2007年3月31日 (土)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)9

・・・と、まあ色々と書いてきましたが・・・。
 教師がほとんど英語を話さず、歌もゲームもない「小学校英語活動」に対しては、様々なご意見をいただきました。まだ、番組をごらんになっていない方は、ぜひごらんになって下さい。そして、ご意見をいただければ大変ありがたく思います。 このブログのコメントでもいいですし、「わくわく授業」のWEBサイトの「ご意見・ご感想」でもけっこうです。

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2007年3月30日 (金)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)8

 教師は、「よい授業」を見たり知ったりしたときに「自分もこの方法でやってみたい」と考えるはずだ。そして、それを自分でも実践して成功感を味わう。しかし、そこに落とし穴がある。

 小学校英語活動の授業をはじめて見たのは、小学校英語活動の研究開発指定校の研究発表会であった。もう十年ほど前になるだろうか。子どもたちが生き生きと英語を話す姿を見て驚いたことを覚えている。その後、先進校や研究推進校の授業も見ていった。
 どの授業も歌やゲームを中心にした楽しい授業であった。教師は、可能な限り英語で話すように心がけていたし、テンポのよい進め方であった。このようなスタイルをぜひ取り入れたいと考えて、自分の学校もそのスタイルでカリキュラムを開発していった。
 はじめた年から2年目までは順調であった。高学年の子どもたちもはじめて体験する小学校の英語活動を楽しんでいた。しかし、3年生からスタートした子どもたちが5年生になる頃から少しずつモチベーションが下がっていくのを感じた。精神年齢が発達するにつれて、学習に意味を見いだそうとしていくからだろう。これは、私が、3年生から6年生までの英語活動の授業を数年を通して開発していく立場にいたから分かったことなのかもしれない。それから、カリキュラムを改善するための悪戦苦闘がはじまっていくことになる。
 ゲームや歌を中心にした楽しい英語活動を否定するものではない。そのような授業は低学年から中学年にかけて是非必要であると思う。特に敏感な「耳」をもつこの時期に、本物の英語の音を聞かせることは意味があると思っている。しかし、そもそも、週に1回程度の英語の授業で、子どもたちが英会話ができるようになるとは考えられない。英会話能力を本気で高めようとするのであれば、ほぼ毎日のレッスンが必要だろう。言葉の習得には時間がかかるのである。
 だとすれば、小学校の「総合的な学習」として、週に一回の英語活動の授業で高められる「学力」とは何か、考え直して授業をつくるべきなのではないか。

 「ゲームや歌を中心にした英語活動の授業」によって子どもたちが楽しんで学習できた、という「成功体験」は、ある意味で、教師の思考を停止させる危険性がある。「小学校の英語活動は、かくあるべし」というイメージがいったん出来上がってしまうと、それが「授業評価のものさし」となってしまうからである。他人の授業を見て「教師は英語を話していないし、子どもが楽しんでいないし、テンポもないので、この授業はダメだ」という判断をしてしまいがちになる。
 授業を創造するということは、授業を評価する「ものさし」そのものの検討も含まれるのである。(つづく)
 

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2007年3月29日 (木)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)7

 何かを創造する学習においては、プロダクト(作品)評価とプロセス(学習過程)評価が重要となる。

 国語や図工のように、何かを創造する学習においては、一般的には作品の評価を行う。自己評価も他者評価も大切だ。作文だったら読みあったり、図工の作品であれば掲示して鑑賞したりもする。
 だが、それと同程度にプロセス評価も行わなければならない。自分たちの学習はどうだったのか、どのようによかったのか、それを子どもたち自身が自己評価していく。また、他者から見てどうだったのか、ということも重要だ。「わくわく授業」においては、ジュリー先生に最後に子どもたちの学習を評価してほしい、ということを依頼しておいた。もちろん日本語でOKである。
 ジュリー先生が日本語で話し始めたときは、子どもたちも驚いていたが、次第に笑顔に変わっていった。ジュリー先生が子どもたちの学習の様子をほめているときの、子どもたちの表情がとてもいい。大変なことをやりとげたとき、人間は本当に良い顔をするものだ。

 だから、子どもたちが何かを創造している時間、教師は子どもの様子を注目しなければならない。子どもたちの試行錯誤のプロセスを見て評価しなければ、創造力は育まれない。作品評価だけでは不十分なのである。(つづく)

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2007年3月28日 (水)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)6

 プロジェクト学習における教師の役割は、子どもたちを追い込むことである。

 研究会などで「教師は、子どもたちに何をアドバイスするのですか?」と質問されることが多い。そのときによって異なるので一言では言えない。あえて言えば、その授業で一番ねらっている力が高まるような場に「追い込む」ことなのだろう。

 たとえば、「わくわく授業」の場面の中で、私が子どもたちにアドバイスをする場面がある。ビデオレターの絵コンテを見ながら、「はじめの部分で山ほど説明しているでしょ。これでは分かりにくい。言いたいことをいっぺんに言わずに、順番を考えなさい。」と指示をしている。
 「言いたいことをしぼって、順番を考える」という作業は、「相手に伝える」というあらゆる活動には必要なのである。ましてや、相手は日本のことが分からない中国の小学生である。それを、まず一番に考えさせなくてはならない。これが「追い込む」ということだ。「よくできたね」と手放しで褒めるわけでもなく、「こうしなさい」と命令をするわけでもない。考えざるをえない状況にもってくるように指示をする。
 コミュニケーションには、「相手や場面に応じて分かりやすく筋道の通った発言を組み立てていける能力」が必要なのである。これが論理構築力だ。これが育っていないと、外国語はおろか、日本語におけるコミュニケーションもできないのではないか。

 教師が子どもたちを「考えざるえない状況」に追い込むことで、子どもたちは必死になる。必死になるから協力するし、よく話し合う。何とかして、この「壁」を乗り越えようとする。だから、「合格!」と言われたときの喜びは大きい。教師は、子どもたちに強くかかわらなくてはならないのである。(つづく)

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2007年3月27日 (火)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)5

