2009年10月 9日 (金)

総務省「テレビの見方を学ぼう」

 中村純子先生(川崎市立宮前平中学校所属・連合大学院博士課程)より以下のサイトを教えていただいた。

 総務省「テレビの見方を学ぼう」

 総務省が、メディアリテラシーのサイトを制作している。「放送記者坂井マヤ〜ストーリーをさがせ〜」はアニメーションだが、閲覧している側が自由に撮影をしたり並べ替えたりできるようになっている。これをどう授業化するかは教師次第だが、面白い取組だと思う。

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2009年8月 4日 (火)

NIE全国大会に参加して2

 新聞を活用した教育実践について思いついたことをメモしておこう。

1、「アップとルーズで伝える」
 これは国語の教科書教材。今まではスライドショーを制作していたが、今年度は写真をメインにした新聞を制作することにする。問題は、その形式だ。
2、新聞スクラップ
 これは毎日、輪番で行う。切り取って次の日にどんな記事を取ったのかを発表するだけだ。ポイントは、写真と見出しだけで選ばせることだ。難しいと継続できない。
3、お天気予報係
 これは理科の学習。新聞のお天気の部分だけを切り取って報告する。
4、記事に出て来た地名を地図帳で調べる
 これは社会科の学習。スクラップの中に地名が出て来たら地図帳で位置を確認するというものだ。
5、投稿コーナーに意見を送る
 これは国語。意見を作文にして送らせる。文章を書くための相手意識や目的意識が出てくるはずだ。

 2学期が楽しみになってきた。
 本棚を見ると、こんな本も買っていた。

 池上彰「池上彰の新聞勉強術」(ダイヤモンド社)

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2009年8月 2日 (日)

NIE全国大会に参加して1

 7月30日と31日にNIE全国大会に参加した。いつもとは全く異なるフィールドに多少とまどってしまったが、新聞をメディア教育の観点で見てみると色々と学ぶことが多かった。
 参観した授業は、子どもたちが写真のキャプションを考えるという場面であった。考えてみれば、最近の新聞にはカラー写真が入るのが当たり前になってきた。ということは、写真から伝えられる内容も重要であるということだ。
 小学生に、新聞記事の文章をいきなり読ませるのはかなり難しい。やってみて分かったことである。第一、子どもたちは難しい言葉を知らない。しかし、写真だったら意味を解することができるのではないか。そんなことを考えていたら、帰りに立ち寄った書店で次の本を見つけた。

 池上彰著「小学生から『新聞』を読む子は大きく伸びる!」(すばる舎)

 読みやすい本であり、納得することも多い。NIEについても触れてある。その本の中で池上さんは「写真は文章以上のものを語る」と述べている。
 写真を活用した授業が創造できそうた。(つづく)

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2009年1月26日 (月)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 8

 先に引用した「文部科学省『学習指導要領解説:総則編』の次の部分が特に重要だ。
********************************
 各教科等の指導に当たっては,教師がこれらの情報手段に加え,視聴覚教材や教育機器などの教材・教具の適切な活用を図ることも重要である。これらの教材・教具を有効,適切に活用するためには,教師はそれぞれの情報手段の操作に習熟するだけではなく,それぞれ情報手段の特性を理解し,指導の効果を高める方法について絶えず研究することが求められる。
********************************
 「情報手段の操作に習熟するだけではなく、それぞれの情報手段の特性を理解する」という部分は、正鵠を射ている。特性を理解できていないので、効果的な使い方ができないのである。
 こうした「ICTの指導効果を高める方法の研究」は、学校現場ではあまりやられていないのが現状ではないだろうか。

 多くのICT研修が「ワードの使い方」「パワーポイントの使い方」といった操作技能研修になっている。たしかに、操作技能を高める研修も必要なのではあるが、それだけでは「情報手段の特性理解」にはつながらない。
 実際に、「情報手段の特性を理解する」という目的をもったICT研修が求められている。そのためには、教師自らが学習者となって「情報手段の特性」を体験的に理解する場が必要になる。

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2009年1月24日 (土)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 7

 小中学校の教師が日常の仕事をする上では、ICTはそれほど重要な技術ではないのだと思う。電子メールを使わなくても学校内外の連絡はとれるし、指導書があれば授業はできる。学級通信は手書きでもよいし、成績処理も電卓でOKだ。インターネットがなくても、特に不便さは感じないだろう。

 しかし、21世紀の社会で活躍する子どもたちにはICTは必要不可欠な道具となるだろう。ICTスキルのみならず、獲得した情報をもとに批判的に思考する力や他者と協調してアイデアを発信しながら問題を解決していくための力は、高度情報化社会に求められる力であるからだ。そのような力を高めるための単元が増えてきていることも事実である。

 教師は、自分ができなこいことを子どもたちに教えることに大きな抵抗を感じる。自信がないからである。ICTに関する単元が増えたとしても、それを教師が充実させきれなければ意味はない。

 次に引用する文は重要である。何の文献からの引用か分かるだろうか。

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 児童に基礎的・基本的な知識・技能を習得させるとともに,それらを活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等を育成し,主体的に学習に取り組む態度を養うためには,児童がコンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段に慣れ親しみ適切に活用できるようにすることが重要である。また,教師がこれらの情報手段や視聴覚教材,教育機器などの教材・教具を適切に活用することが重要である。
 社会の情報化が進展していく中で,児童が情報を主体的に活用できるようにしたり,コンピュータで文字を入力するなどの基本的な操作,情報モラルを身に付けたりすることは一層重要となっている。このような情報活用能力を育成するため,今回の改訂において,「各教科等の指導に当たっては,児童がコンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段に慣れ親しみ,コンピュータで文字を入力するなどの基本的な操作や情報モラルを身に付け,適切に活用できるようにするための学習活動を充実する」ことを示している。各教科等においては,国語科における言語の学習,社会科における資料の収集・活用・整理,算数科における数量や図形の学習,理科の観察・実験,総合的な学習の時間における情報の収集・整理・発信などコンピュータや情報通信ネットワークなどを活用することとしているほか,道徳においては情報モラルを取り扱うこととしている。
 すなわち,コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段の活用に当たっては,小学校段階ではそれらに慣れ親しませることから始め,キーボードなどによる文字の入力,電子ファイルの保存・整理,インターネットの閲覧や電子メールの送受信などの基本的な操作を確実に身に付けさせるとともに,文章を編集したり図表を作成したりする学習活動,様々な方法で文字や画像などの情報を収集して調べたり比較したりする学習活動,情報手段を使って交流する学習活動,調べたものをまとめたり発表したりする学習活動など,情報手段を適切に活用できるようにするための学習活動を充実することが必要である。
 また,インターネット上での誹謗中傷やいじめ,インターネット上の犯罪や違法・有害情報の問題を踏まえ,情報モラルについて指導することが必要である。情報モラルとは,「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」であり,具体的には,他者への影響を考え,人権,知的財産権など自他の権利を尊重し情報社会での行動に責任をもつことや,危険回避など情報を正しく安全に利用できること,コンピュータなどの情報機器の使用による健康とのかかわりを理解することなどであり,情報発信による他人や社会への影響について考えさせる学習活動,ネットワーク上のルールやマナーを守ることの意味について考えさせる学習活動,情報には自他の権利があることを考えさせる学習活動,情報には誤ったものや危険なものがあることを考えさせる学習活動,健康を害するような行動について考えさせる学習活動などを通じて,情報モラルを確実に身に付けさせるようにすることが必要である。その際,情報の収集,判断,処理,発信など情報を活用する各場面での情報モラルについて学習させることが重要である。また,子どものインターネットの使い方の変化に伴い,学校や教師はその実態や影響に係る最新の情報の入手に努め,それに基づいた適切な指導に配慮することが重要である。なお,携帯電話の利用の問題に関しては,学校においては,家庭との連携を図りつつ,情報モラルを身に付けさせる指導を適切に行う必要がある。
 各教科等の指導に当たっては,教師がこれらの情報手段に加え,視聴覚教材や教育機器などの教材・教具の適切な活用を図ることも重要である。これらの教材・教具を有効,適切に活用するためには,教師はそれぞれの情報手段の操作に習熟するだけではなく,それぞれ情報手段の特性を理解し,指導の効果を高める方法について絶えず研究することが求められる。
 また,校内のICT環境の整備に努め,児童も教師もいつでも使えるようにしておくことが重要である。
 なお,児童が安心して情報手段を活用できるよう,学校においては情報機器にフィルタリング機能の措置を講じたり,情報セキュリティの確保などに十分配慮したりすることが必要である。

