2009年6月 7日 (日)

「鍛え・育てる」〜教師よ!「哲学」を持て〜

 深澤久著「鍛え・育てる〜教師よ!『哲学』を持て〜」(日本標準)を読んだ。
 教育書らしい教育書だと思う。

 深澤氏が一貫して主張しているのは現場の実践である。
 小中学校においては,教科指導・学級経営・生徒指導を全て含めた「教師の総合的な教育力」が要求される。これは,学級の空気となって表出することになる。このようなことは,現場の教師は感覚的に分かるのだが,「教育書」として,あるいは「教師の哲学の書」となることは今まであまりなかった。
 だから,現場教師はついつい「教科の授業を上手にこなすハウトゥ」ものにばかり目が向くことになる。ハウトゥが悪いわけではない。しかし,教師自らの哲学によって方法論は導き出されなければならない。ハウトゥから入ると必ず形骸化してしまうからだ。

 深澤氏の次の言葉が印象に残る。
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 目指すべき像を明確にし・自分の頭で考え・実践し・総括する
 -この連続的蓄積を通して自らの【哲学】を形成せよ
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 深く賛同するとともに,教育者としての自分の未熟さを痛感した。
 Kitae_sodateru

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2008年8月 2日 (土)

フレッシャーズ教師の教室づくり―基本のキが7位

 拙著「漫画で行動をイメージできる! フレッシャーズ教師の教室づくり―基本のキ」
 明治図書のサイトを見ていたら、ランキングで7位になっていました。
 漫画の本ですし、しかも若い先生向けの本なので、ちょっと心配しておりましたが、とりあえず大変うれしく思っております。
 本当に「基本のキ」的な内容です。
 読んでくださった皆様にあらためて感謝申し上げます。

 この本の続編は、「一斉授業の基本のキ」的な内容も考えていますが、「プロジェクト型学習や協同学習などの基本のキ」的な内容も入れる予定です。こちらも、がんばります。


 
 Fleshers

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2008年7月19日 (土)

フレッシャーズ教師の教室づくり―基本のキ

 ひさしぶりの単著が発刊されました。
 まえがきには以下のように書きました。
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 小学校教師をやっていて常々思うことは、学級経営の難しさです。
 力いっぱい熱意と愛情をこめてがんばったつもりでも、子どもたちが心を開かないときもありました。
 また、学級が一つにまとまり、年度末の別れの日では私も子どもたちも涙が止まらないときもありました。
 保護者から厳しく批判されたこともあれば、とても感謝されたこともあります。
 多かれ少なかれ、教師であれば誰でもこのような経験があるものでしょう。

 大学の教員養成課程では、学級経営について詳しく知ることはありません。
 なぜならば、学級経営は、現場の教師でしか分からない「実体験」が必要とされるからです。
 たとえば、いじめの問題一つとってみても、「いじめる子といじめられる子」という単純な構造ではありません。
 今までいじめていた子がある日突然いじめられる側になることはめずらしいことではないのです。
 また、保護者への対応も以前よりもはるかに難しくなりました。
 学級経営がうまくいかないと、教師にとっても子どもにとっても不幸な状態が続きます。
 逆に、学級経営がうまくいくことは、教師にとっても子どもにとっても幸せなことです。
 授業も遊びも学校行事もすべてがスムーズに展開するようになり、学校そのものが楽しい場所になります。
 学級経営は、教育活動の基盤となるものなのです。
 だからこそ、現場教師の実体験に基づく知見が必要なのだと言えましょう。

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 学級経営に関する本です。
 基本的な部分を漫画でまとめました。
 若い先生方向けの本です。
 よろしかったら,WEBサイトを見てみて下さい。

1555

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2006年7月17日 (月)