 コミュニケーション力は「リアルな体験」の中で培われる

 決められた会話を繰り返し再生するだけでは、コミュニケーションの力は高まらない。コミュニケーションの本質を「互いの間に意味を創り出す」と捉えるならば、記憶〜再生はコミュニケーションとは言えないからだ。
 「わくわく授業」において、ALTのジュリー先生は子どもたちが質問をする相手となる。しかも、英語しか話さないように本人に依頼した。子どもたちは、 ビデオレターを完成させるためには、ジュリー先生に質問しなければならない。ジュリー先生が言ってることを聞き取らないと先に進めない。
 ALTが一方的に指導する授業とは異なる。子どもたちにとっては、リアルなコミュニケーションを体験する相手になる。実際、子どもたちにとっては、ジュリー先生は「英語の先生」という存在ではなく、英語を教えてくれる「外国の人」であった。私は、このような「リアルなコミュニケーションの体験」は極めて重要であると考える。体験の中では失敗もあるし、うまくいかない場もある。「わくわく授業」の中で、子どもたちがジュリー先生の言っている英語が聞き取れなくて苦労する場面がある。このような「うまくいかない場面」も大切なのである。「うまくいかない状態」から、がんばって色々やってみるうちに「うまくいく状態」にするという「体験」が、子どもたちのコミュニケーションの力を高める。(つづく)

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2007年3月26日 (月)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)4

 私は、授業設計においては、「競争」ではなく「協創」を重視する。

 個人で何かを創るよりも、複数で何かを創った方が、はるかに質の高いものが生み出されるし、子どもたちの思考力は高まる。映像の作品などは個人でも創れる。しかし、3人以上で創ることになると、考えていることを言葉にしなければならなくなる。目的をもって話し合いながら、相手の意見を聞きつつ、自分の意見をその場その場で述べていくことが要求される。このようなコミュニケーションの場が創造力を高めるためには必要なのだと思う。
 「三人寄れば文殊の知恵」とはよく行ったものだ。協同思考によって、子どもたちのアイデアは様々に広がっていく。この協同思考には教師が加わることもある。それは、教師が「こうしなさい」と命令をするのではなく、子どものアイデアを元にして、それにアレンジを加えるようなことだ。それは、教師にとっても楽しいプロセスだ。子どもたちと一緒に「考える」ことになるからである。
 「わくわく授業」においては、子どもたちがビデオレターを作成するために様々な話し合いをしている場面が出てくるはずだ。遊んでいる子どもや退屈している子どもは一人もいない。必死になって考えている。考えないと先に進めない。楽しくもあるが、苦しくもある。高い山を助け合って登っているような感覚だ。このような「産みの苦しさ」があるからこそ、頂上へたどり着いたときの達成感がある。成績の良い子が、そうでない子に教える、という関係ではない。全員が同じ立場なのである。
 したがって、目指すべきゴールは質の高いものを要求する。まさにホンモノを目指す必要性があるのだ。よく、子どもたちが制作した映像作品を他の人々に見せることがある。「レベルが高いですね」などと言われることもある。「うちの子どもたちには無理です」と言われることも多い。(以前は、附属小の子どもだからできるのだ、と言われたことが多かった。)レベルは高くしないといけないのである。高いから真剣になるし、よく話し合うし協力もする。単なる「グループによる話し合い」とは異なる。「低い山」ではいけないのである。

 本来、総合的な学習とはこのような学習を目指すべきなのではないだろうか。私は、この2年間、国語の授業をやっているが、何かを創り出す学習においては、「協創」の理念を授業設計に生かすことが、結果的には国語力を高めることになると考えている。(つづく)

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2007年3月25日 (日)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)3

 私の授業では、子どもたちが映像を「見る」活動を重視している。目的は以下の三つである。

(1)関心と見通しをもつ
 今から作成しようとする番組やビデオレターを見ることで、「やってみたい」と子どもたちが感じるようにする。また、「あんな番組をつくるためには、こんな準備がいるな」と、子どもたちが制作の見通しをもてるようにする。「わくわく授業」では、中国から送られてきたビデオレターを実際に見ることが、これにあたる。中国からのビデオレターは、挨拶を日本語で、説明は英語によって構成されていた。このビデオレターがないと、子どもたちには「英語によるビデオレターのイメージ」がつかみにくい。
 通常の国語の授業では、サンプル作品として子どもたちに見せる。今年度の子どもたちの作品は、来年度のサンプル作品となる。

(2)表現の工夫に生かす
 ふだんの国語の授業では、表現の仕方を違えた二つの映像を見せることで、子どもたちが表現の工夫ができるようにする。たとえば、「抑揚のないスピーチ」と「抑揚のあるスピーチ」、「つながりのない質問のインタビュー」と「つながりのある質問のインタビュー」、「相手の意見をふまえない反論」と「相手の意見をふまえた反論」などである。映像で比較すると差異が明確になる。何度でも視聴することができるからだ。情報の送り手として、表現のどこに工夫するべきか、子どもたちが意識できるようになる。
 英語活動の学習では、ALTの映像は重要だ。英語の発音は単に音だけで聞かせるよりも、映像を伴わせた方が効果が高い。口の形や表情まで知ることができるからである。

(3)映像そのものの分析を行う
 映像そのものに含まれている情報の差異を分析できるようにするものである。たとえば、5年生の「ニュース番組をつくろう」では、病院の映像を三つ見せた。「音楽の入らない病院」と「こわい音楽が流れる病院」「明るい音楽が流れる病院」の三つである。映像の印象が全く異なって見える。また、給食の食べ残しの映像を見せたこともある。「給食の先生が『最近は食べ残しが少なくなってきています』と語る映像」と「実際の食べ残しの映像」を順番を入れ替えてみせると主張点が異なってくる。文章と同じで、後に来る映像の方が主張になりやすい。
 こうした分析を行うと、「音楽」や「映像の順番」というものを意識して映像編集ができるようになる。メディアリテラシーの育成にもつながる。

 これら三つの目的は明確に区別されるものではないが、目的を意識して映像を活用することは学習を設計する上では重要である。(つづく)
 

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2007年3月24日 (土)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)2

 リアルで必然性のあるゴールは、極めて重要だ。子どもたちが学習をするための動機付けとなるばかりではなく、ゴールに到達した喜びが大きいからである。

 小学生にとっては、外国語を学ぶ必然性は少ない。だから、低中学年ではゲーム等の「楽しい活動」によって「学ぶ意味」をもたせることになる。しかし、高学年ではゲームだけでは動機付けにはなりにくい。「外国語を学ぶ意味」が必要となってくる。そこで、国際交流と英語活動を連動させようと考えた。外国語を活用したコミュニケーションの「実の場」になりえるからである。

