2011年9月 9日 (金)

熊本市教育センターのホームページが新しくなりました!

 熊本市教育センターのホームページが新しくなりました。
 以前はこんな感じでした。
Kumamotoshikouikucenter_old

 現在は、次のように一新しました。

Kumamotoshikyouikucenter_new

 日本一明るくて役立つ教育センターのホームページをめざしています。
 目玉は、「教育センターオリジナルデジタル教材」の中の「小学校・算数」スーパー教材シリーズです。スーパーホワイトボードやスーパー時計など、教師の自由な発想で使用できます。また、使い方の解説は動画で行っていますので、分かりやすいでしょう。
 また、動画番組の「先生ちゃんねる」に「先輩から学ぶ教育技術シリーズ」というものがあります。これは、先輩教師からすぐれた教育技術を動画で紹介するという企画です。現在のところ、絵画指導とリコーダー指導がアップされています。
 ぜひ、一度ごらんになってください。 以下をクリックすると、サイトにとびます。

熊本市教育センター

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2010年3月31日 (水)

お別れのごあいさつ

 平成22年3月31日をもって、このブログ「授業研究空間」を閉じます。

 記録されたデータも近日中に全て消去します。

 ご愛読大変ありがとうございました。

 いつか、また、どこかで、お会いできる日を楽しみにしております。

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退任式

 今年度で勤務している学校を退任することになった。退任の挨拶が終わって、教室にもどる。子どもたちが笑顔で迎えてくれた。
 私も子どもたちもすでに卒業式の後で「お別れ」を行い号泣していたので、気持ちの整理がついていたのだろう。今回はお互いに心は晴れていた。

 むしろ、教室に集まって下さったたくさんの保護者の方々が、私のために感謝状を用意して下さったり、学級の歌を歌うためのCDラジカセを持ってきて下さったりしたことに感激した。大きな花束と記念品をもらったときに、胸が熱くなってしまった。

 こんなとき、本当に教師という職業はいいなと感じる。

Kokuban1

 退任式では、保護者の方々、そして同僚の先生方とのお別れという意識が強かった。よい環境ですごせた5年間だった。ありがたいと思う。

 子どもたちがいなくなった教室。一人で雑巾を使って床を拭き上げていった。お世話になった教室。後ろから見ると、黒板が、なぜかくっきりと見えた。
 来年度から、私は子どもたちを相手に授業をすることはない。
 そう考えると、なぜか黒板が何かを語っているようにも思えた。

Kokuban2

 教師をやってきて25年。
 「第一幕」が、音も無く、すうっと降りていったような不思議な感覚だった。
 「第二幕」は、どんなステージになるのだろう。

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ごんぎつね15

【第15時・第16時】

 今回の授業は私の完全なオリジナル。
 絵本をばらばらにして、元の順番に並べるというものである。
 元にした絵本は黒井健氏のものである。なぜ、黒井健氏のものにした理由は三つある。
 1、黒井健氏の絵が、子どもたちに一番人気があった。
 2、教科書がかすや昌弘氏の絵なので、違った絵本画家がよい。
 3、絵本の作りが、絵が左、文章が右という具合にシンプルな作りになっている。

 まずは、絵本をばらばらにする。(中古の絵本なので、さほど高くはない。私は中古の「ごんぎつね」を2冊もっている。)その絵本の下に番号をうっておく。
Ehon1

 子どもたちには、スキャナで読み込んだ絵を一覧印刷したもの配布した。そして、まずは、はさみでばらばらに切ってしまうところから始める。

 そして、自分の力で絵をノートの上でならべるように指示した。子どもたちが自分なりの順番を考えたところで、15時は終了する。

 第16時は、それぞれの絵が、教科書のどのページの何行目なのかを言うように指示を出した。これは案外と難しい。「元の順番にならべなさい」という指示だけだと、子どもたちは考えなかっただろう。「この絵は、文章のどの部分か?」と問われると、子どもたちは絵と文章を見比べなくてはならない。

 まずは、ごんが兵十の前で倒れている絵がすぐに指摘された。しかし、文章の「どの部分?」を問われると、難しくなる。同じ6の場面であっても、発砲の前と後では異なる。
 そうやって話し合いながら、絵本を順番にならべる作業を行っていった。子どもたちは同じグループで、印刷された絵本を実際に並べかえながら、話し合っていった。
Ehon2