教師が磨き合う「学校研究」

 木原俊行著「教師が磨き合う『学校研究』」(ぎょうせい)という本がある。「学校の研究」について、木原俊行先生が真摯に調査研究を行った内容が一冊にまとめられている本である。現場の教師であれば、「うん、うん、そのとおり。」「なるほど、そうなのか。」と思ってしまう場所が随所にある。木原先生が丹念に学校の現場に足を運び、現場の教師と対話しながら、取材を行ったことがよく分かる。
 学校の研究を推進する立場にいて悩むのが、「この研究のやり方でいいのか?」ということだ。授業には、その方法論が研究されているが、学校研究には、その方法論がさかんに研究されているとは言い難い。だから、すぐれた学校研究を行っている学校を見ると、その方法論を学びたくなってくるものだ。そのような学校の研究発表会では、研究内容よりも、むしろ研究方法に興味をもってしまうことも多い。
 現場の教師には、結局、口コミでしか情報を収集できないのであるが、研究者であれば複数の学校に入って比較調査をすることができるはずだ。しかし、それを実際に行って、現場教師のために役立つように発信してくれる研究者はどれくらいいるのだろうか。木原先生は、それを実践している。だから、内容が具体的であり、現実的に起こっている課題をあぶり出している。
 私が、「なるほど」と感じたところは以下だ。
○「校内研究」や「校内研修」の問題点 p14〜
○学校研究の現状 p30〜
○学校研究の成立と充実の要件p56〜
○学校研究推進の要たる研究主任p84〜
○研究発表会プログラムの編成と運用p134〜
○次年度に向けた学校研究の総括的評価p173〜
 特に、「学校研究の総括的評価」は、年度末の多忙さを理由に曖昧になりがちな「研究の評価」を行う上で、非常に役立つと思う。学校の研究主任にとっては必読書だ。また、学校研究をリードしていく管理職や若い教師にとっても、様々な示唆を与えてくれるはずである。

 大学の先生の中には、「現場教師に教えてやろう」というタイプの人も少なくないが、木原先生は「現場教師から学ぼう」という姿勢を貫いている。
 あとがきの以下の文が、強烈に印象に残った。
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 一般に教育学研究者は、学校の実践研究だけでなく、あらゆる教育活動を対象とする研究において、理論と実践を連接させることの重要性を理解してはいる。だから、それに果敢に挑戦する。しかし、その試みは、多くの場合、失敗に終わる。教師たちに抽象的な理論や一方的な主張を押しつけて、彼らを戸惑わせている研究者は少なくなかろう。逆に、学術的視座を失い、外部の人間としてなんのために学校研究に参画しているのかが明らかではない、それゆえ教師達にとっては必ずしも必要でない存在となっている研究者も一部には確認されよう。それほど、研究者が理論と実践のバランスを保って学校、教師たちに接することは難しいのである。
    (木原俊行著「教師が磨き合う『学校研究』p316(ぎょうせい))
 

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2005年9月 2日 (金)

「教え力」

最近は、どこの研究会でも「学び」という言葉が研究テーマの主役の位置を占めているように思う。それはそれで悪いことではないのだが、「教えること」は、どこにいってしまったのだろう。 「教える」ことは、悪いことなのだろうか。
 「良い教え方」「悪い教え方」というものは存在するではないか。学校の研究では、どうして「良い教え方」を研究テーマにしないのだろう。
 齋藤孝氏は「『教える』の目標は『相手を上達させること』だと主張している。また、「相手を上達させるには『練習させる』ことが重要だ」とも述べている。(齋藤孝著「教え力」(宝島社))
 私は、図画工作では、水彩絵の具を使った色の塗り方を教える。しかも、何種類か教える。題材ごとに違った塗り方で指導することもある。子どもたちが上手に描けるようになれば、意欲も高まっていく。
 担任のときは、1日5分くらい三国志の話を講談調で語ることにしている。子どもは聞いているだけだ。教師による一方的な語りだが、多くの子どもたちは楽しみにしていた。歴史の面白さが分かり、知識が増えれば、興味はわいてくる。
 「関心・意欲・」は「技能」や「知識・理解」よりも優先される、というわけではない。練習によって「技能」を高めたり、教師の語りによって「知識・理解」を増やしたりすれば、「関心・意欲」も高まっていくことは多いではないか。
 「教え力」も重要な教師の力量の一つである。齋藤孝氏は「教える立場の人だったら、常に自分の教えることについて投資し、学び続けているべきなのです。」と言う。つまり「教え力」とは、教師の「学ぶ力」に比例するのである。