 平成18年度は国際交流として二つのことを企画していた。一つは、7月に行われる「外国人留学生との交流会」。もう一つは、「中国の小学校との国際交流」であった。NHKには「外国人留学生との交流会」の方を取材してほしいということをお願いした。なぜならば、交流そのものをリアルタイムで撮影できるし、「学習してきた英語が通じた!」という達成感が得られやすいからである。
 しかし、スケジュールの都合上「中国の小学校との国際交流」が取材の対象となった。英語でビデオレターを作成することが活動のゴールとなる。中国では、すでに小学校から英語教育がはじまっている。英語は、おたがいにとっての「外国語」となるのである。子どもたちが、自分たちで伝えたいことを考え、それを英語にしていくプロセスが学習となる。
 子どもたちが自分のアイデアを生かしながらビデオの内容を考えるという「創造的な取組」も必要であるし、外国人との「リアルなコミュニケーションの場」も入れたい。また、自分たちはがんばったという「達成感」も持たせたい。そのような場が組み入れられるようにしていった。

 「中国の子どもたちに送るビデオレターを作る」というゴールは、外国語を活用するという上ではリアルで必然性がある。これは、国語科の学習でも言えることだ。たとえば、今年度の国語科の学習では、以下のようなゴールを設定して取り組んだ。
○「うちの人たちに学校のよさを紹介するスライドショーをつくろう」(4年)
○「みんなで遊べる写真クイズを作ろう」(3年)
○「先生やうちの人に、今の子どもの様子を伝える『子ども白書』をつくろう」(4年)
○「学校をよくするためのテレビ番組をつくろう」(5年)
○「ユニバーサルデザインの視点で見て学んだことをスライドショーで大人に伝えよう」(6年)
といった取組は、すべて、リアルで必然性のあるゴールである。また、これらに共通することがある。それは、全て「何かを伝える」という目的をもったものであり、何らかのメディア(映像や報告書など)をつくる、という活動を伴ったものであるということだ。

 「わくわく授業」の中では、前半はほとんど英語が出てこない。「伝える中身を考える」という場面では、日本語で行うからである。英語活動というよりは、思考するという国語の学習活動なのである。

 さて、当日は、中国から送られてきたパンダのぬいぐるみとビデオレターを見せるところから出発した。実は、この「見る」という活動がけっこう大きな意味をもってくる。(つづく)

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2007年3月23日 (金)

学力と創造力(4月1日pm6:00NHK教育再放送に向けて)1

 昨年6月25日に放映された「わくわく授業」(NHK教育放送)が、今度の4月1日(日)の午後6時から再放送される。総合的な学習における小学校英語活動がテーマである。子どもたちが、交流相手の中国の子どもたちに英語を使ったビデオレターをつくるプロセスを追ったものだ。
 実は、放映後、様々な反応があった。特に、「小学校英語=ゲームと歌で行う楽しい学習」とイメージをもっている人々から見れば、「変な授業」であったのだろう。手紙をいただいたりもした。

 あの授業を「英語教育」という視点から見れば、たしかに今までの「小学校英語」の授業とは違う。ゲームも歌もない。楽しいというよりも、子どもたちは、むしろ苦しそうでもある。
 私は、あくまでも総合的な学習であることにこだわった。総合的な学習のねらいは以下である。

(1)自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
(2)学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにすること。
(3)各教科,道徳及び特別活動で身に付けた知識や技能等を相互に関連付け,学習や生活において生かし,それらが総合的に働くようにすること。

 このねらいから考えると、むしろ「ゲームや歌を中心にした小学校英語」の方が、「変な授業」なのではないだろうか。少なくとも、高学年の子どもたちには向かないだろう。
 ビデオレターの作成は、「自分たちの伝えるべきことを、いかにして伝えるか」という問題を解決するための学習である。そのために、国語での表現力も必要になるし、英語や社会の知識も必要になってくる。総合的に働かさざるをえない状況になるはずだ。

 「わくわく授業」を、英語教育という視点からだけではなく、創造力育成という視点から見ていくと、授業のコンセプトが見えやすい。学習の流れは、私が国語科の授業で日常的に行ってる「プロジェクト型の協同学習」と同じである。

 まず、重視したことは「リアルで必然性のあるゴール」ということだ。(つづく)

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2006年12月 1日 (金)

小学校英語活動の成果と課題 4

5 小学校英語活動の成果と課題
 今年度,本校で指導を行った7人のALT(他校での指導経験もある)にアンケート調査を行った。「本校児童の特徴を感じますか。」という質問に対して,4段階で回答を求めたところ,6人が「4」,1人が「3」と回答している。また,「本校児童のコミュニケーション能力についての具体的な感想」を求めたところ,主として以下の回答が返ってきた。
○英語を使うことについて自信がある。
○気軽に話しかけてくれてフレンドリーだ。
○英語の学習に積極的である。
○カタカナ英語ではない。
 英語活動を取り入れることによって,外国語を話す人々と臆せずに積極的にコミュニケーションをとろうとする意欲や技能が高まったことは,成果と見てもよいだろう。「外国語で話しても意志や感情が通じる」という面白くて楽しい経験が,児童の意欲や技能を高めていくことの要因になると考えられる。
 しかし,英語活動によって「意欲」や「技能」は高めることはできても,「思考力」を高めることは難しい。考える作業は日本語で行うからであり,そこには論理的な思考力が要求されるからである。だから,「英語よりも日本語の方が大切である」という主張は,「考える力が育っていなければ真のコミュニケーションは不可能だ」という意味においては理解できる。だが,単純に国語の時間を増やせば良いというものでもない。むしろ,従来の国語科ではあまり意識されていなかった「コミュニケーションのための論理的な思考力」を高める学習を取り入れる必要があるだろう。
 また,どの学校でも指導可能な英語活動にしていくためには,明確な目標と年間指導計画や教材が必要になる。職員の研修も不可欠だ。さらには,コミュニケーションの実の場を設定するためには,教員の企画力や時間・労力も要求される。
 このように,小学校英語活動には成果もあるが課題も多い。何を目標とする学習なのか,ということを明確にして議論をしないと教室の現場は,ますます混乱することになるだろう。小学校英語活動が,様々な人々の理解と協力によって,効果的な学習として定着していくことを切に望むところである。