(文部科学省「小学校学習指導要領解説:総則編」)

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2009年1月23日 (金)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 6

 ICTの活用を推進する上でやっかいなのは、スキルの問題である。活用する上では、ある程度のスキルが必要だからである。

 パーソナルコンピュータを「Intellectual Bicycles(知的自転車)」という言葉で語ったのは、Steve Jobs氏である。自転車の発明によって、人間が本来もっている身体的な能力を大きく拡大させた。それと同様に、パーソナルコンピュータの発明は、人間が本来もっている知性的な能力を大きく拡大させるという意味である。
 
 自転車を乗りこなすには、技能が必要である。だから、最初の段階ではスキルアップが必要になる。ICTのスキルアップトレーニングは、楽器や語学のトレーニングと似ている。ある程度、継続して行わなければ身につかないからである。
 たとえば、映像を取り込んで加工して提示するというスキルは、年に一度の研修程度では身につかない。学校内で「デジカメをコンピュータに取り込もう」「ビデオカメラで映像を編集しよう」といった研修を年に一回程度行ったとしたとしよう。その場ではできたとしても、すぐに忘れてしまう。日常的に行わなければ身にはつかないのである。

 自転車の練習も同様である。最初の段階では、たとえ転びながらでも毎日少しずつ練習していくうちに身についていく。たまに練習したとしても、乗れるようにはならない。
 しかし、ある程度スキルアップできると、自然と使用頻度が高くなってくるので、乗りこなせるようになっていき、忘れることはない。

 そう考えると、学校の現場においては、集中してスキルアップを図る時間と場を準備しなければならない。しかし、そのような研修を行っている学校は皆無であろう。結局は、教師個人にまかせているのが現状だ。そうなると、ICTの活用は、教師によって大きく差が生じてくる。(実際にそうなっている。)

「ICTはあくまでも授業の補助的な手段である。」という主張は正論のように思えるが、そのように考えているうちは、「補助的な手段」にさえもなりえないだろう。スキルアップ研修を軽視するからである。

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2009年1月21日 (水)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 5

 多くの人々と話をしていて、認識が異なるなと感じることがある。それはICTの捉え方だ。
 多くの人々は、ICTをハードやソフトのことだと思っている。ICT=コンピュータという捉え方である。
 だから、「ICTの活用」というと「コンピューの活用」と捉えがちだ。
 もちろん、ハードやソフトはICTの重要な部分ではあるが、それそのものではない。

  Information Communication Technology とは、言うまでもなく「情報」と「コミュニケーション」に関する技術である。
 そして、授業もまた「情報」と「コミュニケーション」によって成り立っている。「情報」を子どもたち同士の「コミュニケーション」の中で意味のあるものにしていく営みであるからだ。教師が考えるのは、どのような情報をどのような形で子どもたちに投げかけ、子どもたち同士のコミュニケーションを組み立てていくかということである。
 だから、重要なことはハードやソフトではなく、「情報」の中身であり、「コミュニケーション」の在り方なのである。

 プレゼンテーションで考えてみよう。効果的な情報を提示できれば、別にコンピュータでなくてもかまわない。実物投影機でもよいし、実物そのものでもかまわない。
 また、情報を映像として提示さえすれば、相手に理解してもらえるというわけでもない。情報を発信する側と受信する側とのコミュニケーションがなければ、効果は半減するはずだ。一方的な説明で終わる講師もいれば、相手に対して問いを投げかけたり、作業をさせたりして双方向のやりとりをする講師もいる。

 以前「『ICT活用』の研究は、ICTの研究ではなく、授業研究そのものである。」と述べたことがある。だが、そのためには、教師側にある程度のスキルが必要になってくる。たとえば、写真の取り込みや投影といった「作業」に多くの時間がかかるようであれば、写真そのものを「情報」として吟味する余裕がなくなるからである。

 だから、ICT活用研修の場合、どうしてもスキルアップの部分が最初に必要になってくる。
 しかし、多くの学校現場ではスキルアップのレベルで研修がとどまってしまうので、「ICT研修=コンピュータのスキルアップ」というイメージが定着してしまったのではないだろうか。本来は、スキルの部分を抜きにして、「情報」と「コミュニケーション」の中身について、考えていかなければならないはずだ。

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2009年1月19日 (月)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 4

 昨年に見たプレゼンテーションの中で最も面白かったものの一つに、ベネッセコーポレーションの新井健一氏が発表した「ICTの教育利用に関する現状と課題」というものがある。
 これは、各国の年齢別人口比率や国内総生産、国際競争ランクなどの資料を次々と提示していきながら、課題を明確にしていくというものだった。提示される画面のほとんどがグラフである。
 各国が21世紀の高度情報化社会に向けて国策として着々と準備をすすめているの対して、日本が大きく出遅れていることを指摘している。
 ICTの利活用とはコンピュータの操作技能ではない。獲得した情報をもとに批判的に思考する力や他者と協調してアイデアを発信しながら問題を解決していくための力なども含まれているのである。
 教育の果たす役割は大きい。(つづく)

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2009年1月18日 (日)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 3

 デジタルイミグラント(移民)に共通することもあるのではないだろうか。たとえば以下のようなことだ。
 ○ デジタルとアナログ を 区別する
 ○ ネットの世界 を バーチャル(仮想)な世界だと思う
 ○ ICTと自然を相対するものと考える
 ○「アナログの良さもあるよね」といった言葉に安心する

 教育研究会などで「デジタルの良さも大事ですが、やはりこのような場面ではアナログの良さも忘れてはいけませんよね。」とか「子どものうちは、ICTに触れることではなく、自然や人間に直接ふれていくことこそが大切なのです。」といった言葉を聞くと、「そうそう」と頷いてしまう。私自身もそうだ。

 このような「デジタルとアナログ」「ICTと自然」を相対するものとして考えていることそのものが、すでにデジタルイミグラントの証のような気がする。

 デジタルネイティブには、はなからそのような発想がない。アナログであるかデジタルであるかといったことはどうでもよく、ICTと自然は相対するものなどとは考えたこともないだろう。ICTによって自然を守るといった事例は山ほどある。
 彼らにとっては、すでにICTが手足のように使われているのだ。われわれが手足を意識して使っていないのと同様で、彼らはICTを使って「何か」を創ろうとしているのである。

