問も変化する。たとえば、「物語を作ろう」(5年)で掲載されている複数の写真の中に一枚だけを選んで、学級全員で物語をつくることもできる。また、「鳥獣戯画を読む」(6年)では、挿絵の絵だけを拡大投影して、「何をしている絵なのか」を話し合うこともできる。デジタル教科書で提示したものを根拠として、学習者の意見を黒板を使って整理するといった授業の流れになるはずだ。(つづく)

2012年9月24日 (月)

授業におけるICTの活用とは? その6

 【情報を別の視点で捉え直す】

 同じ情報であっても、別の「視点」で捉え直してみると、様々なことに気づくことはよくあることだ。たとえば、北斎の浮世絵を「構図」という視点で見直すと、近景と遠景の組み合わせで描かれていることに気づくようなことである。
 音楽鑑賞指導も同様に、「視点」(視点というのもおかしいが・・・)が必要なのだろう。たとえば、「楽器」という「視点」に着目させる。「今聴いた曲の中にタンバリンの音があったのが分かりましたか?」と問うてみると、学習者に視点が加わることになる。

 絵画と異なるのは、音楽は消えてしまうということだ。そこで、再度聴き直す必要が出てくる。この「聴き直す」ということが実は極めて重要な学習活動になっている。学習者から「あっ、本当だ!」「タンバリンの音が聴こえた!」という感想が出てくれば、授業の前と後に変容が生まれたことになる。

 美術鑑賞指導の見直す活動も、音楽鑑賞指導の聴き直す活動も、情報を別の視点で捉え直していることに他ならない。そこに学習者の気づきが生まれるはずである。
 そう考えると、授業者は、気づきを促すための「視点」と「発問」を持っていなくてはならない。

2012年9月19日 (水)

授業におけるICTの活用とは? その5

 「音楽鑑賞」と「音楽鑑賞の指導」の違いを「学力の獲得」と捉えているのが山﨑正彦氏である。以下に引用させいただく。

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 学校での音楽鑑賞を自らの好みと切り離してとらえなくてはならないことも児童生徒に対して明確に伝えなくてはなりません。
 つまり、好きであろうと嫌いであろうと、この音楽を聴く。それは、児童生徒がその音楽を聴くことによってその音楽から何かを学ぶということであり、例えば、それまで聴き取れなかったことを、ある音楽から聴き取れるようになる。ある音楽から何かを感じ取れるようになる。知らなかったことを、ある音楽を聴くことを通して、あるいは先生の説明によって知る。これらのことを45分なり30分の授業の時間枠のなかで実現し、音楽室に入ってきたときと、そこから帰って行くときとでは「このことが新たに聴き取れるようになった」「聴き取り方のヒントをもらい、あることが聴き取れるようになった」「音楽の雰囲気が感じ取れた」というような明確な違い(児童生徒の学力の獲得)がもたらされるようにするのが学校での音楽鑑賞、すなわち音楽鑑賞指導です。
          山﨑正彦著「見つけよう 音楽の聴き方 聞かせ方」(スタイルノート)

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2012年9月15日 (土)

授業におけるICTの活用とは? その4

 言語は、一つ一つの意味をもつ言葉を自由に組み合わせることで、抽象的な概念を操作できるという長所をもつ。しかし、情報の発信者と受信者に共通のコードがなければコミュニケーションが成立しないという短所もある。
 一方、「音」や「音楽」は、受信者の情感に直接うったえることができ、共通のコードがなくてもコミュニケーションが成立するという長所がある。「音楽は世界の共通語だ」などと言われるのはそのためである。しかし、目に見えず次々に流れていくので、楽曲の検討をすることが難しいという短所もある。たとえば、「ここでリズムが変わった」「旋律がかけあっている」といった「音楽の要素」に気づかせるためには、聴覚情報だけで学習者に理解させるのは困難である。
 そこで視覚情報としての「楽譜」が使われることになる。楽譜があれば「今流れている音楽」と譜面との位置を対応させることができるので、検討も可能になるからである。
 しかし、音符は「言語」に近いために、共通のコードが必要になる。これが、学校での音楽鑑賞の指導を難しくしている要因でもある。楽譜がよく読めない学習者にとって、楽譜は理解できない情報なのである。
 もっとも、「音楽の要素なんて気づかせずに、子どもたちが音楽に浸って、自分なりに味わえばよいのではないか。」という意見もあるだろう。生活の中での「音楽鑑賞」であればそれでもかまわない。だが、学校での「音楽鑑賞指導」となると話は異なる。

2012年9月14日 (金)