 詳しい意見は割愛するが、このような絵本と文章を比較して合わせていく方法は面白い。子どもたちは、絵本を見ると同時に、文章も読まなくてはならないからである。たとえば、葬列の絵は、「そうれつは、墓地に入ってきました」の前なのか後なのか、といったことや、兵十の後ろ姿はp71の「ぼんやり考えこんでいました」なのかどうか、といった文章の細かいところまで目が向かなくてはならない。
Ehon3

 最後までもめたのは、穴の中で丸くうずくまっている絵である。子どもたちの半分は、p62の8行目「ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に、あなをほって住んでいました。」だと言う。物語のはじめの場面であるというわけである。残りの半分の子どもたちはp70の1行目「そのばん、ごんは、あなの中で考えました」のところだという。兵十の母が死んだので考えている絵であるというわけである。

 最後に、本物の絵本を見ながら確認をしていった。子どもたちの自己評価の文章を紹介する。
○ 今日、たくさん発表できました。絵本の場所を考えるのは、文をたくさん読まないといけないので大変でした。人間はこうして頭がよくなるんだなあと思いました。
○ 最初はあまり分からなかったけど、後からだんだん分かってきました。だから、よかったです。こんなふうに、だんだんなれてくると楽しい勉強になることが分かりました。
○ 全部は合わなかったけど、ほとんど合ったのでよかったです。文章と絵はちゃんとつながっているんだなあと思いました。絵と文章がある意味が分かりました。もめごともあったけど、全部分かったのでよかったです。
○ 今日はむずかしかったです。だけど、文章を見ながらすると楽しくできました。今日、学んだことはきちんと読むということです。

 絵本を並べかえるという活動によって、子どもたちは文章の細部を読むようになり、より物語のイメージが鮮明になるのだと思う。そう考えると、指導計画の最初の時間に設定するべきだろう。

 さて、最後に、「ごんぎつね」を再度授業を行うとして、指導計画を練り直してみることにする。
第1時:初発の感想を書く。
第2時:再度読み直して、話し合うための疑問を考える。
第3時:疑問を出し合って、課題を設定する。
第4、5時:絵本をばらばらにしたものを、元の順番に並べかえる。
第6時:1の場面を読んで話し合う。
第7時:2の場面を読んで話し合う。
第8時:3の場面を読んで話し合う。
第9時:4の場面を読んで話し合う。
第10時:5、6の場面を読んで話し合う。
第11時:5、6の場面を読んで話し合う。
第12、13時:学習したことを元に評論文を書く。
第14時:評論文を読み合って、学習全体のまとめの文章を書く。

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2010年3月28日 (日)

ごんぎつね14

【第14時 評論文を書く】

 第13時の最後に、評論文の書き方を指導した。それほど難しいことではない。以下のことだけである。

 1、はじめに「なぜ、このような文を書くことになったのか」を書く。
   例「最初にこの話を読んだときは、単に『かわいそうな話だ』としか感じなかった。しかし、疑問に思うことがいくつかあるので、みんなで話し合って深く考えることにした。」

 2、中は、「疑問+答え」を段落を変えながら書く。
   例「ごんは、なぜ夜でも昼でも村へ出ていたずらばかりするんだろう。おそらく、さびしくてかまってほしかったからだろう。なぜならば、ごんはいたずらしたものを食べてはいないからである。」

 3、おわりは「まとめの感想」を書く。
   例「みんなで疑問について考えながら話し合っていくと、このようなことを感じるようになっていた。それは・・・。」

 中の部分は、ノートを見れば書けることになる。そのために私は、まとめを板書していたのである。だから、必ず全員が書ける。
 もっとも、ノートのまるうつしではない子もいる。自分なりの疑問を出して、それについての問いを出している子どもである。

 今回は、評論文指導には重点を置いていない。子どもたちに、そのような「型」をもった文章に慣れさせることをねらいとした。だから時間も1時間強だけで、時間内に終わらなかった子どもたちには宿題とした。