 一方、ICTを使った経験がないデジタルイミグラントには、その「何か」の発想が出てこない。使うことが目的となってしまうからである。

 人は自分に経験のないことを教えようとは思わない。

 たとえば、国語科の授業の中で、映像を編集してニュース番組を制作するような単元がある。
 実際に映像編集の経験のない教師は、設備が整っていないことを理由にその単元をとばしてしまうこともあるだろう。たとえ指導できたとしても、「映像の編集」そのこと自体が目的となってしまうこともあるだろう。そうなると、極めて重要な「ニュース番組の内容」の部分が希薄になってしまう。子どもの学びも希薄になってしまうだろう。
 一方、ワープロ感覚で映像編集も行える教師にとっては、「番組の質」をどう高めるかということを考える。彼らにとっては、映像編集そのものは極めて簡単な作業なので、むしろ「映像の内容」の方に興味・関心がいくからである。(つづく)

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2009年1月17日 (土)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 2

 NHKスペシャル「デジタルネイティブ」は、昨年の11月10日に放送された。期待していた以上に面白い内容だった。
 自らの手足のようにネットを自在に使い、新たな事業や組織を次々に創り出していく若者たちの姿を取材した内容であった。今までの価値観や常識にとらわれない新しい発想や行動力で世界を変えていく可能性を秘めた新世代の若者たちである。彼らを、デジタルネイティブ(Digital Native)とよぶ。

 番組の途中でデジタルネイティブに共通する特質を列挙している場面があった。
 ○現実とネット 区別しない
 ○情報は〝無料〟と考える
 ○年齢・肩書き・所属 重視しない

 デジタルネイティブに対して、それ以前の世代はデジタルイミグラント( Digital immigrant)とよばれる。私もまたデジタルイミグラント(移民)である。

 面白いことに、デジタルネイティブを制作したディレクターが本を執筆している。番組を見た後に、この本を読むと実に興味深く感じる。撮影・放映された映像の背景を知ることができるからだ。また、テレビと書籍とネットがそれぞれの特性を活かしながら、情報を提供していることが実感できる。

 三村忠史・倉又俊夫 著「デジタルネイティブ 次代を変える若者たちの肖像」(NHK出版)

 「ICTは授業の補助的な手段なので、まずは授業力を高めてからICTを活用しよう」という考え方の世代では、デジタルネイティブの価値感や発想は、まず理解できないだろう。「ICT=コンピュータの操作」程度にしか考えていないからである。
 
 問題なのは、教師側の多くがデジタルイミグラントであるのに対して、学習者側ではデジタルネイティブが増えていくということである。(つづく)

 

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2009年1月16日 (金)

ICTは授業の「補助的な手段」なのか 1

 教育の情報化は、教育界の課題でもある。しかし、現場を見ると必ずしもそれがすすんでいるとは思えない。これもまたポジティブリストの中の一つであることも原因なのだろう。

 私は、現場では「ICTは授業の補助的な手段」だと捉えられていることも原因の一つだと考えている。
 言うまでもなく、ICTはInformation Communication Technology の略である。「技術」にしかすぎない。技術なので、「補助的」に使おうと思えば、「補助的」に使える。教科書の画面をコンピュータや実物投影機で拡大して投影することなどは、まさに授業の補助的な手段だろう。その場合、ICTの効果は、授業そのものの善し悪しに左右されるのは言うまでもない。何と言っても、授業の「補助」として使っているからである。だから、「ICTよりも、まずは授業力だ」と主張されれば、その限りにおいては頷ける。

 「ICTよりも、まずは授業力だ」という言葉は正論に思える。しかし、現実問題として、教師が「私には、授業力が身についている」という実感を得ることはあるのだろうか。

 自分の専門の教科ではある程度自信があるということはあるだろう。あるいは、ある単元や1時間の授業がうまくいったという経験はあるだろう。しかし、特に小学校の場合において、「私には授業力が身についています」と言い切れる教師がどれほどいるのだろう。
 むしろ、「私は図工指導には自信があるけど、理科は自信がないなあ。」「国語の文学教材の指導はやりがいがあるけど、話し合いの教材は苦手だ。」と感じている教師の方が多いと思う。
 つまり、授業力には限りがないのである。

 そう考えると、「ICTよりも、まずは授業力だ」と考えているうちは、ICTの活用などはずっと後回しになってしまう。

 私は、人間は「技術」を獲得することで、考え方や発想さえ変わるのではないか、と考えている。もともとが美術教師なので、そう感じるのかもしれないが、ある表現技術を獲得すると、発想そのものが広がることを感じていたからである。たとえば、画家が絵画表現の技術を獲得することによって、それから発想されていくものは広がっていく。
 そんなことを漠然と思っていたときに見たのがNHKスペシャル「デジタルネイティブ」であった。(つづく)

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2008年8月 8日 (金)

iPhoneで学習指導要領を持ち歩く

 いつでもすぐに読めるようにしたい資料というものがある。たとえば、学習指導要領や各教科の解説。中央教育審議会の答申やOECD関連の資料などだ。これを紙で持ち歩くのは不可能だ。だから、そのほとんどがコンピュータの中に入っている。しかし、必要なときにコンピュータをいちいち開くのもめんどうである。
 iPhoneのアプリケーションの中にFileMagnetというソフトがある。これはコンピュータの中のファイルをiPhoneの中に瞬時に転送してしまうソフトだ。これは、実に簡単。Wifiでつながっていれば、あっという間に転送してしまう。だからオフラインでも、資料がどこでも読めるのである。
 だから、学習指導要領もその解説も中央教育審議会の答申も重要な資料はすべてiPhoneで読めるようになった。しかも拡大可能なので、読みやすい。


Filemagnet
Filemagnet2
Filemagnet3
Filemagnet4

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2008年7月11日 (金)

メディアと記号論

 学期末の忙しい日々ではあるが,昨夕,熊本市情報教育研究会の例会が熊本市教育センターで開催された。
 村上浩一先生の「映像の読解コード」という提案は興味深い内容であった。NHKの教育番組「見える歴史」を,読解コードで読み取るという授業実践であった。従来は,内容理解が中心だった番組視聴を,読解という視点で番組を分析していこうとするものだ。具体的には,「服装」や「表情」「文字」「背景」といった「視点」が書いてあるワークシートを使って番組を視聴させていく。この発表では,「記号論」という言葉が頻繁に登場した。

 メディアを扱うと必ず「記号論」にぶつかる。言語や写真などの映像は全て記号だからである。
 池上嘉彦著「記号論への招待」(岩波新書)は,記号論をやさしく解説してあって分かりやすい。石田英敬著「記号の知/メディアの知」(東京大学出版会)も面白かった。
 文学教材の指導で有名になった「分析批評」も根源は記号論である。

 村上先生の授業は,10月31日(金)の放送教育研究大会九州ブロック大会で公開される。今から楽しみになった。

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2008年6月29日 (日)

情報教育マイスター養成講座

◯情報教育マイスター養成講座
8月2日(土)10:15−17:30(マイスター養成講座は、13:00−16:20)
 以前、2回にわたって行われていた情報教育をコーディネートする方々への唯一の養成講座である「情報教育マイスター養成講座」が、ICT教育推進プログラム協議会、マイクロソフトの支援を受けて、とうとう復活します。
 8月2日(土)の午後は、六本木の東京ミッドタウンへ!
 ただし、分科会C「情報教育マイスター養成講座」のみ事前登録制です。定員は60名ですので、今すぐに申し込みを。