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2005年8月28日 (日)

「日本の教師再生戦略」その3

「日本の教師再生戦略」には大学と教育センターについても言及している。
私自身, 今でも覚えている大学の講義がある。それは「本物そっくりの郵便ポストをつくろう」という社会科の講義だった。本物そっくりにつくるためには,郵便ポストの形状や横に書かれている時刻表なども観察しなければならない。ポストをつくりながら「これが小学校の社会科の授業だよな」と実感したのを今でも鮮明に覚えている。(後で,考えてみれば,有田和正先生の追試であった。)
 大学では,「授業とは,そもそも何なのか」ということを模擬授業を通して考えたり,「学習者は,こんな学習のときにどんなことを感じるのか」といったことを実感したりする経験が大切なのだと思う。つまり「授業に対する見方・考え方」を学ぶべきなのだろう。
 一方,教育センターは,もっと現場に近い実践的研究があってもいい。大学の教師と対等に研究できる取り組みをするべきだと思う。
 いずれにしても,この本は,教員養成や研修に携わる人にはおすすめの本だ。

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2005年8月27日 (土)

「日本の教師再生戦略」その2

千々布敏弥著「日本の教師再生戦略」(教育出版)の中には,「授業研究の新しい方法論」が紹介されていて参考になる。(最近は,授業研究会が成立しないという。教師は授業を公開したがらないし,研究会でも,ほめ言葉しか出ない場合が多いらしい。)
 前任校では,私は「研究授業ルーブリック」を提案して実施した。研究授業を項目ごとに評価基準をもうけて参観者が評価をしていくというものだ。理論についても評価するが,発問・指示や板書・資料提示といった授業方法についても参観者は4段階で評価をしなくてはならない。この方法の一番のメリットは,評価一覧表が出るので,参観者もまた評価されるということだ。
 「日本の教師再生戦略」には,研究発表に前向きな教師は,自分の発表内容に自信を持っているというよりも,発表することで何かを得ることができるという期待で外に向かっている,と書かれている。これもまた同感だ。こうやって私がブログに授業日記を書いているのは自信があるから書いているのではない。書くことによって学ぶことが多いから書くのである。もっと言えば,このブログに書くために何かを読んだり考えたりしている,と断言してもいい。書くことは考えることなのである。

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2005年8月26日 (金)

「日本の教師再生戦略」その1

千々布敏弥著「日本の教師再生戦略」(教育出版)は,なかなか面白い本だ。読んでいて,「なるほどな」と思う。日本の教育改革を「三すくみ」と表現している。文部科学省と学校現場,マスコミの三者が互いを批判しながら,本質的には何も変わっていないと,現状を分析する。そして,その解決策は「日本の授業研究の活性化」にあるという。また,最近の教師は多忙を原因に勉強意欲が欠けているとも述べている。少数派になりつつある勉強熱心な教師達の勢いを増すことが必要だとも主張している。
 今年の夏も,様々な場所で研修が行われた。その中で「授業研究」ということに真正面から取り組んだ実践的研修がどれだけあっただろうか。毎年同様の研修をやっていてもだめだと思う。時代に応じて現場のニーズも変化する。ニーズに応じた新しい研修を考えなければ,どんな研修も必ず形骸化する。

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2005年8月21日 (日)

「ドラゴン桜」から学ぶこと

 三田紀房著「ドラゴン桜」(講談社)は面白い。テレビの方は誇張しすぎてダメだが、漫画の方はいい。単なる受験テクニックではなく、「勉強」とは何か?ということを教えてくれる。特に、国語という教科の本質を語っている第5巻は秀逸だ。「国語の力とは“正しく読む”こと」だと言い切り、「“正しく読む”能力を身につけるには、常に、なぜという「疑問」を持つこと」だと主張する。
 最近の学校教育は、やたらと「学び」という言葉が重宝がられ、「勉強」という言葉は否定されがちだ。しかし、漢字の書き取りだって、計算の練習だって、「勉強」しなければ身につかない。考えるための基となる知識も、「勉強」によって得ることは多い。子どもたちがやる気をもって「勉強」できるように指導することも、大切な教師の役目ではないのか。

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