 ある子は、まとめの文として次のように書いていた。

**************************

 (前略)
 そうすると、茂平という人は、兵十がだれかに伝えた話を聞いた事になる。そうでないと、この話は知られないままだからだ。
 私は、兵十はそう式の時に、ごんの話を村人に話し、それから語りつがれたというものではないかと考えた。ごんが死んでから、やっと、兵十はごんの気持ちを理解でき、村にはかを作ろうと思ったのだろう。
 一番最初は、両方(ごんも兵十も)、(おたがいのことを)きらいと思っていたのだが、兵十の母親が死んでから、ごんは「優しい」気持ちに変化し、死んでから、兵十もごんの優しさに気づいて、最後にはおたがいの心と気持ちが通じ合ったのだろう。
 死んでからすべてが分かるということは、悲しいことなのかもしれない。だが、ごんは兵十に自分の事が分かってもらい、いい仲間になれた、という気持ちなのだろう。きっと、天国で喜んでいるにちがいない。

 「ごんぎつね」という話は、一見、変に見えるが、登場人物や色、行動やすがたなど細かいところに深い意味がかくされていたのだ。私達はそれをさがしぬいてみて、感想が、「人には優しい心を持つと、いつか必ずよい事があるのだな。」とか「悲しいというより、とても心温まる動物と人間の物語だな。」など、がらりと変わったではないか。
 私は、「ごんは、自分にも悲しい事があるのに、それでも、人、物への気持ちを大切にしていたのですごい。」という感想を持った。

 この学習を通して、全員が思ったと感じたのは「人の優しさは、いつまでも心に残る」という事だ。「ごんぎつね」という話が教科書にのるまで有名になったのも、ごんの優しさに気づいてほしかったからではないかと考えた。四年生の最後のまとめの話ということでは、すごく大切だったし、達成感もあった。
(後略)

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2010年3月27日 (土)

ごんぎつね13

【第13時 その後の兵十の行動を考える〜評論文を書く】

 研究授業向きではないのだが、子どもたちが授業の最後にそれぞれが「問い」の答えを書いて提出するという方法を、私はけっこう気に入っている。
 なぜならば、教師はそれぞれの意見をすべて把握してから授業を組み立てることができるからだ。

 前回の問いは「この後、兵十はどうしたのか。」である。

 子どもたちの答えを読んでみると、多かったのが「ごんのおはかをたてて、おまいりをする。」というものであった。その中でも次のような二つの意見を見つけた。

A:兵十は、ごんがすんでいた山にうめたと思います。
B:兵十は、ごんを家の近くのおはかに入れたと思います。

 Aは、おはかの場所が「山の中」なのに対して、Bは「村の中」である。この二つを取り上げることにした。山の中か村の中かを考えさせると、ごんの村に対する思いを想像することができるし、兵十の心情も考えさせることができるからである。

 授業開始と同時に、子どもたちの「この後、兵十はどうしたのか。」に対する答えの意見を言わせた。その後、私は次のように述べた。

 「今、意見を聞いたように、『ごんのおはかを作って、おまいりをした』という意見がとても多かったのです。でも、○○くんは『山の中にうめた』というし、□□さんは、『村の中にうめた』と言っています。では、どちらなのでしょう。」

 話し合わせる前に挙手をさせた。
 山の中:14名  村の中:20名。

 全体での話し合いの前にグループ内で話し合わせる。これは、けっこう盛り上がっていた。二つに一つだからであろう。

 全体での話し合いでは、次のような意見が出された。

A:山の中にうめたと思います。なぜならば、ごんのお母さんの住んでいるふるさとの山にいっしょにうめたかったからです。

B:村の中にうめたと思います。1の場面で、ごんは村の中でいたずらをしようとしています。これは食べ物がほしかったらからではなく、さびしくてかまってほしかったからです。だから、村の中に入りたいとごんは思っていたはずです。

B:村の中にうめたと思います。1の場面に「これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。」と書いてあります。村の中におはかがあったから、兵十はだれかに話をしたのだと思います。それが茂平にも伝わっていったのだと思います。

 様々な意見が出たが、最終的には圧倒的多数で「村の中」ということでまとまっていった。そこで、次のように板書した。
 「ごんは、自分の村にごんのはかを作ったのだろう。なぜならば、ごんは村に入りたかったからだ。それは、ごんが一人ぼってでさびしかったからである。また、村にはかを作った兵十は、ごんの話をだれかに伝えたにちがいない。それが村人に伝わっていったのだろう。だから、茂平はこの話を知っていたのである。」

 「村の中」か「山の中」かという問いは面白かった。これは次の本に触発されていなかったら、思いつかなかったはずだ。浜上薫先生に心より感謝したい。

 

浜上薫著「『分析批評』で思考力を育てる」(明治図書)