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2008年4月 6日 (日)

「土よう親じかん」を視聴する

 NHK教育放送の新番組「土よう親じかん」を視聴した。(毎週土曜日午後9時30分〜10時、翌週土曜日午後2時30分〜3時」
 今回のテーマは「親の知らないこどものケータイ」。携帯電話に関わる問題を取り上げた番組内容であった。
 面白かったのは、司会の藤井隆さんとゲストの林丹丹さんのやりとり。藤井さんは、大人側から見た率直な意見であったのに対して、林さんは、子ども側から見た「生の意見」であった。林さんの「携帯のメールは一日平均80通。」「入学した後、はじめて会う同級生には、名前を聞くのではなくて、メルアドを聞く。」といった発言に、藤井さんが驚くところが共感をもてた。藤井さんは「普通の大人感覚」であり、林さんは「普通の子ども感覚」なのだろう。このずれが、「問題」なのだ。
 同じく司会をされていた漫画家の高野優さんは、色々と悩みをもつ「母親」の代表的な意見を述べていた。「悩み」をそのまま出しているから視聴者も共感できる。
 ゲストの野間先生は、情報教育で有名な先生である。「小学生にはインターネット契約をしないことも選択肢の一つだ」というアドバイスに納得した。

 ほぼ、多くの親は、子どもにねだられて携帯を買い与える、というパターンだろう。しかし、そこに多くの問題があることを知っている親は少ない。被害に遭って改めて知ることが多いはずだ。ネットの問題は、社会の問題でもある。学校で情報モラルを指導することは重要ではあるが、学校教育だけでは絶対に解決できない。(日曜日のフジテレビ「報道2001」では、ネットいじめの特集であった。総務省や企業の取組も紹介してあった。)家庭における親の教育も、また重要である。

 現実的には、子どもの言いなりになってしまっている親が多い。家庭教育力が低下してしまっているという声も大きい。その意味で、「土よう親じかん」のように、家庭教育に焦点化された番組は貴重だ。民放ではできない番組を制作できることはNHKの義務でもあるが、強みでもある。親と一緒に子どもたちを教育する教師にとっても、よい番組だと感じた。

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2007年5月31日 (木)

メディア活用研修講座6月30日

以下の研修を企画しました。無料です。
先着順です。はやめにメールでお申し込み下さい。

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メディア活用研修講座のお知らせ

熊本大学教育学部 准教授 塚本光夫

 学校の現場では教育の情報化が求められています。ICTを上手に活用しながら、より豊かな学習を創り出していくための取組です。そのためには教師自身のメディア活用能力が欠かせません。それは、様々なメディアを読み取り創造し授業へ活用していく力です。そうした力が高くなると、授業設計の幅が格段と広がるものと考えております。
 そこで、熊本大学教育学部情報教育研究会では、以下のような研修会を企画しました。特に今回は、マッキントッシュに標準搭載されている音声・写真・動画・作成ソフトiLifeと、iPodの連携をテーマにした実技研修を行います。最近のマッキントッシュはウインドウズとマックOSのどちらのOSも動作が可能となっており、マックを使うことでこれまでのウインドウズ環境を維持しつつ、マック OS・ソフトのメリットを享受することができるようになりました。ウイ ンドウズユーザーもマッキントッシュユーザーもどちらでも対応できる研修内容となっております。
 参加費は無料です。どなたでも参加できます。ふるって、ご参加下さい。

  教師のメディア活用能力を高める
 〜先生のコンピュータが授業を変える〜

日時:平成19年6月30日(土)午前10時〜午後4時30分

場所:熊本大学教育学部附属小学校

 主催:熊本大学教育学部情報教育研究会
 協力:アップルコンピュータ
 参加費:無料
 人数:40名(事前申し込みが必要です。)

 9時30分  受付
 10時    開会
 10時10分  事例報告
1、 米国におけるメディアを活用した授業(アップルコンピュータ)
2、 ウインドウズとマックの両方を使いこなす(情報教育研究会:山口修一)
3、 メディアを活用した授業力を高める(情報教育研究会:前田康裕)
 12時〜13時  昼食
 13時〜16時30分 実技研修 〜映像編集とiPodの連携〜

● 当日、昼食(弁当500円)の申し込みを受け付けます。

● 事前申し込みが必要です。メールかFAXで氏名・所属・懇親会参加の有無をご連絡下さい。

熊大附属小学校 伊津野留美 

FAX:096-356-2499

● デジタル写真のデータをUSBメモリーなどに入れてご持参下さい。
● ご自分でマッキントッシュやiPodをお持ちの方は、お持ち下さい。
● 当日、研究図書「ITを自由自在に活用するヒント」(2520円)を販売いたします。
● 当日夕方より、懇親会を企画しております。希望される方は申し込み時にお知らせ下さい。
Kenshuu

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2007年2月23日 (金)

D-project 春の公開研究会 3月18日

■□■———————————————————————————→
【D-project】      
春の公開研究会 〜全国大会2007〜のご案内        
←———————————————————————————■□■

毎年恒例のD-project春の公開研究がやってきました。今年度のテーマは、「メディアで創造する力は、こうやってつける!」具体的な実践提案や模擬授業を通して、考えていきます。

今回も「もったいないおばけ」(D-project用語で、どこに参加するか迷うほど、一度に中身の濃い内容が同時進行すること)が出ることまちがいありません。

今回は、アップとルーズを通して映像と言葉の行き来を考えさせる小学校国語の授業や、CM研究の制作活動を含んだ高等学校情報の授業などの「実践バトルセッション」、金沢大学附属小学校6年1組全員がコクヨ担当
者とともに、文具作りを進めてきた授業の終盤として最終プレゼンを行う「公開授業」など、見逃せない内容満載の1日になります。

申し込みがスタートしました!会場のスペースに限りがありますので、定員になり次第、締めきらせて いただきます。お早めに申し込みください。

    ▼お申込みは、D-projectホームページにて!▼
http://www.d-project.jp/2006/induction/2007spring/index.html

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             開  催  概  要
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◆日 時:2007年3月18日(日) 公開研究会 10:00-17:30
                     (受付開始 9:30〜)
懇 親 会  18:00-20:00

◆場 所:コクヨホール〈JR・京急品川駅港南口 (東口) から徒歩1分〉
     http://www.kokuyo.co.jp/service/kokuyohall/map.html
       〒108-8710 東京都港区港南 1-8-35
      Tel:03-3450-3710
         
◆対 象:教員をはじめとする教育関係者

◆参加費:公開研究会 4,000円 (昼食:弁当含む。税込み)
懇 親 会 5,000円(税込み)

     ※当日会場でお支払いいただきますので、ご用意ください。
     ※参加時間のご都合で、公開研究会の昼食が不要の場合は、
      開催日2週間前までにD-project事務局宛、お申し出下さい。

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2007年2月12日 (月)