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2006年11月30日 (木)

小学校英語活動の成果と課題 3

4 コミュニケーション力を高める場の設定
 英語活動においては,ゲームを取り入れて,定型句と単語を組み合わせれば,それなりの会話らしい活動は可能となる。たとえば,「What fruit do you like ?」「I like apples」といった会話は,低学年でもできるようになる。小学校から始めれば英会話ができるようになるではないか,といった錯覚に陥ってしまうだろう。しかし,この段階では,まだ児童は記憶したことを再生しているにしかすぎない。高学年の児童が,「記憶・再生型の学習」に少しずつ興味を失っていくのは,児童の精神年齢が高まるにつれて,このような学習が合わなくなるからではないだろうか。
 コミュニケーションの実の場においては,「記憶・再生」ではなく,「互いの意志や感情を伝え合いながら,意味を作り出す」という活動に向かうはずである。児童は,活動そのものの楽しさから,コミュニケーションの本質へと興味・関心がうつっていく。したがって,学年が上がるに従ってリアルで必然性のあるコミュニケーションの場を設定する必要がある。
 そこで,昨年度から,第6学年では「国際交流のための準備」を課題としたタスク学習に取り組み始めた。外国人留学生と交流をするために,「相手の国を調べる」「相手の母語による挨拶を練習する」「英語による自分や熊本の紹介を行う」「日本語による相手の話を聞く」といった一連の活動を行う。非欧米圏の国からの留学生が多く,英語はおたがいにとって「外国語」でありコミュニケーションのためのツールとなる。様々な国と関わることによって異文化共生の考え方も理解できる。
 さらに,今年度は,中国の小学校との学校間交流も行うことにした。同年齢の児童が,それぞれの作品やビデオレターを交換することによって,親睦を深め,相手の国へ興味・関心をもつことができるようにすることをねらいとする。手紙ではなく,あえてビデオレターにすることによって,英語や中国語を使う場をもうけることにした。
 このような,リアルで必然性のあるコミュニケーションの場を設定することによって,児童の意欲は高まり,達成感や満足感も極めて高いものになった。

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2006年11月29日 (水)

小学校英語活動の成果と課題 2

3 コミュニケーションに必要な3要素
 コミュニケーションのためには,「意欲」「技能」「思考」の3要素が必要になる。
「コミュニケーションしたい」という意欲が乏しければ,コミュニケーションそのものが成立しない。また,意欲があっても「笑顔で接する」「言葉で伝える」といった身体的・言語的技能が乏しければ,意志や感情を伝えることができない。さらには,思考力が乏しければ,「何をどのように伝えればいいのか」という伝えるべき内容や方法を考えることができない。
「意欲」「技能」「思考」は,コミュニケーション力を高めるために重要な3要素だと言えよう。したがって,教師は,この3要素を相乗的に高めていくような授業設計を行う必要がある。
 現任校である熊本市立飽田東小学校では,平成16年度から英語活動を中心にした国際理解教育の研究を推進してきた。昨年度末の校内研究会では,英語活動の成果も明らかにされたが,思考力を育てる必要があるという反省点も挙げられた。そこで平成18年度からは,上述した3要素を英語活動と国語科を中心に高めていく研究を行うことにした。
 両者に共通する意欲や技能を育みながら,英語活動は主として「国際コミュニケーション力の育成」という視点で,国語科では「論理的思考力の育成」という視点で実践研究をすすめているところである。
Benzu

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2006年11月28日 (火)

小学校英語活動の成果と課題 1

11月26日は熊本大学教育学部で、九州英語教育学会が行われた。小学校英語活動について、いくつかの発表があったが、いずれも納得のいくものであり、勉強になった。午後、私はパネリストとして現場からの報告をさせていただくことになった。そのときのレジュメを掲載したい。
*************************
小学校英語活動の成果と課題

1 小学校英語活動に対する賛否両論
 全国の小学校において何らかの形で英語活動を行っている学校がすでに9割を超えている。その一方で,伊吹文科大臣による「小学校英語必修化への反対発言」に見られるように反対意見も少なくない。賛否両論が渦巻く最中で,学校現場は困惑しながらも最善の方法を模索しているところが現状である。
 賛成派・推進派は「小さいときに英語を学習していると苦労せずに英語が話せるようになる。」と主張し,小学校の英語活動に期待を寄せる。一方,反対派・慎重派は「週に一回程度の授業で英語を話せるようにはならない。」「英語よりも日本語の習得の方が大事である。」と主張する。
 そもそも,小学校の英語活動は「英語のスキル」を習得することが目標なのであろうか。

2 小学校英語活動に対する二つの考え方
 今年度3月,中央教育審議会外国語専門部会は,小学校英語活動の目標について以下の二つの考え方を示している。一つは,音声・会話・文法などのスキル面を中心とした「英語力向上」を重視する考え方。二つ目は,積極的にコミュニケーションを行おうとする態度を養う「コミュニケーション力向上」を重視する考え方である。そして,同専門部会としては,後者の考え方を基本とすることが適当であるという見解を明らかにしている。
 たしかに,外国語の習得には膨大な時間と労力が必要であり,小学校で週1回程度の英語の学習を行ったところで,容易に習得できるわけではない。その意味において,小学校の英語活動の目標を「コミュニケーション力の育成」とすることは妥当であると考える。(つづく)

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2006年7月24日 (月)

英語活動と国語科学習 その3

(4)国語科による思考力の育成
 リアルで必然性のあるコミュニケーションを行うためには,意欲・技能・思考力を高めていく必要がある。しかし,英語活動によって「意欲」や「技能」は高めることはできても,「思考力」を高めることは難しい。なぜならば,考える作業は日本語で行うからであり,そこには論理的な思考力が要求されるからである。だから,「英語よりも日本語の方が大切である」という主張は,「考える力が育っていなければ真のコミュニケーションは不可能だ」という意味においては理解できる。本校においても,実際にプレゼンテーションをしたり,ビデオレターを作成したりする段階においては,かなりの思考力が児童に要求されることとなった。
 しかし,英語活動をやめて,単純に国語の時間を増やせば良いというものではない。むしろ,従来の国語科ではあまり意識されていなかった「コミュニケーションのための論理的な思考力」を高める学習を取り入れる必要がある。そこで、今年度は具体的な取組として以下の学習を考えている。