 この後の時間は、評論文を書かせた。そして、最後の2時間を使って、絵本を使った授業を行うことになる。(つづく)

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2010年3月26日 (金)

ごんぎつね12

【第12時 5、6の場面を読んで話し合う。】

 「青いけむりがまだつつ口から細く出ていました」の一文が加えられている意味は何なのか。」

 もともとは、なぜこの一文があるのか、という疑問だったのだが、「意味」を考えさせることにした。よく授業でも取り上げられる問いである。

 子どもたちから出た意見は以下のようなことである。
 ○消えかけるごんの命をあらわしている。
 ○悲しみをあらわしている。
 ○兵十の今の気持ちをあらわしている。

 特に子どもたちは「青い」と「細い」にこだわって発言を行っていた。様々な意見をほめながら、ここは一つにまとめないことにした。

 さらに、もう一つの問いがある。
 「ごんは、よかったと思っているのか。また、それはなぜか。」
 意見が分かれて、意見がとびかうことになった。

 「よかったとは思っていない」という意見の理由は以下である。
 ○兵十となかよくなりたいというごんの願いはかなえられなかった。
 ○兵十を悲しい気持ちにさせてしまった。

 「よかったと思っている」という意見の理由は以下である。
 ○自分がつぐないをしている事を兵十が理解してくれたから。

 これは双方が意見を言い合ったが、どちらも頷ける意見である。そこで、板書では以下のようにまとめることにした。

 「自分がつぐないをしている事をわかってくれたという意味ではよかった。しかし、兵十と仲良くなりたかったという願いは、かなえられなかったし、兵十を悲しい立場に立たせてしまったという意味では、よいとは言えない。」

 まだ話し合える余地は十分にあるのだが時間がない。最後に次の問いの答えを自己評価カードに記入するよう指示して授業を終えた。

 「この後、兵十はどうしたのか。」

 この問いが、次の授業では大きな討論となっていった。(つづく)

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2010年3月25日 (木)

ごんぎつね11

【第11時: 5、6の場面を読んで話し合う。】

 今回は、話者の視点の移動を問う発問である。

 ○なぜ、「こないだうなぎをー」の文にはカギカッコがついていないのか。

 この問いは、かなり難易度が高い。
 ある子が、「話者が兵十の立場で書いている」ということを言い始めた。そこで、子どもたちに「話者」の話を再度行った。

 「お話を語る人のことは『話者』といいましたね。この話の最初の段落を見てごらんなさい。話者はだれの気持ちが分かっていますか。」

 子どもたちは次々と挙手をして、「こんの気持ちを分かっている。なぜならば、・・・。」という具合に答えていった。ごんの気持ちが書かれているところが極めて多いからである。たとえば、「ごんは、ほっとしてあなからはい出ました。」「『兵十だな。』と、ごんは思いました。」といった部分である。

 話者は、最初からずっと、ごんの気持ちを語っている。ところが、5の場面までは「『へえ、こいつはつまらないなあ』と思いました」という具合に、話者はごんの気持ちを語ってているのに、6の場面からは、ごんの気持ちは一切出てこない。話者は兵十側から見ているのである。
 そこで、次の図を書いて以下の文を板書する。
Shiten

 「話者は、1〜5の場面までは、ごんの気持ちで、この物語を語っている。しかし、6の場面では、兵十の気持ちで、この話を語っている。」

 時間があれば、作者はなぜそのような「視点の移動」を行ったのか、話し合うのも面白いかもしれない。今回は、時間がなくなってしまった。(つづく)

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2010年3月24日 (水)

最後の学級通信

 今日は、子どもたちとのお別れの日。
 教室で涙がとまらなくなってしまった。

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【4年1組のみんなへ】

 いよいよ4年生もおわりです。春休みは、安全に気をつけて楽しくすごして下さい。

 さて、この2年間をふりかえってみれば、色々なことがありました。友達とけんかして泣いたこともありました。先生からしかられたことは何度も何度も何度も・・・・ありましたね。
 特に「ざわざわ」が多くて、「うるさい!」としかられたことが多かったですね。

 日記はよく書いてくれました。☆をめざしてよくがんばってくれました。先生は日記を読むのがとても楽しみでした。みんなは、友達の日記をよく聞いてくれましたね。だから、友達の良い行動や考え方が少しずつ広がっていったんです。気づいたら、4年1組は学校の中でもそうじをとてもがんばるクラスになっていました。これは、すごいことです。これからも、文を書くことをめんどうくさがらずにちょうせんして下さいね。文を書くことで考える力は高まっていくのです。