PISA型読解力とメディア教育 その1

 熊本大学教育学部情報教育研究会では、毎月、土曜日の午前9時から11時30分までの2時間30分、熊本大学の一室で例会を開いている。毎回、10名から15名ほどの参加がある。
 過去、「プレゼンテーション能力」「ICTの授業での活用」をテーマにした。来年度からの研究テーマを話し合わなければならない。
 2月の例会でとりあげたのは、PISA(Programme for International Student Assessment)の結果である。PISAは、OECD加盟国の生徒の学習到達度調査のことである。問題になっているのは読解力で、2003年の調査で日本が14位まで落ちたことだ。
 そこで、例会では、次の流れでレクチャーを行った。
(1)そもそもOECDとは何なのか。その目的と歴史。
(2)そもそもPISAとは何なのか。その調査の必要性と目的。
(3)OECD加盟国の順位。
(4)読解力テストを実際にやってみよう。

 この(4)では、読解力のテストを実際に参加者にやってもらった。「落書き」の問題と、「チャド湖」の問題である。大切なことは、「PISAの問題を知っている」ということだけではなく、「実際にやって考えてみる」という経験だ。これがあるかないかでは、PISA型読解力の捉え方が違ってくる。
 参加者には問題を配付して答えを記入してもらった後に、その評価基準を示すという流れで行った。やってみると、PISAが求めている「読解」が、従来の国語科で行われてきた「読解」とは大きく異なることがよく分かる。要するに、正答がない問題に対して、知識や経験を生かして論理的に自分の意見を述べなければならないのである。また、表やグラフといった非連続型テキストを解釈することも要求されている。
 論述問題に対して、日本の生徒が「無答」が多かったのはよく分かる気がする。従来、このような学力をつける場が少なかったのだ。(だから、「読解力低下の原因は、『ゆとり教育』だ」という主張がいかに的はずれであるかが分かる。)

 例会の後半は、2000年度に放映されたNHK教育の二つの番組を視聴しながら話し合った。PISAで一位となったフィンランドの授業である。プロジェクト型の協同学習とメディア教育に特徴があるが、それだけではなく教員養成のシステムにも大きな特長がある。日本では教育システムも環境も異なるので、同様の教育を行うことは難しいが、授業の改善には生かせるはずである。
 2月20日に行われる熊本市立城東小学校の研究発表会では、プロジェクト型の協同学習で行った国語科の授業を報告する予定である。しかも、文章などの連続型テキストも、グラフや表などの非連続型テキストも同時に扱っていく。つけたい学力が変われば授業の形態も変わるはずだ。メディア教育でありながら、ITは一切出てこない。
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 私は、2月13日から19日まで西オーストラリアの学校を回ってメディア教育を視察することになった。案外と知られていないことなのだが、日本が14位だった「読解力」のテストでは、オーストラリアは4位だ。3月の例会では、その授業の様子をレポートすることになる。
 

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2006年11月18日 (土)

大学での講義 2

 「情報」には「送り手」と「受け手」がいることを説明した後に、テレビのニュース番組を見せた。
 安倍晋三氏(総理大臣になる前)が、農業分野に参入した建設会社を視察したという普通のニュースだ。安倍氏は作業着に軍手の姿である。15秒程度の短いものだが、これを見せた後に、「感じたこと」を学生に聞いてみた。
 「さわやかな感じがする」という感想がある一方で、「ナレーションの『パフォーマンス』という言葉が気になった」という意見もあった。
 実は、このニュースでは「パフォーマンスを披露」というタイトルがついていた。しかもアナウンサーは「自ら稲を刈るパフォーマンスを披露し・・・」と述べている。何気ないニュースなのだが、「作業着に軍手の姿」を「パフォーマンスの披露」と解釈したのは「送り手」の判断である。
 次に、2番目のニュースを見せる。安倍氏の視察というまったく同じ内容を、別のテレビ局が報道したものだ。「作業着に軍手、長靴姿など、メディアを意識した視察でした」とアナウンサーは述べている。これもまた「メディアを意識した」と判断をしたのは「送り手」側だ。
 3番目のニュースはNHKのもの。これも同じ内容だが、アナウンサーは「建設会社を視察しました」とだけしか述べていない。
 この三つのニュースを見比べると、「受け手」の印象が微妙に異なることが実感できる。アナウンサーの「言葉」で情報の伝わり方が違うことが分かる。

 さらに、日曜日の朝から放映されている報道番組の一部を見せた。「埼玉県のプール事故で関係者が謝罪している姿」「社会保険庁の不正免除の問題で職員が謝罪している姿」である。これも、同様に感想を聞いてみた。
 「とても悪いことをしているように見える」「ゆるせない気持ちになる」という意見が多かった。その中で「後ろで流れている音楽が気になった」という意見もあった。60名の学生にうちで「音楽」を気にしたのは、3名。実は、このニュースでは「恐ろしい感じの音楽」がBGMとして使われているのである。報道番組に音楽が入ると、かなり異なった印象を受けることが分かる。
 そこで、実験を行うことにした。映像編集ソフトを起動させて、ある病院の外観や待合室、処置室、診察室などの映像を流す。ここでは音楽無しだ。どこにでもある普通の病院である。
 それに「明るくさわやかな音楽」をつけて、再度見せる。すると、同じ映像でも全く異なったものに見えることが分かる。待合室も処置室もすべてが明るく清潔な病院として印象づけられる。
 次に、音楽を「不気味な音楽」に入れ替えて見せる。今にも何かが起こりそうな薄気味悪い音楽である。当然、待合室も処置室も「誰かが苦しんでいるような嫌な部屋」に見えてしまう。
 音楽が映像に与える影響は、極めて大きいことが分かる。

 普段何気なく見ているニュースでも、「送り手」による「言葉」や「音楽」が付加されることによって、「受け手」の印象が異なってくる。このように、「情報」の裏側に潜む「送り手」の意図を読み取ることも、情報教育の内容の一つであることを知ってもらった。(つづく)

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2006年11月16日 (木)

大学での講義 1

 11月13日(月)は、午後から熊本大学で大学生向けの講義を行った。テーマは「情報と教育」。2回行う予定なので、13日は「情報教育」。次回の20日は「教育の情報化」ということにした。
 昼食直後の90分間の講義をどう組み立てるか、けっこう難しい。大人向けの「授業」だと考えてみる。プロジェクタを見せながらの授業は、眠くなりやすいし、下手をすれば一方的な説明で終わってしまう。かといって、小学生のように発問すれば、学習者が挙手する、というわけでもない。90分間の授業設計が必要だと思う。
 私は、このような場合、とりあえず90分を3つに分割する。なんでも3つに分けて考えてみるわけである。そこで次のような内容にした。
(1)「情報の送り手と受け手」〜現実社会の情報〜
(2)具体的な授業実践例
(3)情報モラル
 昨年度は、いきなり(2)の話をしたが、「なぜ、このような授業が必要なのか」ということを学生が分かっていないとだめだと感じた。そこで(1)を入れたわけである。
 そこで、特に(1)に力を入れることにした。取りあげた素材は、新聞とテレビである。これもまた3つに分けて素材をもってくることにした。