 ○ 児童の対話の技術を高めるための問答トレーニングによる学習活動
 ○ 児童の説明の技術を高めるための描写・説明のレッスンによる学習活動
 ○ 児童の思考や感情を「言葉」にするための「書く」学習活動
**********************
参考文献
○ 市川力著「英語を子どもに教えるな」「『教えない』英語教育」(中公新書ラクレ)
○ 三森ゆりか著「外国語を身につけるための日本語レッスン」(白水社)

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英語活動と国語科学習 その2

(3)英語活動の課題とリアルで必然性のある場の設定
 ゲームを取り入れて,定型句と単語を組み合わせれば,それなりの会話らしい活動は可能となる。たとえば,「What fruit do you like ?」「I like apples」といった会話は,低中学年でもできるようになる。大人が見れば,早い時期から始めれば英会話ができるようになるではないか,といった錯覚に陥ってしまうが,この段階では,まだ児童は記憶したことを再生しているにしかすぎない。高学年の児童が,低中学年の英語活動と同様の「記憶・再生型の学習」に少しずつ興味を失っていくのは,児童の精神年齢が高まるにつれて,このような学習が合わなくなるからではないだろうか。
 コミュニケーションの実の場においては,「記憶・再生」ではなく,「互いの意志や感情を伝え合いながら,意味を作り出す」という活動に向かうはずである。児童は,活動そのものの楽しさから,コミュニケーションの本質へと興味・関心がうつっていく。そう考えると,教師は,学年が上がるに従ってリアルで必然性のあるコミュニケーションの場を設定する必要がある。
 そこで,昨年度から,第6学年において「国際交流のための準備」を課題とした「タスク学習」に取り組み始めた。外国人留学生と交流をするために,「相手の国を調べる」「相手の母語による挨拶を練習する」「英語による自分や熊本の紹介を行う」「日本語による相手のプレゼンテーションを聞く」といった一連の活動を行う。アジア・アフリカからの留学生が多く,英語はおたがいにとって「外国語」であり,コミュニケーションのためのツールとなる。また,欧米圏ではなく,様々な国の人々とかかわることによって,異文化共生の考え方も理解できる。
 また,今年度からは,中国の小学校との学校間交流も行うことにした。同年齢の児童が,それぞれの作品やビデオレターを交換することによって,親睦を深め,相手の国へ興味・関心をもつことができるようにすることをねらいとする。また,手紙ではなく,あえてビデオレターにすることによって,学習してきた英語を使う場をもうけることにした。
 このような,リアルで必然性のあるコミュニケーションの場を設定することによって,児童の意欲は高まり,達成感や満足感も極めて高いものになった。(つづく)

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英語活動と国語科学習 その1

7月25日、福岡で「九州ブロック海外子女教育・国際理解教育研究大会」が行われた。私は、小学校の英語活動の分科会で発表させていただいた。会が終わってから、たくさんの方々から声をかけていただいたり、質問をいただいたりして、ありがたかった。発表内容の概要を掲載することにする。
******************
(1)英語活動の意義とコミュニケーションのための三要素
  小学校の英語活動の意義は,コミュニケーション力の育成にあると考える。そのためには,「意欲」「技能」「思考」の三つの要素が必要になる。「コミュニケーションしたい」という意欲が乏しければ,コミュニケーションそのものが成り立たない。また,意欲があっても「笑顔で接する」「言葉で伝える」といった身体的言語的技能が乏しければ,意志や感情を伝えることができない。さらには,思考力が乏しければ,「何をどのように伝えればいいのか」という伝えるべき内容や方法を考えることができない。「意欲」「技能」「思考」は,コミュニケーションの場において,極めて重要な三要素だと言えよう。
 
(2)英語活動の実際
 本校の英語活動は,低学年は学校創意の時間(第1学年:年間8時間,第2学年:年間12時間)において,中高学年は総合的な学習の時間(各学年年間35時間)において行われる。
 学年の段階による学習活動は,以下のように考えている。

 低学年:簡単な英単語を使って遊ぶことによって,英語の音やリズムに慣れる。
 中学年:簡単な英語で会話しながら遊ぶことによって,コミュニケーションを楽しむ。
 高学年:英語を使うことによって,互いの意志や感情を伝え合いコミュニケーションを楽しむ。

 児童は,英語活動を楽しんでおり,学習意欲も極めて高い。後述する「タスク学習」において,高学年の児童が,積極的に英語を使おうとすることができるようになるのも,低学年からの積み重ねによるところが大きいと言える。この2年間,英語活動を取り入れることによって,外国語を話す人々と臆せずに積極的にコミュニケーションをとろうとする意欲や技能が高まっていった。「外国語(=母語以外の言葉)で話しても意志や感情が通じる」という面白くて楽しい経験が,児童の意欲や技能を高めていくことの要因になるのだろう。(つづく)

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2006年6月28日 (水)

小学校英語必修化 その9

 「わくわく授業」に対するご感想が寄せられていて,大変ありがたい。肯定的な意見もあるし否定的な意見もある。もともと「ゲームや歌で組み立てる『楽しい』英語活動」への問題提起なので,賛否があって当然なのだと思う。あのような方法で,1年中やっているわけではないのである。

 「日本語で考えて英語になおす」という手法への批判もある。これも賛否両論出ることを予想していた。ただ,私が子どもたちに声をかけていたのは,「いかに,日本語を分かりやすく,短い言葉にしていくか」ということであった。つまり,まず日本語を洗練していくということだ。英語力を高めることを直接的な目的とはしていない。
 「ハードルが高すぎる」という批判もある。これは,そういう面もあると思う。プロジェクト型の協同学習においては,ハードルが高くないと意味がない。問題は,教師がどの程度,見極めるかということだ。
 「基礎訓練に力を注ぐべき」というご意見もいただいた。たしかに,あの番組だけでは,英語活動全体は見えない。前任校では,リスニングを重視した。ALTに30秒ほど話をしてもらって,それをシャドウイングさせて,部分的でもいいから,意味をつかませるといった活動を必ずするようにしていた。基礎訓練とは一体何なのだろう。