 毎週水曜日の「みんなで遊ぶ日」は楽しかったです。先生もとても楽しみでした。みんなも協力して一生けんめいにやってくれて、学級がまとまっていったような気がします。みんなのよいところは、男女のなかがよいところです。相手を思いやるやさしい心があるからだと思います。

 帰りの会の「三国志」。歴史の話なので、4年生では難しいかなと思っていたのですが、みんなは、とても楽しみにして聞いてくれましたね。
 たくさんの人物が登場しました。覚えていますか。
 人を大切にした劉備。おっちょこちょいの張飛。義理がたい関羽。人を裏切りつづけた呂布。勇気がある趙雲。ずるがしこい曹操。天才軍司諸葛亮。ライバル司馬懿。
 一人一人の人物が、それぞれに夢をもち、活躍をしていった物語でした。その話の中から学ぶことは多くあったはずです。みんなが大人になったとき、三国志はまた別の意味をもつようになると思います。どこかで「三国志」の言葉を見かけたら、きっと小学校時代を思い出すことになるでしょう。

 先生は、みんなが協力して学習しているすがたが大好きでした。特に何か良いものを作り上げるためには、みんなのアイデアが必要です。マイタウンマップコンクールやキューブコンテストのような全国きぼの表彰をうけたことも、みんながアイデアを出し合ってがんばったからです。先生もはじめは信じられませんでした。それだけ、みんなはすごいことをやっていたのです。みんなが力を合わせればすばらしいことができるということなのです。

 でもね、4年1組は、今日がおわかれです。
 もう、同じ教室に集まって授業をすることはありません。
 「日記」も「みんなで遊ぶ日」も「三国志」も、もうないのです。
 これからはみんなの心の中に残っていくことになるでしょう。
 でも、それでいいのです。別れることはつらいけど、人は別れをのりこえて成長していくのです。4月からは、いよいよ5年生。力を合わせてどんどん仕事ができる、すばらしい高学年になってくれると信じています。
 そして、みんなが、りっぱな大人になってくれることを楽しみにしていますよ。
 先生は、きみたちが大好きです。
 4年1組のみんなと出会えて、本当によかったです。
 2年間、本当にありがとう。
 そして、さようなら。

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2010年3月21日 (日)

ごんぎつね10

 D-project春の公開研究会のために東京に来ている。何人もの人に「ごんぎつね」の授業記録についての感想を聞いた。私自身、年度末評価のために時間がなくて授業記録が途中で切れていることを反省。そこで第9時以降のことを、簡単に書いておこう。

【第9時:3の場面を読んで話し合う】
 ここは、さらっと流すことにした。話し合う内容に軽重をつける。
 話し合う問いはこうだ。

 ○ごんは、なぜ兵十のおっかあのことを想像できたのか。

 話し合った末、次のようにまとめる。

 「ごんは兵十の様子をよく見ていたからだろう。(1の場面の記述から)また、自分にも同じ経験があったからかもしれない。」

 最後に次の問いを投げかけて授業を終える。

 ○なぜ、ごんは毎日くりをもっていったのか。
 ○なぜ、くりだけではなく、松たけももっていったのか。

【第10時:4の場面を読んで話し合う】
 前時で残した二つのカードを一つにまとめた。

 ○なぜ、ごんは毎日、くりや松たけをもっていったのか。
 ここでも様々な意見が出された。
 
 「自分と同じ『一人ぼっち』になった兵十の気持ちが分かったからだろう。」という意見が大多数。中には、「兵十をもっとかなしい気持ちにさせたくなかった。」という意見もあった。議論の末、次のように板書をまとめる。

 「ごんは、自分と同じ立場になった兵十の気持ちがよく分かっていたのだろう。もっと悲しい気持ちにさせたくなかったからかもしれない。兵十の悲しい顔を見ると、自分もまた悲しくなったのではないだろうか。」


 様々な意見を一つにまとめて教師が書いていくことには賛否両論があるとは思う。しかし、ここが曖昧だと学習内容が残っていかない。最後、こうして記録したノートを参考にしながら子どもたちは文章を書いていくことになる。

(つづく)
 

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