(1)-1 同じデータでも新聞社によって「見出し」が大きく異なる
(1)-2 同じ内容を流すニュースでも、番組によってナレーションが微妙に異なる
(1)-3 報道番組なのに、BGMが意図的に使われていること
 (1)-1 では、文科省が調査した「総合的な学習に対する保護者と教育関係者の意識調査」のグラフだけを示した。学生に「このグラフから読み取れることを自由に書いてください」と述べて記入させる。数分後に、発表をしてもらった。この解釈がそれぞれに違うから面白い。「中学校の教師よりも、小学校の教師の方が、総合に対して肯定的だ。」「保護者は、総合的な学習に好意的だ。」「『とても良い』『まったくよいとは思わない』が少なく、『まあ、よいと思う』『あまりよいとは思わない』が多い。」「教育長は『とてもよい』と思っている人が多い。」といった意見が出された。人によってグラフからの読み取りは違う、ということをそれぞれに分かってもらった。
 次に、「このグラフを使って新聞記事を書くとしたら、どんな見出しにしますか?」と問うた。これは、かなり難しい。学生の多くは頭をひねっていた。「総合的な学習、保護者と教師の意識の差」「これでいいのか?総合的な学習」などの答えが出てきた。
 その後、このグラフを取りあげた朝日新聞のホンモノの記事を提示した。見出しは
「総合的な学習 中学担任55%否定的」
である。次に熊日新聞の同じ日のホンモノの記事を提示した。見出しは
「総合学習 親の7割が肯定」
である。同じデータでも、送り手が何を強調したいかで、受け手の印象は異なるのである。
 ここで、「情報」には、「送り手」と「受け手」が存在することを説明した。(つづく)

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2006年8月 4日 (金)

映像制作の意義 その7

 制作の活動は、ともすれば「作ること」そのものに意識が向きすぎてしまうことがある。無我夢中になってしまって、自分たちは何を学習しているのか、ということを忘れてしまっているような場面だ。
 たとえば、コンピュータ操作が得意な子どもが一人で作業をしてしまったり、おとなしい子どもが、ぽつんと見ているだけになっているようなことがある。実際、人数が多くなってしまうと、このようなことがよく起きる。
 これは、どんなに教師が注意しても、子どもたちは「よい映像をつくること」を目標としてしまっているので、途中からの修正は難しい。得意な子は、「ぼくは、みんなのためにこんなにがんばっているのに・・・・。」と愚痴をこぼすこともあるし、おとなしい子は「私は見ているだけで、つまらなかった」と嘆いてしまうことになる。
 だから、学習のスタートの段階で、この単元では何を学ぶのか、ということを、教師も子どもも明確にしておくことが必要になってくる。これが「評価規準」だ。
 評価規準は、教師自身が把握しておくことは当然である。これは、学習のプロセスをイメージしながら作る必要がある。だから、この学習で身につけさせたい力を一つ一つ書き出しておく。たとえば、上記の問題を解決するために「みんなで協力して活動ができる」という規準をもうけておく。
 しかし、それを子どもたち自身が自分たちで判断できるようにしておかなければ意味がない。何を元にして、うまくいった、いかなかったか、を判断するか、ということだ。それが「評価基準」だ。
 たとえば、「協力性」という項目をつくる。Aは「大変よい」、Bは「よい」、Cは「もう一歩」という判断を行う。
 そこで次のような文章にする。
 A:全員が十分に協力して等しく活動できた。
 B:十分とは言えないが、ほぼ等しく活動ができた。
 C:協力的な活動がなく、一部のメンバーだけが活躍した。
 これを毎時間ごとに、評価することになると、子どもたちも「等しい活動」を意識せざるをえなくなる。中学年であれば、もっと具体的にする方がよい。たとえば、
 A:自分のアイデアを3回以上発言することができた。
 B:自分のアイデアを1回以上発言することができた。
 C:自分のアイデアを1回も発言することができなかった。
 こうしたことを、学習のプロセスをイメージしながら、一つの表にまとめていく。これがルーブリックだ。
 メディアを創造する学習においては、毎時間ごとにルーブリックを見ながら自己評価を行っていくことによって、学習項目の意識化が可能になる。

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2006年8月 3日 (木)

映像制作の意義 その6

 検討する場面を設定するためには、相互に関わり合わなくては目的が達成できないような課題にする必要がある。メディアの中身を考えたり、それらが確かに伝わるかを確かめたりするためには、それぞれの意見を交換しなくては、よりよいものが生まれないからだ。
 たとえば、ビデオのシナリオを作成するためには、それぞれにアイデアを出し合わないとよいものが作れない。また、撮影の場面では、より効果的な映像が撮れるように、背景やカメラアングルを工夫したり、演技の練習をしたりしなくてはならない。編集では、順番や音楽を入れ替えてみて、その効果の違いを話し合ったりする活動が必要になる。
 そうした検討の活動場面において、アナログ的なメディアやデジタル的なメディアが活用されることになる。たとえば、あらすじを考えたりするときには、メンバーが共有できるような大きめの紙に付箋紙を使うことが多い。付箋紙にアイデアを書き込み、それを並べ替えたり、外したりしながら、全体を俯瞰していくときには、アナログメディアが有効に働く。これは、アイデアが一覧できたり、個々のアイデアをつないだりできるからだ。
 一方、作品そのものを検討していく場面では、デジタルメディアが有効だ。映像の順番を並べ替えたり、音を入れ替えたりする作業はアナログではできない。コンピュータを使えば、色を部分的に変えたり、フォントの形を変えたりできるので、「伝えられる側」に立って、検討することが可能になる。
 したがって、学習の場面において、個々のかかわりあいを促しながら作品の検討ができるような「方法」を採用すればよいのであって、アナログだからよい、デジタルだからよい、というものではない。それぞれの特性を活かせばよいのである。
 もちろん、従来も、協同して創造していく「紙芝居」や「演劇」などの実践はあった。それらは、互いに関わり合わなくてはならない学習ではあったのだが、「ビデオ番組制作」などと決定的に違うのは、「メディアの操作」ができないところだ。紙芝居は、アイデアの段階では、それぞれの意見が活かされるだろう。しかし、一度、画用紙に描きはじめると、途中で、その「伝わり方」を検討しあって、描き変えるということは不可能に近い。演劇も、練習の段階で検討することはできるが、一度、公演が始まると、伝えられる側に立って、演劇そのものを「操作」することはできない。
 そう考えていくと、アイデアを検討する段階においても、作品そのものの伝わり方を検討する段階においても、それぞれの学習者が十分に関わり合って、個のアイデアが活かせるような学習がのぞまれることになる。

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2006年8月 2日 (水)

映像制作の意義 その5

 前々回と前回で,「四つの学習プロセス」と「三つの最低条件」を述べた。この二つを組み合わせることによって,「十分条件」が見えてくる。まず,「相手意識,目的意識」の持たせ方は,四つの学習プロセスが十分に機能するような「課題」に関わってくる。つまり,じっくり見たり,検討したり,伝えたり,ふりかえったりできるような場が設定できるような「課題」が必要になるのである。その課題にあった,「相手」や「目的」を決めなければならない。