 批判をされる方は,「英語力をつけさせるためには,あのような方法では駄目だ。基礎的な訓練から積み上げていくべきだ。」という主張をされる。やはり「小学校の英語教育は,英語力をつけることが目的だ」という大前提に立たれている発言だ。ここでも,やはり「教える側」と「小学校英語に期待する側」とのズレが生じている。ここが,今後,ますます大きな問題となっていくだろう。めざすところが違うのである。まわりの景色を眺めるためにボートをこいでいる人に向かって,「そんなこぎ方では,向こう岸には早く到着できないぞ」と言っているようなものだ。議論はかみあわないはずだ。

 今日の夕方,熊本大学の留学生による「日本語 スピーチ大会」を見に行った。非常に興味深い内容であった。スピーチが終わって,アフリカの留学生に「上手でしたよ」と声をかけたが,理解してもらえなかった。日本語を教える先生が「面白かった」と声をかけられた。そのときは,留学生は理解したようだった。笑顔で応えていた。
 私は,その日本語の先生に「たとえば『どんなスポーツが人気がありますか?』といった質問をすれば分かってもらえるんでしょか」と尋ねた。彼は「それでは通じません。どんなスポーツが好きですか?と,さらにシンプルにするべきです。」と答えてくださった。「そうやって,母語を整理していく力が,外国語を使うための基礎となります。」という話もうかがった。
 コミュニケーションのためには,日本語をより分かりやすく,シンプルに考えていく力が要求されるのである。これは思った以上に難しい。でも,このような体験をすることが,それこそ国際コミュニケーション力を育むことになると思う。小学校英語を考えることによって,日本語の運用そのものも考えるようになった。

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小学校英語必修化 その8

 「小学校英語に賛成ですか?反対ですか?」ということを最近,よく聞かれるようになった。私は,「週に1時間程度,英語という言葉を教科として学習することには反対。総合的な学習の中で,子どもたちが英語をコミュニケーションのツールとして活用する学習には賛成。」と答えている。
 前者は,英語の技能(=英語力)を高めることに目標があるが,後者は,コミュニケーション力を高めることに目標がある。両者を完全に切り離すことは不可能だが,意識することはできるはずだ。

 私は,総合的な学習の時間での英語活動は,子どもたちにしっかり考えてほしいと思っている。相手にはどんなことを伝えればいいのか,どのような話の流れにすればいいのか,どんな言葉を使えばいいのか,そんなことを考えられるようになってほしい。だからこそ,中学年では,ゲームや歌の楽しい活動で少しずつ英語を使えるようになり,高学年ではリアルで必然性のあるコミュニケーションにつなげていきたいと考えている。「わくわく授業」では,子どもたちがビデオレターを制作する過程の中で,グループの中で言葉を交わしながら考え,ジュリー先生とリアルなコミュニケーションをしていく。だから,ビデオレターを制作することそのものに価値があるのではなく,そのプロセスが大切なのだと思う。
 
 ただ問題は,実際に学校現場に「英語」が導入された場合,おそらくは関連業者による「教材」や「副読本」などが,どっと出回るはずだ。英語指導を経験していない小学校担任にとっては,何も教材がなければ,英語活動の授業はかなりハードルが高い。ALTや教材に頼らざるをえなくなる。特に,小学生のように耳がとても良い時期に,正しい英語にふれさせることは重要だと思う。
 英語関連の教材・教具がどっと入ってくれば,これはもうまさに「英語を指導する」「英語力を高める」ということに,教師の意識は向いてしまうはずだ。そうなってくると,子どもたちは,記憶・再生型の学習を繰り返すことになってしまうのではないだろうか。
 小学校だからこそできる多様な英語活動が,教材・教具が「充実」することによって,かえって,「限定」されてしまうような気がしてならない。世間の目が「英語力」に向いてしまうと,「小学校に英語を導入したけれど,結局ほとんど身につかないじゃないか。」という批判を受けてしまうだろう。
 文部科学省は,小学校の英語導入を必修化するのであれば,「目標」と「方法」の指針を示した方が良い。今のままで導入が決まれば,現場は混乱する。

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2006年6月23日 (金)

わくわく授業6月25日午後6時NHK教育

 6月25日の午後6時のNHK教育番組「わくわく授業」に私の「英語」の授業が放映されることになった。私が英語を話す場面は,ほんの数分。あとは,ずっとずっと日本語による授業。オールイングリッシュどころかリズムやテンポもない。「こんなものが英語活動の授業か?」とお叱りをきっと受けるだろう。<(_ _)>
 実際には,数年間,担任の先生が指導されてきた「英語学習の積み重ね」があるから成立する授業である。
 NHKからの紹介の文章を転載させていただく。
***************
「わくわく授業〜わたしの教え方〜」のお知らせです。
平成18年6月25日(日)の放送は 、
「ビデオレターで世界を広げよう〜前田康裕先生の英語〜」です。
本放送:平成18年6月25日(日)午後6:00〜6:44 NHK教育テレビ
再放送:平成18年7月2日(日)午前0:40〜1:24 NHK教育テレビ

御感想、御意見をお寄せ下さい。
2つの方法があります。
�NHKにホームページからメールなどで・・・
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/index.html 
の「番組に関するご意見・ご要望はこちらへ」にお書き下さい。
�「わくわく授業〜わたしの教え方〜」のホームページからメールで
http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/ の
「ご意見・ご感想」にお書き込んで頂ければと思います。 
今後の番組作りの参考にさせて頂きます。

○内容
熊本市立飽田東小学校の前田康裕先生の総合的な学習の時間を
使った英語活動を紹介します。
今回、6年生で行う授業のテーマは、英語のビデオレター作り。
送る相手は、交流を始めた中国の小学生です。
同じように英語を母国語としない者同士、ビデオレターのやりとりを通して、
これまで習ってきた英語を実際に使い、成果を試します。
前田先生が大切にするのは、英語を使うことで、本当に伝えたいことは何か、
わかりやすくするにはどうすればいいかを考えることです。
まず、授業は、日本語でしっかり考え、使う言葉を選ぶことから始まります。
そして、これまで習った単語や表現を使って英語にしていきますが、
どうしても子どもたちの英語力では限界が…。
そこで、前田先生は、外国人の先生を招き、あるしかけを用意しました。
果たしてどんなビデオレターができあがるのか…?
子どもたちが、言葉を精一杯駆使してビデオレターを作り上げていく姿を追います。