授業におけるICTの活用とは? その3

 言語情報と非言語情報の区別は案外と難しい。

 言語によってメッセージを伝えるためには、発信者と受信者に共通の「きまり」が存在する。この「きまり」のことをコード(code)とよぶ。したがって、コミュニケーションには、情報の発信者と受信者の間に共通のコードが存在していなければならない。
 日常生活では、われわれはコードを意識することなくコミュニケーションを行っている。しかし、共通のコードがなければコミュニケーションは円滑に行われない。たとえば、漢字を知らない運転手に「駐車禁止」の文字を見せてもメッセージは伝わらない。
 言語が記号とよばれるのは、そのためである。

 その意味では地図記号や音符も言語に近い。情報の発信者と受信者の間に共通のコードが存在するからである。だから、音符の意味を知らない人に、楽譜を提示しても、内容はさっぱり理解できない。まったく知らない外国語を見せられているのと同じ状態となる。交通標識なども同様であろう。

 ピクトグラムのような「単純化された図」もまた言語に近いが、より直感的になって理解しやすくなっている。およそ世間で使われている「図」と呼ばれるものは、「絵画」よりも記号的な意味合いが強いと言えるだろう。
 そう考えると、コードに依存している順に視覚情報をならべてみると以下のようになるだろう。

 言語 > 図 > 絵画 > 実写

(つづく)

2012年9月13日 (木)

授業におけるICTの活用とは? その2

 考えてみると、自分自身は「教科」という枠を気にしていない。
 国語も社会も理科も、すべて「情報」という視点で授業を見ているような気がする。
 たとえば、次のように情報を分類してみる。

 言語情報と非言語情報
 視覚情報と聴覚情報

 これをマトリックスに書き出してみると次のようになる。

       |   言語情報    |    非言語情報
-----------------------------------------------------
視覚情報 |   文字       |   映像、絵画、図表
-----------------------------------------------------
聴覚情報 |   話し言葉     |    音、音楽
-----------------------------------------------------

 教師は、これらを学習者に提示しながら、授業を行っているはずである。
 だから、教師による説明は「言語による聴覚情報」であり、地図の提示などは「非言語による視覚情報」ということになる。(つづく)

2012年9月12日 (水)

授業におけるICTの活用とは? その1

 「ICTを活用した授業」と一口に言われるが、その方法は様々だ。
 教師が実物投影機で拡大するだけのものもあれば、子どもたちが携帯情報端末を自由に扱いながら自ら調べ学習を行っているようなものもある。

 ここで一つ気になるのが、「ICTの活用」が目的になってしまう危険性である。そもそも、ICTは授業のねらいを達成させるために活用するべきものだ。したがって、その善し悪しは、授業のねらいを達成されるために効果的であったかどうかという観点で判断されなくてはならない。

 学校では、「ICTの活用」はコンピュータの得意な先生が上手なはずだ、と思われているが必ずしもそうではない。最低限のスキルはもちろん必要だが、重要なことは、授業設計の際に「情報」という視点が位置づけられているかどうかである。

 ここで、7月に引用したドラッカーの言葉を再度引用したい。

「IT革命とは、実際には知識革命である。」

「われわれの眼前に膨大な仕事が横たわっている。第一に、情報に通暁しなければならない。そのためには、一人ひとりが情報リテラシー(情報能力)を習得する必要がある。情報という道具の使い手にならなければならない。情報を仕事の道具として見なければならない。」

「時代の変化とともに、われわれ自身が変化しなければならない。読み書きと掛け算に毛の生えた程度の最低限のコンピュータ・リテラシーから、情報を使ってものごとをなしとげるという情報リテラシーの域に達しなければならない。」

(つづく)

(ドラッカー書「ネクスト・ソサエティ」(ダイヤモンド社))

2011年12月11日 (日)

ICTは学力向上に役立っているのか? その4

 熊本市教育センターの「先輩から学ぶ教育技術」が更新されている。
「板書の文字入門」である。黒板にチョークで美しい文字を書くという教育技術が23のコンテンツとともに紹介されている。

「黒板とチョーク」というと電子黒板の対局にあるような「古くさい教育技術」のように思われるかもしれないが、今だからこそ「黒板とチョーク」なのだと思う。

 ここ最近、ICTを活用した授業の中で、すばらしいと感じたものがある。まず教師は電子黒板にデジタル教科書の本文や挿絵を提示しながら子どもたちに根拠を探させる。そして、子どもたちは、その根拠を示しながら言葉によって主張していく。さらに、子どもたちの意見は、教師によって「黒板」に「チョーク」を用いて記録され、学習の足跡となって残っていった。まさに、電子黒板と黒板の絶妙な組み合わせがすばらしく、電子黒板が生きて働いていた。

 このようにICTを有効に活用するためには、様々な教師が開発し受け継がれてきた「優れた教育技術」と組み合わせる必要がある。ICTの良さを生かすためには、ICTではできないことも知らないとならないからである。それは、板書だけではなく、発問やワークシートなども含むはずだ。

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