 特に重要なものは「伝える場」である。メディアは,「伝える」という目的のために使う「媒介」である。メディアが機能したかどうかは,その「伝わり方」を制作者が実感として得ることによって判断される。「手紙」はメディアであるが,伝わったかどうかというのは,返事が来ないと判断できない。どんなに,教師が「この手紙は,よく書けている」とほめても,相手からの反応がないと,メディアとして機能したかどうかが判断できない。同様のことは,「WEBページ」でも言える。WEBページも,相手からの反応が得にくい。つくりっぱなしで終わりになりがちだ。だから,上手な教師は,相手からの反応も含めて授業をデザインしているはずだ。
 その点,「ビデオ番組制作」は,自分たちで見合ったり,相手に見せるだけで,反応が分かる。感心してくれたり,笑ってくれたりするという反応そのものを実感できる。その意味では,「プレゼンテーション」も同様だ。相手の反応が,目で見て分かる。映像と自分のスピーチの効果が実感として分かる。
 前任校では,3年生以上の子どもたちは,総合的な学習の時間に「情報ミニプロジェクト単元」の学習をしていた。3年生は,画用紙による「友だち紹介プレゼンテーション」。4年生は,パソコンによる「友達のいいところ紹介プレゼンテーション」。5年生は「学級紹介WEBページ制作」。6年生は,「英会話ビデオ番組制作」である。いずれの学年も,伝える相手は保護者である。この中で,もっとも,苦労したのが5年生だ。ホームページの感想を,メールでお知らせ下さい,とお願いはしてあったが,ごく少数であった。だから,メディアが機能したかどうかを,子どもたち自身が確かめることができなかった。今,思えば,WEBページにこだわることはなかったはずだ。(つづく)

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2006年8月 1日 (火)

映像制作の意義 その4

 最近の国語の研究発表会などで、よく聞かれる言葉が次の三つである。
(1)相手意識、目的意識をもたせること
(2)かかわりあいの場をふやすこと
(3)評価規準を明確にすること
 国語科がコミュニケーションの力を育成する教科であることを考えると、上記の三つは、最低条件だといえる。
 コミュニケーションであるからには、「相手」や「目的」があって当然なのであって、ない方がおかしい。私が、子どものときは、やたらと「生活作文」「読書感想文」を書かされていたが、読むのは先生だけだった。
 また、子どもたちが学習しあう場面でかかわりあいをもつことは、コミュニケーションそのものだ。構成主義的な観点からも、子どもたちがそれぞれの意見を述べ合いながら、意味のあるものを作り出していくことは極めて重要な活動である。
 だが、読解テストのようなものなら点数化しやすいが、コミュニケーション中心の学習では力を測りにくい。「手紙を書いて終わり」「プレゼンやって終わり」という学習になりかねない。そこで、必要になってくるのが、「評価規準」である。それは明確なものでなければならないし、子どもにも理解できるものでなくてはならない。
 このように、(1)(2)(3)の三つは、最低条件なのである。授業設計を行う上では、これらを満たしているということから出発しなければならない。(つづく)

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2006年7月31日 (月)

映像制作の意義 その3

 8月29日は、北海道においてD-PRROJECT(デジタル表現研究会)のワークショップを担当した。みんなが楽しく学べる英会話番組をつくろう、という課題である。1チーム4名程度のメンバーが、相談しながら、使えそうな英語の表現を2分程度の番組にしていくというものだ。(この取組は、私の前任校の6年生が行っていた。)それぞれが、アイデアを出し合い役割分担をしてシナリオ作成・撮影・編集を行っていく。わずか3時間程度であったが、実に質の高い番組が完成した。
 考えてみれば、私の授業では、子どもたちがカメラで撮影したり編集したりして映像表現をする授業が多い。3年の「面白いもの、見つけた」、4年の「アップとルーズで伝える」、5年の「報道番組の現場から」なども、すべてそうであった。このような授業は、「情報を分析・検討をしながら読み解き(criticize)、メディアを使いこなす」というメディア・リテラシー教育とは、ねらいが少し違う気がする。より、子どもたちの発想力や企画力、表現力などが要求されるという意味においては、創造する(create)部分が大きい。金沢大学の中川一史先生は、そのような力を総動員させてメディアをつくる力を「メディア創造力」とよんでいる。
 横浜の佐藤幸江先生より「メディア創造力を高める授業においては、学習のプロセスが大切だ」という指摘をいただいた。私も同感だ。では、どのような学習のプロセスが必要だったのだろう。自分の授業から考察してみる。
学習活動1:「見る」
 ここでいう「見る」とは、「眺める」ことではない。「視点をもってものの本質を見る」という意味に近い。たとえば、「アップとルーズ」では、子どもたちが、実際のプロ野球中継のテレビ番組を見ながら、どの場面が「アップ」で、どの場面が「ルーズ」なのかを考える学習活動がある。また、6年生の「ポスター制作」では、自分が描いたラフスケッチと実際に使われている本物のポスターを見比べて、本物のポスターの特長を探す活動がある。まず、メディアを視点をもって見ることによって、体験的にメディアのもつ特性を理解していく必要があるのだろう。
学習活動2:「検討する」
 ここでは、あえて「制作する」という言葉を使わずに、「検討する」という言葉を用いた。メディアが、「伝えたい内容」を効果的に伝えられるかどうかを、グループで検討する活動である。一人で制作すると、独りよがりになりやすいが、複数の目で検討すると、様々なアイデアや表現力が活かされることになる。これは、シナリオ作成の場においても、撮影・編集の場においても常に「検討する」作業が必要になることからも分かる。アイデアを出し合う場面においては、付箋紙と用紙のようなアナログ的な物が活躍するし、編集したりする場面では、何度も試行錯誤できるという意味において、デジタル機器が活躍する。
学習活動3:「伝える」
 完成した作品が、実際にメディアとしての機能を果たしているかどうかを確かめる学習活動である。スライドショーが実際に伝えられるものとなっているかどうか、ポスターが効果的に伝えられているかどうかを、みんなで見合う場面が必要だ。これがないと、「つくりっぱなし」で終わってしまう。時間があれば、再度、「つくりなおし」も必要になるだろう。その意味においては、「作品評価」と言ってもよい。「相手に情報を伝える媒体」というメディアの本質的な理解を深めるためにも、この場面は重要だ。
学習活動4:「ふりかえる」
 自分が、この学習を通して、何を学んだのか、どの力がついたのかを「自己評価」する活動である。課題によっては、評価基準を設けて、ルーブリックを作成することもあるだろう。また、毎時間ごとに自己評価をすることも考えられる。そのようなことを、まとめながら、学習全体を振り返る必要がある。その意味においては「プロセス評価」と言ってもよい。

 では、このような学習活動を展開するためには、どのような条件が必要になるのだろう。(つづく)

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2006年7月30日 (日)

映像制作の意義 その2

 45分の授業を2分程度にまとめるためには、授業の要点をしぼらなければならない。再度、自分の授業を見直すことになる。「次の年度に役立てる」というねらいをもって編集作業をすることによって、授業の重要なポイントは見えてくる。
 導入にポイントがある授業もあれば、学習の流れにポイントがある授業もある。あるいは、子どもの活動そのものがポイントなることもあるだろう。だから、授業のどの場面を切り取るか、ということは、授業者自身が、来年度の自分や同僚に「伝えたい・残しておきたい」という「意図」に添うことになる。だから、45分の授業を編集する、という作業の直接的なねらいは、「共有化する授業ポイントを残そう」ということにある。その意味においては、授業を編集するということは、授業研究そのものだと言える。

 しかし、授業を2分程度に編集すると、俄然「良い授業」に見える映像になってしまうこともある。それを批判する人もいる。しかし、本来、「映像」とはそういうものなのである。映像化された段階で、「事実全体」ではなくなる。映像とは、「再現された事実」であり、撮影者によって「意図」をもって撮影された「切り取られた事実」なのだ。さらに、それを編集者が「意図」をもって、映像を選び出していくことになる。その意味においては、「授業映像記録」も、執筆する人が「意図」をもって執筆する「授業実践記録文」と同様ではある。
 ただ、映像は文章に比べると、強烈に印象に残る。文章には論理的に理解させる働きがあるが、映像は直接的に情緒にうったえる働きがある。(だから、映像を、事実そのものと誤解させてしまうおそれがある。湾岸戦争の「油まみれになった海鳥」や、同時多発テロの「崩壊するツインタワー」は、今でも鮮明に頭に残っている。)映像の持つ力を現代人は特に認識しておかなければ、映像の力でコントロールされることにもなりかねない。