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2006年4月 6日 (木)

小学校英語必修化 その7

 小学校英語に反対する立場の人たちは,きまって「まずは国語だ」という主張をする。
 それ自体は正しいと思うが,「では,どうするのか?」という疑問に答えている意見は少ない。(あるにはある。三森ゆりかさんや市川力さんの著書は面白い。)
 問題は,小学校の現場で「どのような国語の授業がのぞまれているのか。また,小学校英語はどうあるべきなのか。」という具体的な提案が乏しいということではないだろうか。
 そういうことを考えていくと,今年度の研究を焦点化するポイントが見えてくる。

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2006年4月 3日 (月)

小学校英語必修化 その6

 現在,書店に並んでいる小学校英語関連の雑誌は,ほとんどが「どう指導するか?」という内容だ。教師が流暢に英語で授業を行えば,子どもに力がつくのだろうか。
 「小学校英語活動の授業をどう上手に行うか?」という,教師側のパフォーマンスばかりが論じられているのではないだろうか。「子どものコミュニケーション力を高める学習にするためにはどうしたらいいのか?」という学習者側からのアプローチが語られないのはなぜだろうか。
 そもそも小学校からの英語の学習をどのような内容でどの程度行えば,どれくらい子どもが英語によるコミュニケーションができるようになるのか,といった学習の質と量に対する学習効果について論じるべきではないのか。
 小学校英語活動は「文科省の方針だから」「諸外国では小学生のうちから英語を学んでいるから」「多くの親が望んでいるから」といった理由で肯定されている。これも不思議だ。
 教師が英語の授業をいかに上手に行うか? ということばかりに目が向いてしまうと,肝心な「学習の効果」が見えなくなるのではないか。
 以下の本を,おすすめする。
○金森強著「英語力幻想」(アルク)
○大津由紀雄編著「小学校での英語教育は必要か」(慶應義塾大学出版会)
○松川禮子編著「小学校英語活動を創る」(高陵社書店)(私も一部執筆している。)
○市川力著「英語を子どもに教えるな」(中公新書ラクレ)
○市川力著「『教えない』英語教育」(中公新書ラクレ)
○齋藤孝+斎藤兆史 著「日本語力と英語力」(中公新書ラクレ)

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2006年4月 2日 (日)

小学校英語必修化 その5

 世界の人々が互いに共生し合うことは大切なことだが,現実の国際社会は甘くない。貧困,病気,紛争など,課題は山積みである。そのような問題にふれずに,国際交流と英語活動だけ教室でやっていても深いものにはならない。
 現任校では,子どもたちがユニセフの活動を調べることで,現実の世界の問題を理解できるようにした。特に食料やエネルギーの問題は深刻だ。
 ユニセフのビデオを視聴させた後,ユニセフの活動を調べるグループと世界の諸問題を調べるグループに分ける。それぞれ20人程度になり,学級担任と私とで指導することにした。ユニセフグループは主としてインターネットで,諸問題グループは主として図書館で調べた。特によかったのは,ユニセフ熊本支部から来ていただいたボランティアの方々の話であった。食料とエネルギーを先進国が独占しており,発展途上国は,わずかしか消費することしかできない,という話は印象に残った。
 ユニセフ関連の写真を拡大印刷してパネルにはりつけ,4人グループになってポスターセッションで大人に伝えるという活動を行う。昨年度は,研究発表会があったので250名程度の教師に向けてセッションを行った。また,授業参観では保護者に向けて行うことにした。相手の目を見て必死に話をする子どもたちは,実にたのもしかった。
 3学期は,ユニセフ募金をよびかける活動に入っていく。子どもたちは,よくがんばって募金を集めた。昨年度よりも多く集まった。
 このように,ユニセフを素材にした総合的な学習は,「調べる対象としての世界の問題」「その解決のための取組としてのユニセフ」「行動化としての募金活動」という具合に学習を進めていける。また,相手に募金をよびかけるためには説得力のある話をしなくてはならない。総合的な学習における国際理解教育にはもってこいだと思う。
 国際理解教育では,英語を指導することに重点を置くのではない。国際社会をよりよいものにしていこうと努力する態度を育成するためのものである。そのために,国際協調の精神とコミュニケーション能力の育成に力を入れなければならないのである。

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小学校英語必修化 その4

 前任校でも現任校でも,重視したことが,「多くの国々の人たちとの交流」である。
 昨年度は7月に,中国,エジプト,パレスチナ,パラグアイ,ペルーの留学生との交流会を実施した。3月には,ネパール,インドネシア,コンゴ,フィリピン,エジプト,韓国の留学生との交流会を実施した。
 子どもたちは,母国語としての「相手の言葉」と「自分の言葉」,そしてコミュニケーションの道具としての「英語」を使う。したがって,英語オンリーではない。子どもたちは,相手の母国語も練習する。もちろん,多くの言語があるので,基本的には「こんにちは」と「ありがとう」である。したがって,中国の方に挨拶をするときは「ニイハオ」と言うし,ペルーの方には「ブエナスタルデス(スペイン語)」と言う。
 実際の交流の場面では,日本語タイムで日本語を使うし,英語タイムで英語も使う。ここでの英語はきわめて簡単なものだ。たとえば,「This is DORAEMON. Do you know DORAEMON?」といったものである。外国の留学生には自分たちの国のことを日本語で紹介してもらう。
 こうした活動に対する子どもたちの学習意欲は非常に旺盛であった。また,終わった後の満足感も極めて高いものであった。コミュニケーションのための言葉を学ぶことの必要性を感じたのだと思う。
 こうした活動を行うのは,私が多くの言語や多くの文化を重視しているからである。また,世界の人々が互いに共生しあうことを尊重する共生原理に基づくものでもある。小学校の英語活動は国際理解教育の一環として捉えるべきだ。したがって,日本語も相手の母国語も取り上げるべきだ。英語という言語だけを取り上げて,その習得を目指すものではないと考えている。

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2006年3月30日 (木)