 だから、現代人にはメディアリテラシーが必要になってくる。情報を分析・検討しながら読み解き、様々なメディアを使いこなせる力である。このような力を高めるには、実際に映像制作を行ってみることが一番分かりやすい。撮影者の意図、編集者の意図などが体験的に分かるからだ。 だから、職員研修の間接的なねらいは、職員のメディアリテラシーを高めることにある。コンピュータスキルは、副次的なものしかすぎない。(つづく)

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2006年7月25日 (火)

映像制作の意義 その1

 夏休みの職員研修は、まる一日かけてビデオの編集を行った。全職員参加である。学校長にも教頭・教務主任にもビデオを編集してもらった。編集マシンは、学校のノートパソコンに、iEEE1394のカードをとりつけてビデオカメラを接続したものだ。カードやビデオカメラは、研究助成金でそろえた。
 内容は、1学期の研究授業を2分30秒の動画にまとめる、というものである。研究授業は、よくビデオで録画されるのだが、そのビデオテープは活用されているのだろうか。撮影された本人は、恥ずかしくてなかなか見たがらないし、それ以外の人は、わざわざ45分の他人の授業を見直すことはないだろう。そこで、3人グループになってもらい、それぞれに研究授業を編集してもらうことにした。
 45分の授業の中のもっとも重要な部分を取り出していく作業は、かなり難しい。とにかく、ひととおり見直して、場面の内容ごとに付箋紙にメモをすることになる。それから、必要な部分のみをパソコン入れて、編集作業に入る。このことによって、授業の振り返りとポイントの整理をすることになる。作成された動画は、一つにまとめられて、CD-ROMに指導案PDFと一緒に保存される。45分だと見ようと思わないが、2、3分程度であれば見直すことになるはずだ。
 当日の日程の流れは以下である。
1_9時〜9時30分 レクチャー「ビデオ編集研修の三つの意義」 担当:前田
2_9時30分〜10時 レクチャー「映像の取り込み方と作品の実例」担当:教育センター指導主事
3_10時〜12時 研究授業ビデオの中から場面を選択して、パソコンに取り込む。
4_12時頃〜13時頃 取り込みが終わったグループから昼食
5_13時〜15時頃 映像をコンピュータで編集する
6_15時30分〜16時 作品発表会
7_指導主事より、研修への講評
8_閉会
 ちなみに、学校長グループには、今回の研修会そのものを映像でまとめてもらった。最後のシーンは、学校長が「おしまい、おつかれさまでした」という手書きの文字の入った画用紙をもって、にっこりとしている映像であった。この映像が実にすばらしかった。
Kenshu

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2005年10月19日 (水)

教師のプレゼン術

 研究発表会などに行くと,パワーポイントを使ったプレゼンを見ることが多い。
 たいていは,研究テーマから出発する。
 「私たちは,今,このような状況をふまえて,このような研究テーマを設定しました」という出だしから始まる。
 それから,「そこで,私たちは,このような仮説を設定しました。」とつづく。(この「研究の仮説」も,当たり前のような文言が多い。「○○の場の設定と評価を工夫すれば,心豊かに学びあう子どもが育つだろう。」といったものが多い。そうなるように工夫するわけだから,「たくさん食べさせられるように工夫すれば,児童は満腹になるでしょう。」といっているようなものだ。)
 その後,「研究の構想図」というのが出てくる。これが,けっこう面白い。木がはえていて,そのまわりをぐるんぐるんばねのようなものが回って上がっていくようなものが多い。「なんだかすごい」と思ってしまうが,結局なんだか,よく分からない。
 次に授業実践が出てくるが,「こんなことをやりましたよ。」「あんなこともやりましたよ。」という「やったこと発表」になってしまう。
 最後は児童の変容がグラフなどで表示される。アンケート結果は昨年度よりも,これだけ「伸びました」というものが多い。(本当は有意差検定などをやらなければならないのだろうが・・・。)
 で,結局よく分からないし,面白くない。
 これを,「聞き手にとって,意外な事実」から出発すると面白かもしれない。
 たとえば,図工科で「子どもたちの表現力を伸ばす」というテーマで発表するとしよう。
 次の流れで行う。
(1)二つの絵ABを提示する。Aはとてもまずい絵だが,Bはかなり上手な絵だ。そして,「実は同じ子が描いたものだ」という。(意外な展開,もっと知りたいと思わせる)
(2)Aのような絵ばかりでは子どもが絵を嫌いになってしまう,子どもの個性を生かす表現力アップの指導が今こそ必要なのだという主題設定の理由を述べる。
(3)それは,このような指導法を用いたからだという授業実践を紹介する。(もっとも知りたいことを述べる)
 そう考えると,語りはじめは(1)につながるように問いかける。「Aの絵を描いた子とBの絵を描いた子,どちらが表現力がありますか?」
 聞いている人は「B」と答えるはずだ。そこで(1)の「実は2枚とも同じ子どもが描いたのです。」と述べる。
 かなり違ったプレゼンの流れになるはずだ。

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2005年8月25日 (木)

キッズ・ウィットネス・ニュース

今日は松下教育財団主催のキッズ・ウィットネス・ニュースの国際部門の表彰式に出席するために名古屋にいる。
キッズ・ウィットネス・ニュースとは、パナソニックがグローバルに展開する教育支援プログラムで、小中学校レベルの子供たちを対象にビデオ制作を通じて創造性やコミュニケーション能力を高め、チームワークを養うことを目的とするプロジェクトである。 http://panasonic.co.jp/ccd/kwn/overview/index.html
昨年度担任していた子どもたちの作品が国際部門賞に入賞していた(グランプリノミネートされているのではない)ので、出席だけすることになった。世界各国から、子どもたちが招待されていた。グランプリノミネートされていたのは、アメリカ、カナダ、イタリア、アラブ首長国連邦、シンガポール、日本である。
 それぞれが3分間のビデオ作品をつくるのであるが、その質の高さに唖然としてしまった。「リサイクルを始めよう」「かけがいのない地球」といった主張性のあるテーマを映像で語るのである。
これは、映像のもつ効果とストーリーのアイデア、出演する子どもたちの演技力などなど、かなりの時間と手間をかけなくてはできないだろう。逆にいえば、このような作品づくりができるようなカリキュラムをつくればできる、ということにもなる。たとえば、1学期にコマーシャルのような身近い映像を元にして、映像の特徴や効果などを探り分析するような「情報」という学習を入れてみるといいだろう。国語の中で扱うことだって可能だ。
パーティのときに、アメリカの先生方に「アイデアの出させ方」「おすすめ編集ソフト」などを質問したら、山ほどノウハウを教えてくれた。しどろもどろの英語でも何とか通じるものだ。(「英会話なんてできなくても、いっこうに困らないから必要ない」と豪語する人もいるが、英会話ができた方が圧倒的に「得」だ。得られる情報の量が違ってくる。)

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