小学校英語必修化 その3

 一般的に,「シャワーのように英語を聞かせよう。」とか「オール・イングリッシュの授業がよい」などと言われているが,実際は必ずしもそうではない。
 数年前,小学校低学年の英語の授業を見たことがあった。日本人英語教師がネイティブスピーカーなみの流暢な英語を流れるように話していた。ところが,子どもたちは,ぽかーんとしていた。教師の話すスピードが,あまりにも速すぎて,全くついていけなかったのである。結局1時間中,子どもたちはあっけにとられていた。
 私は,理解できる英語をじっくり聞かせた方がいいと思う。前任校では,リスニングを重視した。ALTに依頼して,30秒から1分間程度の英語の話をしてもらった。顔の表情や身振り手振りから,子どもたちは話のあらすじを想像することができた。グループで話し合わせると,なおさら鮮明になっていく。子どもたちの部分的な解釈を出し合わせると,一つのストーリーがでできあがっていくからである。この活動は,子どもたちにはけっこう好評であった。
 「みんなで考えを出し合うと,何となく意味が分かる」という程度のリスニングの時間を設定しておくと効果は大きい。それがリスニングの基礎力を養うことになるからだ。また,想像するためには思考力も必要になってくる。
 だから,オールイングリッシュでシャワーのように英語を「注入」することにこだわる必要はない。大切なことは,学級担任が必死になってALTとコミュニケーションをとろうとする姿である。そこに,子どもたちはコミュニケーションの実の場を見ることができるからである。

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小学校英語必修化 その2

 私は,総合的な学習の専科として,指導案を作成し授業をやってもらって観察を行う,という仕事をしてきた。そのプロセスの中で,子どもたちを見てきて分かったことがある。まず,小学校英語を考えていくための大前提としておきたい。
 一つめは,週に一回程度の英語の授業では英語を習得できないということだ。もしも「言語習得」を目的として考えているとしたら,それは大きな期待外れとなるだろう。だから,一般的には,小学校英語は,「言語習得」を目的とせず,「コミュニケーション力の伸張」ということを目的とされている。しかし,このコミュニケーション力というものが,なかなか見えない。一体,どのような能力を言うのか。評価をどうするのか。どの程度のことができれば,「コミュニケーション能力が伸びた」と判断すればよいのだろう。
 二つめは,小学生の英語活動は4年生の3学期を一つの分岐点として考えた方がよいということだ。歌やゲームを中心とした「楽しい英語活動」をやっていても,4年生の3学期くらいから,少しずつ子どもたちの意欲が下がっていく。そこで4年生の3学期には英語劇を入れたことがある。これは,子どもたちが熱中して取り組んだ。「来年度もやりたい」ということを子どもたちも望んだので,5年生の3学期でも少し高度な劇を行った。しかし,4年生ほどの意欲の高まりはなかった。思春期前期の子どもたちは,自意識が高まっていく。歌やゲームだけでは満足がいかないようになる。そう考えると,小学校低中学年までの英語と小学校高学年からの英語はコンセプトを変えた方がいいと考えている。
 三つめは,高学年ではタスク学習が有効であるということだ。タスク学習とは,何らかのタスク(=課題,仕事)を解決することで,子どもたちが英語を学んでいく学習である。たとえば,前任校でも現任校でも,外国人留学生との交流会を企画した。相手の母国語,英語,日本語で,挨拶やプレゼンテーションを行うことになる。その交流会を成功させるために,子どもたちは何とか相手の母国語での挨拶やプレゼンのための英語を身に付けなくてはならなくなる。「コミュニケーションの実の場」が必要になってくるということだ。こうしたリアルな状況設定が,高学年の子どもたちの意欲を高めることにつながる。
 四つ目は,コミュニケーションのためには思考力が必要になってくるということである。プレゼンテーションを行うためには,当然,何のテーマでどのようなことを,どのような順番で示せばいいのか,ということを考えなければならない。つまり,伝えるためには,伝える中身を考えられなければならないのである。このような思考力は,国語の力が必要になる。言葉で考えて,それを明確に示すことができなければ,コミュニケーションにはほど遠いものになってしまうのである。よく,英語の授業で「How is the weather today?」「It's fine」といった会話を教えると,子どもたちはすぐにできるようになる。大人は,それを見て「さすがに,子どもたちは覚えるのが早い。」と考えてしまう。しかし,子どもたちはコミュニケーションしているわけではない。教えられた会話を,そのまま再生しているだけなのである。このような「記憶再生型」の授業が不必要だと言っているわけではない。それを「コミュニケーション型」にしていく,何らかの方略が必要なのである。(つづく)

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2006年3月28日 (火)

小学校英語必修化 その1

中教審外国語専門部会は、全国一律に小学校で英語を実施する「必修化」を提言する審議経過をまとめた。
私は,前任校で,6年間,英語活動の指導案と教材作成を行ってきた。
 小学校英語活動は,簡単そうに見えて奥が深い。私は以前,次のように書いたことがある。
************************************* 
 最近、多くの小学校で英語活動の授業が始まっている。しかし、その取り組みは様々である。ゲームや歌だけの活動中心的な授業もあれば、中学校の英語をそのまま小学校におろしたような授業もある。学級担任だけで授業をする場合もあれば、ALT にまかせっきりの授業もある。
指導形態も指導条件もまちまちの中で、子どもたちの学びは豊かになっているのだろうか。一体、小学校は、なぜ英語を導入しようとしているのか。そして、どんなことをどこまで指導しようとしているのか。
 「小学校に英語を導入するねらい」を明確にしないまま、指導方法を語っても意味がない。「将来、必要だから」という理由だけでは、小学校に英語を導入する理由にはならない。「なぜ、英語を導入するのか」という哲学が必要なのである。
(中略・・・前田)
 では、小学生から英語を指導すれば、ぺらぺらと英語ができる日本人が育つのであろうか。わずか週に一回程度の英語の授業で、そうなるとすれば、日本人の多くは、英語が話せるようになっているだろう。英語を使って自由に意思疎通できるまでに英語力を高めるのは、かなり難しいことは事実だ。常に反復を繰り返し、英語を日常的に使う環境がそろっていないと簡単には身に付かない。では、小学校で英語を導入する理由は何なのだろう。
(熊本大学教育学部附属小学校著「小学校英語活動365日の授業細案」(明治図書))

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